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越前松平家――子孫は幸村の首級を挙げ、幕末・維新は政治の中枢、昭和天皇の側近…歴史の転換期のキーマン(2/2ページ)

菊地浩之菊地浩之

2021/07/04

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歴史のキーマンとなった松平春嶽とその子孫たち

松平慶永(1828~1890)は御三卿・田安徳川家に生まれ、越前松平家の養子となった。

慶永は名君の誉れ高く、島津斉彬、伊達宗城、山内容堂とともに幕末の「四賢侯」と呼ばれた。13代将軍・徳川家定(演:渡辺大知)が病弱で、嗣子に恵まれないと、「将軍継嗣問題」が起き、慶永は親しい大名等と一橋徳川慶喜(演:草なぎ剛)の擁立に奔走。

この政争に敗れると、大老・井伊直弼(演:岸谷五朗)による反対派を粛清「安政の大獄」で、慶永も隠居を命じられ、春嶽(しゅんがく)と号した。なお、幕命により越前松平家は、支藩の越後糸魚川藩主・松平茂昭(もちあき。1836~1890)が継いだ。

桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、春嶽は復権。薩摩藩の島津久光が藩兵を率いて江戸幕府に幕政改革を迫った一環で、新設の政事総裁職に就任した。明治維新後には新政府の議定職に任ぜられ、内国事務総督、内国事務局卿、民部官知事、民部卿、大蔵卿を歴任した。

春嶽の子・松平慶民(よしたみ)は越前松平家の分家として子爵に列し、宮内省に入省。侍従、式部長官、宮内大臣らを歴任。戦後の家族制度廃止、宮内省解体に立ち会い、昭和天皇の戦後巡幸に付き従っている。その子・松平永芳(ながよし)は海軍少佐、陸軍自衛官、福井市立郷土歴史博物館館長を経て、靖国神社宮司に就任。A級戦犯合祀を実施した宮司として有名である。

一方、越前松平家の本流・松平茂昭は侯爵に列した。子の松平康荘(やすたか)は春嶽の五女・節子(ときこ)と結婚。その子・松平康昌(やすまさ)は昭和天皇の側近として仕えた。
終戦後はGHQ関係者や米国記者を自邸に招いて裏面工作を続け、マッカーサー元帥の意思を汲んだキーナン主席検察官らと連繋し、東京裁判で天皇の戦争責任を回避することに成功した。

康昌の子・松平康愛(やすよし)は第二次世界大戦で海軍通信隊に召集され、海軍少佐としてフィリピンに赴任、戦死した。一人娘の智子は、田安徳川家から松平宗紀(むねとし)を婿養子に迎えた。宗紀は福井市立郷土歴史博物館名誉館長、東京福井県人会会長などを務めている。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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