小説に学ぶ相続争い『女系家族』②――財産を次の代に引き継ぐ、相続を考えるタイミング
谷口 亨
2021/08/20
『女系家族』(上・下) 山﨑豊子 著/新潮文庫 刊/各825円(税込)
『白い巨塔』や『沈まぬ太陽』など、鋭い社会派小説を数多く世に残した山﨑豊子。『女系家族』は、四代続いた大阪・船場の老舗の問屋「矢島商店」で巻き起こる遺産相続のトラブルを題材とした小説です。初版が刊行されたのは、いまから50年以上も前で、これまでに若尾文子主演の映画や米倉涼子主演のテレビドラマなども制作されています。
小説で描かれる相続争いは、女系家族に婿養子に入った「四代目・矢島嘉蔵(よしぞう)」の長女・藤代、次女・千寿、三女・雛子の3人娘に遺した遺言状に端を発した3人娘の相続をめぐる確執。その彼女たちを取り巻く人たちがからみ、嘉蔵のお妾さんも登場し、いかに他者に比べ自らが多くの財産を手にするか、欲望剥き出しの人間模様が展開されます。
この女系家族・矢島家で起こった相続争いの原因を検証しながら、トラブルが起きない相続の方法を探ります。
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婿養子ならではの気遣い
1回目では、戦前・戦後をはさんだ民法や時代背景の違い、それらに代々番頭という使用人から婿養子を迎える矢島家独特の家風に3人娘が翻弄されていることに、相続トラブルの原因があったのではないか、そして、相続トラブルの元になる「分配の不公平感」についてお話ししてきました。
2回目では、相続人同士のこうした不公平感が生まれる原因、その解決方法を考えていきます。
相続においては「自分の相続財産はほかと比べ少ないのではないか」「あるいは相手はもっともらっているのでは……」という不信感は誰もが抱くものです。そんなときに誰かがそれを口にすることで、相互不信が芽生えトラブルになることはしばしば起こります。
矢島家では、長女の藤代さんが総領娘としてのプライドから、自分の相続分が少ないと感じ、それが相続争いに火をつけました。
遺言状が一族一堂の前で公表された際に、藤代さんが「それでよろしおます」と言っていたら、丸くおさまったように思えます。
私が見たところでは嘉蔵さんの遺言状の内容は、公平かつ、バランスの取れた内容だと思えました。
嘉蔵さんの遺言状では、長女の藤代さんに不動産、婿養子をとった次女の千寿さんには店の経営権、三女の雛子さんには骨董品と株券と、3人それぞれ矢島家の相続財産を分割するようにとしたためられていました。また、相続時の資産額ベースでもおおよそ9600万円になるように分割されています。
しかも、千寿さんが相続した店の経営権についても、商いを継続して利益が出続ける間は不公平が生じないようにと、〈月々の純益の五割分は、長女藤代、次女千寿、三女雛子の間で三等分にして所有〉としています。
さらに店と居宅の不動産についても、〈奥内(居宅部分)の土地建物は、同上三人の共同相続財産にして、三人合議の上で適宜に処分されたし〉と、ここも公平に三等分するよう言い残しています。
これを見ただけでも、婿養子に入った嘉蔵さんの気遣いを感じます。
実は不平を言い出した長女が一番得をしていた?
イメージ/©wisitporn・123RF
小説の中で藤代さんが主張するように、店の経営権や骨董品は評価額が一定ではないため、完全に平等に分けるのは難しいものです。そのため評価基準が定まっている不動産を相続する藤代さんの相続税を考えると〈総領娘の姉が一番損な相続をするのは、納得がいきまへん〉と不満を口にするのも理解できます。
しかし、それぞれの相続財産の内容をよく見ると嘉蔵さんは、3人それぞれの立場に合わせて分配したようにも考えられます。
長女の藤代さんが相続した不動産は、土地とそれに付随する貸家50軒です。昭和30年代の相続税評価や相続税の軽減措置は定かではありませんが、現代に置き換えると、こうした借地、借家は節税効果につながる評価減制度があります。
加えて、藤代さんは離婚をして、実家に戻っています。これから先、再婚する可能性もありますが、1回目の結婚では姑との関係から3年で離婚したことを考えると、再婚してもうまくいくかは分かりません。将来、一人で生きていくことも考えられます。
とはいえ、老舗のお嬢さま、しかも総領娘としてわがまま放題に育てられた藤代さんが外に出て働くことは厳しいでしょう。
そこで生活に困らないようにするには、賃貸収入のある不動産がもっとも適した相続財産と言えるでしょう。それに加えて、次女の千寿さんのところから、利益が出ている限りその一部を受け取れるわけですから。
次女の千寿さんは、藤代さんが他家に嫁いだことで、養子を迎えたわけですから、店の営業権を相続するのは当然のことでしょう。その財産を増やせるかは婿養子の良吉さん次第です。
とはいえ、利益の6分の2は藤代さん、雛子さんに渡さなければならないのですから、なかなか厳しい内容です。
三女の雛子さんは、まだ独身で自由に暮らしています。嘉蔵さんとしては上の2人の姉に対しては(藤代さんは離婚してしまいましたが)、しっかりと婚礼道具を整えました。しかし、雛子さんにはそれをしていない。そこで骨董品と株という換金のしやすい財産を相続させたのではないか思います。とはいえ、相続財産はおおよそ3分の1ずつになっているわけですから、ある意味、上の2人に比べ婚礼道具分が少ないといえるでしょう。
