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〜この国の明日に想いを馳せる不動産屋のエセー〜

パラリンピックから考える、障害と不動産業

南村 忠敬南村 忠敬

2021/09/17

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イメージ/©︎woodysphotos・123RF

東京パラリンピックの閉会式が9月5日、東京・国立競技場で行われた。次の開催都市、フランス・パリにパラリンピックの旗が引き継がれ、13日間にわたる大会が幕を降ろした。新型コロナウイルス感染症拡大を受け、1年延期された東京オリ・パラ。拙者の個人的感想は、パラリンピックの盛り上がり(これも個人的興味から)に軍配を挙げたい。

閉会式で、大会組織委会長の橋本聖子さん曰く、「その姿に、多くの人が、ここから何かを始めようと思いました」。

その言葉から連想される人々の決意や意欲。少なからず選手、サポーターのひたむきな姿に触発され、これまで思いを巡らせたことのない世界の一端を垣間見た観衆の一人として、“目からウロコ”の連続だった。

パラ卓球・岩渕幸洋選手のコメントに衝撃

拙者の個人的背景として、亡母は腎臓機能障害及び下肢機能障害を持った1級の身体障がい者で、拙者が中学生の頃から車椅子を押す生活に馴染んでいたことから、身体の障害に対する偏見は、当時の一般的な意識よりかなり薄かった。それでも五体満足な人間からそうでない人間への目線と心情は、ある種同情の域を出ず、手を差し伸べることは慈善的行為として自身の心に特別な快感と優越的な自己満足感を残したものだった。

今回、目からウロコが落ちる感覚に加え、ハートに衝撃を受けたのは、パラ卓球・岩渕幸洋さんが特集のインタビューで話されていた「ゲームの観方と楽しみ方」。彼は、「パラ卓球は車椅子と立位の種別で分けられ、障害の箇所にかかわらず出場できるので、例えば腕が一本の選手と脚が1本の選手が同じクラスで戦う場合、相手の弱点、つまり障害の部分を遠慮なく攻めなければならないんです。攻めなければ負けます。相手もそうしてくるから」と。

続けて、「僕自身、初めてこの競技に参加したとき、普通に遠慮がありました。相手に対して申し訳ないような、フェアでないような気がして。しかし、ゲームに入って、それは間違いだったことに気付いた。相手は脚の不自由な僕に対して、左右に大きく振る戦略で。負けました。これがパラスポーツの醍醐味で、スポーツとして当たり前のことなんだ」と。

だからそこを観てほしいのだと彼は言うのだ。いやぁ……参った。障がい者スポーツって、正直ハラハラドキドキして、時には感動の涙に咽びながら、我が身を改めて振り返り、「自分ももっと頑張らなきゃ!」と、湧き出た俄か意欲に陶酔しながら観賞するのが自分なりの“正しい観方”だと刷り込んでいた。

スポーツという分野は、子どもたちの教育上も重要だから、スポーツマンシップ、正々堂々、フェア精神など、競技の前提条件?がやたらとクローズアップされ、競技を通して観る者に何(感動?)を与えるのか、が重要視され過ぎている。

そこの賛否は触れないとして、スポーツ≒競技(洗練された技を競う)であって、決して“命を賭けた戦”ではないのに、現場ではやはり戦っている感が物凄く強い。国が違えば、ゲームに負けたチームや選手が襲撃、殺傷されたり、成績が振るわなかった責任を取らされ、処刑の対象となったり、というような物騒な話も尽きない。美談、美徳に酔う一方で、悪徳且つ残酷で、邪悪な心を満足させ得る娯楽として重宝されてきたからこそ、人間社会の歴史と共に発展し、政治利用までされてきたのだろう。


スポーツマンシップがクローズアップされやすい高校野球 イメージ/photo AC

そんな、スポーツの本質ともいえる部分を前面に押し出しているのが、パラスポーツのある種の面白さだと教えてもらったから、先に行われたオリンピックよりもパラリンピック競技の方を多く視聴した。

生まれて初めて心底から一つ一つのパラ競技を注意深く、そして興味深く楽しませてもらった。“ボッチャ”なんて知らなかったが、実に面白い競技だと思った。だから、下馬評に反してメダルに届かなかったり、不振な成績で終わった競技には正直に落胆し、「おいおい、もっとレベル上げろよ!」と叱咤の言葉が口を突いたことも障がい者スポーツ観戦では初めての経験だった。「酷い!」「可哀そう!」などと批判しないでもらいたい。

拙者は思う。世界最高峰の舞台に選ばれて出てくる選手たちであるから、観衆としては(当然、無責任に)期待しているのだ。日の丸背負ってんだろ!ってね。ふがいない在阪球団の先発投手を容赦なく野次る、あの感覚と全く同じ感情をむき出しで応援したパラリンピックは、拙者に新しいスポーツの楽しみ方を教えてくれた。

不動産業界に求められている住宅弱者居住支援という課題

翻って、今回のテーマに無理やりつなげなければならないのだが、東京パラで何を得たのかというと、不動産業界に求められている住宅弱者への居住支援という課題への取り組み方である。

国交省風に表現すれば、「住宅確保要配慮者」に対する差別なき斡旋の確立である。住宅確保要配慮な人とは、低額所得者、被災者、高齢者、障がい者、子育て世帯が定義(新住宅セーフティネット法)だ。この世帯に向けた国側の住宅政策として、民間住宅(主に賃貸住宅)を扱う家主や事業者に対して、『入居を拒まない賃貸住宅の登録制度』を活用した住宅の登録戸数の拡大を期待している。

