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「犬神家の一族」の相続相談(1)――臨終の席で明らかにされた遺言状の衝撃

谷口 亨

2021/01/21

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横溝正史の長編推理小説『犬神家の一族』。戦後直後の昭和20年代、莫大な財産を築いた犬神財閥の犬神佐兵衛が遺した遺言状(現在の「自筆証書遺言」)をきっかけに、次々と殺人事件が起きるという小説です。名探偵・金田一耕助が登場し、映画やテレビドラマにもなったことでよく知られています。

『犬神家の一族』が、横溝正史のほかの小説、あるいはこれまで数々の作家によって書かれてきた相続争いを描いた小説に比べて興味深いのは、被相続人である佐兵衛が、遺言状で財産を簡単には相続できないようにしているところです。佐兵衛にはその理由があるはずですが……。

そこで、時代背景も現代の民法とも異なる、さらに小説という架空の話ではありますが、実際にこうした相続の相談を受けたら、私ならどういった提案をするか――。現代の弁護士として、大きなトラブルが起きないように、また佐兵衛の思いと大きくずれないように、犬神家一族の相続を真剣に考えていきます。

財閥創始者が遺した“いささか非常識”な遺言状

『犬神家の一族』の舞台は昭和20年代、信州は那須市という架空の街。物語の最初のクライマックスは犬神財閥の創始者、犬神佐兵衛(以下、佐兵衛翁)が那須湖畔の本宅で亡くなる臨終の場面です。その後、次々と殺人事件が引き起こされていきます。

なぜ、殺人事件が起きたのか――。

一言でいってしまえば、相続トラブルです。現代でも“争族”という言葉があるように、これまで仲が良かった親族ですら、遺産をめぐって憎しみ合うような状況になることはよくあります。そのため、大きな財産を持っている人ほど、生前整理や遺言書の準備、また、相続税対策をしています。

佐兵衛翁も一代で莫大な財産を築き上げており、亡くなる前に非常に詳細な遺言状を遺していました。にもかかわらず、親族間での殺し合いにまで発展してしまいます。

なぜなら、佐兵衛翁の遺言状は、もめるだろうと思わざるを得ないような内容だったからです。

佐兵衛翁の遺言状を預かっていた顧問弁護士の古館恭三弁護士も、

〈いささか非常識ではないかと思われるくらい変わっているんです。これはまるで遺族のひとびとを互いに憎み合うように仕向けることも同様だと……云々〉

と話しているほどの内容でした。

私も弁護士の立場で佐兵衛翁の遺言状を読むと、なんとも不思議な感覚を覚えました。なぜ、このような遺言状を遺したのか、むしろ遺さなければよかったのにとさえ思います。古館弁護士も事前にアドバイスをすることができなかったのか、とにかく不思議なのです。

佐兵衛翁の遺言状には、小説ということもあってか、現金、預貯金、株などの有価証券、不動産、会社の経営権といった相続資産の詳細は出てきません。小説で記されているのは財産を誰に相続させるか、そして相続にあたっての細かな条件設定です。しかし、この条件設定がもめごとを起こさせる原因となっています。

ですので、現代に当てはめてこの遺言状が「有効か、無効か」と問われれば、間違いなく「無効」といえるものです。さらに被相続人である佐兵衛翁の真意はどこにあるのか理解に苦しみますし、遺言状で復讐を企てているのかとすら思うほどです。

頭脳明晰、温厚篤実、眉目秀麗――ではない? 一代で巨額の資産を築いた犬神佐兵衛

遺言状の詳細な内容と説明については、次回以降に譲りますので、興味のある方は、それまでに小説を読まれる、映画を観ておいていただけると、この連載をより一層楽しめると思います。


『犬神家の一族』/横溝正史 著・角川文庫 刊・ 定価680円+税

そこでまずは佐兵衛翁がどのような人で、どのような人生を送ったか、その人物像を見ていきます。

まず、佐兵衛翁は一代で犬神財閥を作り上げ、莫大な財産を残したほどの人物ですから、頭脳明晰であることは間違いのでしょう。小説の中で紹介される佐兵衛翁について書かれた『犬神佐兵衛伝』では、仁・義・礼・智・信を兼ね備えた人格者と記されています。とはいえ、遺言状を読む限り、どうもそうとは思えないのが私の正直な感想です。