現代の相続では特別受益(婚姻や生計の資本等として生前贈与や遺贈を受けているときの利益)にあたると判断されると、遺留分算定の基礎財産となるため、雛子さんはその分を多くもらってもおかしくはありません。亡くなったときからさかのぼって「3年以内」の贈与は相続財産に加算されるので、藤代さんは3年で離婚とあり、千寿さんの結婚は3年以内なので、厳密にいうのであれば、この分を差し引かれることになります。
つまり、現代の相続で考えると、藤代さんの相続分が一番多くなっていることになるのです。しかも、不動産はその後の値上がりも期待できます。このように相続の際は単にそのときの評価額だけでなく、その内容をじっくりと考える必要があります。
このことを藤代さんが気付けば、矢島家で相続争いは起きなかったかもしれません。
しかし、こうした思いや事情は、嘉蔵さんの遺言状に書かれてはいません。あくまでも3人の相続はおおよそ3分の1ずつにした内容です。そして、すでに嘉蔵さんは亡くなっているわけですから、その意図を聞くことも叶いません。
生前に相続方法を話し合うことがトラブル回避のカギ
では、どういった相続がいいか。
一番、分かりやすいのは、遺言状にそうした思いも記すことでしょう。しかし、矢島家にとってもっともよい方法はやはり「信託」を使うことでしょう。言い換えれば、誰に何を遺すのかを生前に明確にしておくのです。
そのためには、嘉蔵さんは3人娘としっかり話し合う必要があります。
生前に相続の話をするメリットには、自分の思いを相手に伝えること。そして、それに対する相続人たちのリアクションを見ることができるということがあります。
そうした話をそれぞれとすることで、場合によっては姉妹間で話し合い、3人ともに納得するかたちでの財産の分配方法が決まるかもしれません。なかには嫌々相続する財産があったとしても、あらかじめ決まったことであれば、嘉蔵さんが亡くなった後に不服を言いだすわけにもいきません(実際の相続の現場では、不服を言い出す人がいるのですが……)。
いずれにしても、時間をかけてしっかり話し合って信託契約すること。これが私のおすすめする相続の方法です。
この矢島家のスキームは、「委託者」を嘉蔵さん、それぞれの相続財産ごとの「受託者」を藤代さん、千寿さん、雛子さんのそれぞれにして、「受益者」は嘉蔵さんにする。そして、嘉蔵さんが亡くなったあとはそれぞれの財産を相続するという内容です。
相続を考えるタイミングとは
とはいえ、嘉蔵さんは婿養子ですから、妻の松子さんが亡くなるまでは財産のことに手出しはできなかったでしょう。そもそも2歳下の松子さんが先に亡くなることも考えていなかったのかもしれません。
また、昭和34年の話ですから、相続に関してまだまだ不平等な点が多かった旧民法の影響を色濃く受けていたかかもしれません。
本来であれば、女系一族の総領だった松子さんが亡くなった段階で、相続について考えておく必要があったはずです。
しかし、松子さんが他界したのは嘉蔵さんが亡くなる6年前、しかも、脳梗塞という突然死でした。藤代さん、千寿さんともにまだ結婚しておらず、後継者候補も決まっていなかったのではないかと推測されます。そのため矢島家独特の女系家族の財産を婿養子の嘉蔵さんが引き継がざるをえない状態だったのでしょう。
そして、女系家族の矢島家の財産を預かった嘉蔵さんには、矢島家の財産を次の代に引き継ぐ責任もあったはずです。
財産を次の代に引き継ぐ――そこで求められる考え方があります。それは、
「財産は、持った瞬間に出口を考える」
ということです。これは相続問題を手がける弁護士としての私のポリシーでもあります。
とくに、遺す現金が少ない場合はもめる可能性が高くなります。会社を経営していたり、不動産を多く所有していたりする場合は、なおさらその評価と相続の方法を早めに整理しておく必要があります。
矢島家も資産は多いのですが、現金が多いとはいえません。妻の松子さんが亡くなったときは、次の代が見えていなかったことがあったにせよ、やはり嘉蔵さんが生前に娘たちと話し合う必要があったのではないか。
しかし、それができなかった背景には、戦前から続いてきた婿養子という微妙な立場のせいかもしれません。それも矢島家が抱えた問題点といえるでしょう。しかも、嘉蔵さんの遺言状を読み進めていくと、さらなる相続争いの火ダネになるような一文があります。
〈五、右以外の遺産は、共同相続財産とし相続人全員で協議の上、分割すること。 〉
ただでさえもめるバックボーンがあるうえに、「残りの財産はみんなで話し合って分割してね」という嘉蔵さんの責任放棄ともとれる遺言です。
次回は、被相続人の無責任な遺言がもたらす相続トラブルについて考えていきます。
『女系家族』DVD-BOX
出演:米倉涼子/高島礼子/瀬戸朝香/香椎由宇/沢村一樹/森本レオ/浅田美代子/田丸麻紀 発売元:TBS(2005/12/07発売)
【連載】
「犬神家の一族」の相続相談
小説に学ぶ相続争い『女系家族』①――相続争いがはじまる根本的な原因はどこにあるのか
この記事を書いた人
弁護士
一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。