しかし、これがまた遅々として進んでおらず、登録住宅戸数は期待通りに増えていない。また、登録される住宅の質的な問題も浮上しており、一般市場では人気の薄い物件の登録が目立ち、需要にマッチしていない状況が表面化している。すなわち、地域的、交通利便的に不便、賃料が近隣に比して高め、ワンルーム仕様が多いなど、いわゆる人気薄の物件だ。

そもそも、民間賃貸住宅の経営は営利目的であり、福祉目的ではない。長年この仕事をしていて、特に高齢者や障がい者に優しい住宅は未だに少ないと肌身で感じている。


高齢者や障がい者に優しい住宅は少ない イメージ/©︎imtmphoto・123RF

住宅確保要配慮者の入居に対する大家の意識として、高齢者に対して約6割、障がい者に対して約7割、子育て世帯に対して約1割、外国人に対して約6割が拒否感を持っているという実態を調査データ[日本賃貸住宅管理協会(平成26年度)家賃債務保証会社の実態調査報告書]が示すが、制限や拒否の理由として挙げられる、「家賃滞納」「生活習慣の違い」「近隣トラブル」「貸室内での死亡(事故・事件含む)」などに対する不安という至極当然な理由を、払拭できるか否かによって大家の意識が大きく改善するとは一概に言えない。なぜなら、そこには根の深い日本人特有の人権意識が要因としてあると思うからだ。

契約自由の原則と人権の問題は別

人権とは何ぞや?

人権とは、法の支配の実現されている社会の中で、人間が人間らしく生きるための条件を満たすことを要求できる権利。言い換えるなら、人間が尊厳をもって生きるために社会が保障しなくてはならない事柄を、個人に権利として与えたということだ。

拙者の世代(現在61歳)から上の団塊世代(つまり戦後の生まれ)から平成の生まれに至っても、義務教育でまともに人権教育を受けたとは思えない。人権という言葉の持つ意味を明確に説明できる一般人がとても少ないのは、やはり教育課程の問題であり、それを強いる権力≒政府、つまり国家の問題と言える。1948年、世界人権宣言を国連が採択し、それぞれの国家観、宗教観、歴史と文化の下で総論賛成、各論については自国において議論を深め、今日まで世界平和に欠かせない人類普遍の理念として意義を有している。

その13条第1項には、「すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する」とあり、我が国憲法でも22条でこれを保障している。にも関わらず、業として住宅を賃貸する側が入居を拒むなんて……。

はい、ここで必ず登場するのが“思想良心の自由”や“契約自由の原則”という議論だ。しかし、履き違えや勘違いは素直に認めたいもので、基本的人権に保障された権利を奪うことは許されないのであって、「嫌だ」という拒否権の発動(これも個人に与えられた権利であるが)は、その濫用にほかならない。

社会生活を営む以上、何人も権利と義務の狭間で生きているから、そこには常にタスクとリスクが共存している。しかし、タスクを解決するのも、リスクを負うのも両当事者平等であらねばならず、一方が過分に背負い込む必要はない。これもまた共生社会の原則だ。

例えば、下肢に障害を持つ人が、階段を利用しなければならない物件を借りたいと言えば貸せばよい。大家が借主のその後の生活を心配することまで求められてはいないのだから。

賃借人が、「このマンションは不便だからエレベーターを付けてくれ!」なんて要求しても、それは人権で保障される範囲に含まれないことは明白だから、「無理!」って言えばよい。バリアフリーじゃないことは初めから承知のうえで(自己責任の原則)借りるか、事前に交渉するか、借り手が何とかするか、止めるのかも全て契約自由の原則の範疇で、人権の問題とは全く別だ。


タスクを解決するのも、リスクを負うのも両当事者平等であるべき イメージ/©︎prazis・123RF

冒頭、岩渕幸洋さんの話を紹介したが、彼が言いたいのはおそらく、「障害とはなんぞや!? そんなもの、多かれ少なかれ人間誰もが持ち合わせている個々の特徴だ。だから甘やかさないでくれ。真正面から見てくれ。やればできることはやらないとね」ということなんじゃないかな。

やらずにできない!は、障害とは無縁。ただただ、人間の弱さなんだろう。

〜この国の明日に想いを馳せる不動産屋のエセー〜
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この記事を書いた人

第一住建株式会社 代表取締役社長/宅地建物取引士(公益財団法人不動産流通推進センター認定宅建マイスター)/公益社団法人不動産保証協会理事

大学卒業後、大手不動産会社勤務。営業として年間売上高230億円のトップセールスを記録。1991年第一住建株式会社を設立し代表取締役に就任。1997年から我が国不動産流通システムの根幹を成す指定流通機構(レインズ)のシステム構築や不動産業の高度情報化に関する事業を担当。また、所属協会の国際交流部門の担当として、全米リアルター協会(NAR)や中華民国不動産商業同業公会全国聯合会をはじめ、各国の不動産関連団体との渉外責任者を歴任。国土交通省不動産総合データベース構築検討委員会委員、神戸市空家等対策計画作成協議会委員、神戸市空家活用中古住宅市場活性化プロジェクトメンバー、神戸市すまいまちづくり公社空家空地専門相談員、宅地建物取引士法定講習認定講師、不動産保証協会法定研修会講師の他、民間企業からの不動産情報関連における講演依頼も多数手がけている。2017年兵庫県知事まちづくり功労表彰、2018年国土交通大臣表彰受賞・2020年秋の黄綬褒章受章。

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