また、大資産家になっても、決して偉ぶることもなく、見栄を張ることもなく、

〈人間はだれでも、生まれたときは裸だよ〉

と話し、自らの生い立ちも包み隠すことがなかったというのですから、人柄も優れていた……はずです。が、これについても私はどうも疑心暗鬼です。容姿のほうは、若いころは「類稀なる美貌の青年」だったということです。

そんな佐兵衛翁の“自らの生い立ち”はどのようなものだったのでしょうか。

佐兵衛翁は苦労人で、〈17歳まで乞食同様(原文ママ)〉だったということです。そんな佐兵衛翁を救ったのが、那須湖畔にある那須神社の神官の野々宮大弐さんという人物でした。野々宮大弐さんは、学校など行ったこともなかった佐兵衛翁をわが子のようにいたわって、教育したということです。

こういった経緯もあって、佐兵衛翁は野々宮大弐さんに対して並々ならぬ恩を感じ、それを生涯忘れることはなかったようです。

このように人間性が優れているはずの佐兵衛翁にもかかわらず、一族に対しては、なぜ〈遺族のひとびとを互いに憎み合うように仕向ける〉ような遺言状を遺したのでしょうか。そして、それこそが被相続人である佐兵衛翁の思いだったのでしょうか。

死の直前、薄笑いを浮かべた佐兵衛翁。もめごとを予見していたのか……

そもそも遺言状、そして相続というのは、被相続人の死後、親族間にもめごとを起こさせないための対策です。

遺言状は、自分だけの思いを書面に遺し、開示されるのは死後になります。事前に内容を明らかにしておくことも可能ですが、死ぬまで遺言状の内容を明らかにしないことのほうが多いようです。そのため被相続人の死後、公開された内容に納得できない人が出てくることで、まさに争族が起こるわけです。

犬神家でも佐兵衛翁は膨大な財産の相続について、一族の誰にも明らかにしていませんでした。佐兵衛翁の臨終の席に並んだ子や孫の相続人たちは、

〈肉親の臨終の席に侍している悲哀の色が微塵も見られなかった。(中略)かれらは何かひどくあせっている。(中略)のみならず、たがいに腹をさぐりあっている。おとろえていく佐兵衛翁から眼をはなすとき、かれらの眼はかならず猜疑にみちたいろをうかべて、同族の人々の顔を見回すのである〉

と、肉親たちは佐兵衛翁よりも財産の行方がどうなるかといったことにばかりに関心が向けられています。一族は、まるで相続をめぐるドロドロとした欲望の塊となっていたようです。そして、

〈たまりかねて長女の松子がとうとう膝を乗り出した。『お父様、御遺言は……? 御遺言は……?』〉

と死が目前に迫った佐兵衛翁に詰め寄ります。佐兵衛翁はかすかにほほえみ、末席の人物を指さします。そこで、

〈いや、御老人の遺言状ならば、たしかにこの私がおあずかりしております〉

と答えたのが、古館弁護士です。

〈古館弁護士のこの一言は、しめやかな臨終の席に、爆弾を投げつけたも同様の効果があった〉なかで、佐兵衛翁は薄笑いを浮かべ、一族の一人ひとりを眺め、息を引き取ります。

死の直前に「薄笑いを浮かべ」ているところも、佐兵衛翁は自分の死後、争いが起きることを予見してあざ笑っているのでないかとすら私は感じてしまいます。

これまで私が相談を受けた相続案件では、さすがにこうした場面はありませんでしたが、古館弁護士のような立場になるのはまっぴらです。なにしろ、遺言状の存在がわかったときの反応を見れば、その公開は親族にとっては緊張の場面であったことは間違いないでしょう。

このように小説と遺言状を読み進めていくと、佐兵衛翁の人間性が分からなくなってきます。一代で財産を築いたわけですから、ワンマン経営者の一面もあったでしょうが、それを上回る執念深い性格というか、人を信用しない猜疑心など、こころの中の深い闇を感じてしまいます。

なにしろ、小説の中での世間からの評判と、私自身の印象にかなりのギャップがある佐兵衛翁。彼は、果たしてどんな思いで遺言状を遺したのでしょうか。なかなか難しい問題ですが、次回からは、犬神家とその周辺の人々、そして、そこに込められた佐兵衛翁の思いを読み解いていきます。

『犬神家の一族』の相続相談(2)――複雑な家族関係に込められた犬神佐兵衛の思い

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この記事を書いた人

弁護士

一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。

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