厳しい教義と思われがちな宗教にとっての「性」その実態は?(4/4ページ)
正木 晃
2021/09/18
モテモテ美少年だった親鸞の曾孫・覚如、交情を漢詩にした一休
同性愛の流行は、巨大寺院に奉職する官僧にとどまらず、鎌倉新仏教のなかにも浸透していた。
たとえば、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270~1351)は、本願寺の基礎を築いた人物として有名だが、その覚如が少年のみぎり、同性愛の対象として大いにもてはやされたことを、自伝絵巻ともいうべき『慕帰絵詞(ぼきえことば)』に非常に詳しく述べている。
『慕帰絵詞』によれば、覚如は生まれつき容姿端麗、学才にも恵まれ、多くの僧侶たちから恋い焦がれられた。ついには、覚如をめぐって比叡山の宗澄、三井寺(園城寺)の浄珍、興福寺の信昭という当時よく知られていた高僧たちの間で、僧兵を動員して、この美少年を奪い合うという事態にまで発展してしまったらしい。
この間の事情を、覚如は、縷々というか、得々というか、自慢げに感じられるくらい、あけすけに語っている。そこには、俗人はともかく、僧侶にとって同性愛が戒律に抵触する、許しがたい行為であるという認識は微塵も見られない。
もちろん、覚如は、妻帯を主張した親鸞の末裔で、代々にわたり、本願寺を血統で継承する立場にあったから、後にちゃんと妻帯して子をもうけている。すなわち覚如は両性愛者だったことになるが、この点に関して気に病んだ形跡はない。
両性愛者といえば、やや時代は下るが、一休(1394~1481)さんで親しまれている一休宗純も女性と男性の両性を愛した。若い頃から売春宿に出没し、最晩年は、お森さんという盲目の美女と出会い、性愛の相手として寵愛した。
一休宗純/Public domain, via Wikimedia Commons
お森さんとの交情を、一休さんは得意とした漢詩に、「美人の陰(性器)に水仙花の香あり」と詠んでいる。また、「美人の婬水を吸う」とも詠んでいる。たいしたエロじじいぶりである。
その一休さんは、少年も愛した。「淫乱天然少年を愛す」と書きしるしている。
そこには、形式主義を徹底的に破壊しようとする精神が見てとれるかもしれないが、戒律を守らなかったという点では、中世の日本仏教を象徴しているともいえる。
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この記事を書いた人
宗教学者
1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。