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4月8日は釈迦生誕日ではない?――まったくわかっていないブッダの個人情報(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2021/04/08

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息子と妻についての謎

最古層の仏典とされる『スッタニパータ』に、ゴータマ・ブッダが実子と伝えられるラーフラに、先輩の僧を軽蔑する傾向が見られたので、それをたしなめた一節がある。

〔師(ブッダ)がいった〕、「ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか? 諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」
〔ラーフラは答えた〕、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」(中村元訳『スッタニパータ』71頁)

ここでいう「賢者」や「諸人のために炬火をかざす人」は、前出の一番弟子とされるサーリプッタ(舎利弗)を指している。最高指導者の実子が、最高指導者の筆頭側近と対立する傾向は、時代を問わず、また洋の東西を問わず、ありがちだったのだ。

中村氏によれば、『スッタニパータ』の注釈書『パラマッタ・ジョーティカー』には、若くして出家し、出自・氏姓・家柄・容姿端麗なことなどによって、ラーフラが慢心を起こしたり無駄話をしたりしないように、いさめるためだったと書かれているそうである。

ご存じの方も多いと思うが、ラーフラは「邪魔者」を意味する。自分の息子に「邪魔者」という名を付ける父親というのも、変というか、奇妙というか、普通ではあり得ない。こんな名を付けられた息子の心情は、はたしてどんなものだったのだろうか。

ラーフラを生んだ妻の名は、一般にはヤショーダラー(ヤソーダラー)と伝えられる。ところが、ゴータマ・ブッダの妻の名を記すのは北伝系の仏典に限られ、南伝系の仏典にはかなり後代に成立した文献にも見当たらない。ただ、「ラーフラの母」と書かれているだけなのである。

インドに限らず、古代や中世の段階では、女性にまつわる情報が極端に少ない傾向が否めない。日本を例にあげれば、1000年前の平安中期に活躍した紫式部も清少納言も、いわばあだ名みたいな呼称であり、実名は伝えられていない。ゴータマ・ブッダの妻が生きていたのは、それよりもさらに1500年も前である。したがって、実名が分からないのも、いたし方ないのであろう。

ちなみに、ゴータマ・ブッダは16歳で結婚し、妻は何人もいたという後世の伝承もあるが、古い聖典類には結婚生活にまつわる記述は、ほとんど何も書かれていない。その代わり、ほかの宗教を信仰していたカッサパ三兄弟を、神通力を駆使して、帰服させたというたぐいの話が、延々と語られている。悪魔退治も、繰り返し語られている。要するに、その種の力を行使できなければ、いくら優れた教えを説いたところで、誰も聞く耳をもたなかったということだ。

以上の事実から分かるとおり、初期仏教の段階で、教団を構成していた人々は、わたしたち現代人とはまったく異なる人生観や価値観をもっていたことは、確かである。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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