BOOK Review――この1冊『つまらない住宅地のすべての家』
BOOK Review 担当編集
2021/09/27
『つまらない住宅地のすべての家』 津村記久子 著/双葉社 刊/本体1760円(税込)
どこにでもある住宅地に降って湧いた事件をきっかけに
数年前、防犯のため、子どもに近所の人と挨拶しないよう言い聞かせる親がいるという話題が、ネットでちょっとした話題となった。こんなことが話題になるのだから、すでに近所付き合いという言葉は陳腐化しているのかもしれない。
それもそのはず、私たちの大半は、近くに住む他人と、日常的に醤油を貸し借りするような関係を築くのは息苦しいし面倒だという価値観をもっている。けれども、他人同士のゆるやかな結びつきによって救われる場面は、案外ある。
『つまらない住宅地のすべての家』は、そうしたことを改めて考えさせてくれる小説だ。
舞台は、とある地方のとある住宅地の一角。路地を挟んで西側に4世帯、東側に5世帯、突き当りに1世帯の家が並んでいる。
三世帯が住まう家もあれば、一人暮らしの家もある。家の築年数や大きさもバラバラ。住人の世代や金銭状況もバラバラだ。住民同士は、とりわけ仲良くするでもなく、だからといって極端に距離をとるでもなく、ゴミ出しのときに顔を合わせれば挨拶をするくらいの距離感で、日々穏やかに暮らしている。
ところがあるときふいに、穏やかな日常に水が差される。
刑務所に収容されていた受刑者が逃亡し、住宅街の近くまでやって来ているらしいとニュースで報じられたのだ。逃亡犯は、勤め先の金を横領した罪で服役中だった36歳の女。住宅街の近くで生まれ育った彼女は、学生時代は勉強のできる優等生で通っていた。横領したのは私腹を肥やすためではなかったので、手に入れた金には一切手をつけていない。収監されてからも、模範囚として過ごしてきた。
明らかになっていく逃亡犯の素顔、住民たちの抱える問題
真面目な彼女を、一千万円の横領と、その後の脱獄へと走らせた出来事は、住宅街のある住人と深く関わっている。物語が進むにつれ、徐々に明らかになっていく彼女の人物像。それは決して彼女を悲劇のヒロインとして憐れむための描写ではない。
突き放した筆致で描かれているからこそ、何か読み手の想像をかきたてるものがある。彼女の逃亡には二つの目的がある。その目的が達成されますようにと、読みながら願わずにはいられなくなる。
住宅街の住民やその周辺の人たちも、彼女に関心を抱く。それは平穏を脅かす者への恐怖であったり、怒りであったり、単にゴシップ的な興味であったりする。ともあれ住民たちの暮らしは、彼女の逃亡劇をきっかけに、少しずつ変化していく。
社会から受ける理不尽への腹いせとして犯罪を企てていた青年も、社会生活をうまく営めないであろう息子の先行きを案じていた夫婦も、親からネグレクトされている幼い姉妹も……。逃亡犯がやって来たらすぐに対応するために行われた交代での見張りによって、住民たちはお互いのことをそれまでよりちょっとだけ深く知ったり、交流したりするようになる。
物語の終盤、逃亡劇も終焉を迎える。そして、それを機に、住民たちは自分の暮らしを見つめ直し、それぞれが抱えた問題を好転させるために自ら行動し始める。ただし、登場人物たちが抱える悩みや苦しみが完全に取り除かれるわけではない。善なる行いと悪なる行いとが明確に線引きされ、善人が幸せに、悪人が不幸になるような単純な話でもない。
それでも物語を通じ、人とのちょっとした触れ合いによって、人は変わっていけるのだということを、改めて信じてみたくなる。
『つまらない住宅地のすべての家』は、そんな一冊だ。
BOOK Review――この1冊
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ウチコミ!タイムズ「BOOK Review――この1冊」担当編集
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