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「玄」という文字に込められた深い意味

実は玄関からは簡単に家には入れない?(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2019/08/23

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「谷神(こくしん)は死せず、是を玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、是を天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん)として存するがごとく、これを用いて尽きず。」
谷間に宿る神は決して死なない。これを玄牝(生成の根源である神秘的な牝=生殖の力)と呼ぶ。玄牝が天地を産み出す門(玉門=女性器)を万物の根源と呼ぶ。弱々しく見えるが、決して途切れない。いくら産み続けても、尽きることがない。

このように、「玄」は万物の神秘的な根源をあらわす漢字とみなされていて、エロティックな印象もあります。エロティックといえば、唐時代の皇帝で、楊貴妃とのラブロマンスで有名な玄宗は、その名が示すとおり、道教の熱烈な信仰者でした。楊貴妃自身も、玄宗の愛妃になる前は、玄宗の息子の妻だった過去を清算するために、一時的に道観(道教の寺院)に入って、女冠(女道士)になっていた経歴があります。
もっとも、戒律が厳しいので有名な禅宗には、いささかそぐわない気もします。そこで、『老子道徳経』をさらにひもとくと、第一章に「玄」について、こうも説かれています。

同、之れを玄の又玄なる衆の妙なる門

有と無は同じである。これこそ神秘の中でも最も神秘的な、ありとあらゆる真理の門である。

この説でも、「玄」が神秘的な根源を意味することに変わりはありませんが、表現はずっと無難です。しかも、「有と無が同じ」という思想は、禅宗の「空」の教えにも通じるので、禅宗と玄関の関係を説明するのによく使われてきました。

ただし、かつて禅寺への入門は容易ではありませんでした。新参の雲水(禅の修行僧)は、玄関の式台に頭を低くして、入門を乞うのですが、まず絶対といっていいくらい、許されません。「お引きとりください」と断られるのがおちでした。これが「門前払い」の語源です。それで諦めてしまうようでは、話になりません。二日でも三日でも、入門を許されるまで、玄関先に座りつづけます。そして、ようやく玄関から上がることができたのです。

 

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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