「犬神家の一族」の相続相談(6)―― 一般社団法人を活用して財産を公平・中立に長く守る方法
谷口 亨
2021/06/07
横溝正史の長編推理小説『犬神家の一族』。犬神財閥の犬神佐兵衛が遺した遺言状(現在の「自筆証書遺言」)をきっかけに、次々と殺人事件が起きるという小説です。犬神家の家族構成は、通常であっても相続トラブルが起きかねないような複雑なものであるうえに、佐兵衛の遺言状は、財産を簡単に相続させず、あえてトラブルを起こそうとしているようにしか思えない内容でした。
そんな犬神家の一族の遺産相続問題を、事件が起こることなく、極力、佐兵衛の思いに沿ったかたちで円満な解決策を考えようというのがこの連載です。
最終回となる今回は、佐兵衛の遺言状に端を発したさまざまな事件の回避だけにこだわりすぎず、佐兵衛はもちろん、多くの財産を持つ人に向いたオーソドックスな相続の方法を考えていきます。
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一般社団法人を使って「争族」を抑止する
犬神佐兵衛(以下、佐兵衛翁)は一代で莫大な財産を築き上げています。そのため、相続方法については、やはり生前にしっかりと整理しておくべきです。
相続というと遺言状が思い浮かびますが、被相続人の思いとずれないようにしながら、円満な相続を行うために有効な手段の1つが信託です。そこで犬神家の一族の相続でも、信託を使った相続方法を考えてきました。
この信託を活用した相続で大きなポイントになるのが、財産の管理や契約内容の執行を託される「受託者」を誰にするかという点です。
そこで第4回目では、佐兵衛翁がもっとも敬愛する恩人の血縁者で、佐兵衛翁が可愛がっていた野々宮珠世さんを受託者に。
第5回目では、逆に佐兵衛翁が財産を遺したくない佐兵衛翁の三人娘である松子さん、竹子さん、梅子さんたちを受託者にして相続を放棄してもらう方法を考えました。
(『犬神家の一族』の相続トラブルを解決!④)
(『犬神家の一族』の相続トラブルを解決!⑤)
今回は、相続財産の多い人がよく用いる方法である一般社団法人を受託者とした信託、とくに遺言代用信託(遺言を兼ねた信託契約)による相続方法を考えていきます。
一般社団法人を活用する相続は、一般社団法人の設立が2人以上の社員がいれば資本金もなしで設立することができること、事業内容に制限がないこと、株式会社のように出資比率による縛りもないなどのメリットがあります。
このため一般社団法人を使った相続は、資産家や会社経営者など財産を多く持っている人が利用する方法です。また、一般社団法人は相続税の節税対策になったためよく活用されましたが、平成30年の税制改正によって、節税対策はできにくくなっています。
一般社団法人を活用した相続では、新たに法人を設立して、というのがよくある手法ですが、佐兵衛翁の場合は、遺言状にも登場する「犬神奉公会」を一般社団法人化して、受託者にすることにしました。
小説を読む限り犬神奉公会がどんな組織なのか、どんな役割なのかについていまひとつ分かりません。ただ「奉公会」という名前からは、社員組織、あるいは社員持株会のようなものではないかと想像されます。
しかも、佐兵衛翁の遺言状では、遺産の一部の遺贈を受ける権利を付与されていたり、青沼静馬くんの行方を「全力あげて捜索発見せざるべからず」と厳命されるなど犬神家の相続では一定の役割を担っています。
また、なんらか社員組織であれば、犬神家の相続は会社の経営に直結するのですから、そうした点からも、犬神奉公会を一般社団法人化させ、オーナー家の犬神家の相続にコミットしてもらうことで争族問題を抑止する一助になるはずです。
一般社団法人を使えば、相続のバリエーションが豊かになる
では、どのような信託契約にすべきか。一般社団法人化した犬神奉公会を受託者にしたオーソドックスな遺言信託のスキームは次のようになります。
はじめに佐兵衛翁を委託者、受益者とし、「一般社団法人犬神奉公会」を受託者とした信託契約を結びます。そのうえで佐兵衛翁が亡くなったあとは、遺言状にある条件の通りに珠世さん、佐清くん、佐武くん、佐智くん、青沼静馬くん、そして犬神奉公会が遺贈を受けるような信託契約を締結するわけです。
こうした信託契約では、佐兵衛翁の遺産の名義は犬神奉公会に移りますが、それに際しては譲渡税などかかりません。犬神奉公会はあくまでも佐兵衛翁の財産管理を行うだけです。しかし、佐兵衛翁が亡くなった場合は、その相続財産はいったん犬神家から離れるため、長期にわたって犬神奉公会が佐兵衛翁の財産を管理、保全することができます。
さらに
<犬神家の全財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧、琴、菊は……野々宮珠世に譲られるものとす>
からはじまる、複雑な佐兵衛翁の遺言状に書かれた内容を実行しやすく、さまざまなバリエーションを持たせることもできます。
加えて相続税の申告期限の問題があります。ご存じの方も多いと思いますが、相続税の申告期限は、被相続人が亡くなってから10カ月以内にしなくてはなりません。
しかし、犬神家の相続では、佐兵衛翁の遺言状が開封されるのは「佐清くんの復員後。あるいは佐兵衛翁の一周忌を期して」とされていました。加えて、相続が確定するまでは犬神家の事業、財産管理は犬神奉公会が代行するとされており、この点からも犬神奉公会を一般社団法人化し、信託契約の受託者にすることは理にかなっています。
このため相続財産を犬神奉公会に移し、相続税の申告を確定させるというのが現実的といえるでしょう。
法人の場合、10カ月以内に誰が管理者、受託者、受益者になるのかなどを決定して申告すればいいので、10カ月以降に変化があれば、そのときに修正することも可能です。
特殊な犬神家の相続での法人活用のポイント
しかし、このオーソドックスな信託契約では問題もあります。まず、一般社団法人のトップである理事長を誰にするかという問題です。何しろ佐兵衛翁の莫大な遺産を預かる組織ですから、そのトップをめぐってはトラブルが起きかねません。そこで私が提案したいのは、
「一般社団法人犬神奉公会に全財産の管理を任せ、理事長は野々宮珠世とす」
佐兵衛翁にはこうした内容の遺言状だけを遺してもらうということです。
やはり佐兵衛翁の財産を預かる犬神奉公会のトップは佐兵衛翁がもっとも信頼する珠世さんになってもらうのが一番いいでしょう。
そして、佐兵衛翁が亡くなったあとは犬神奉公会のトップになった珠世さんが佐清くん、佐武くん、佐智くんのいずれかと結婚すればそのまま相続すればいいですし、しないのであれば犬神奉公会のトップとして信託契約にそって、珠世さんに相続を進めてもらいます。
犬神奉公会にとっても佐兵衛翁が信頼している珠世さんにトップになってもらうことで、オーナー一族である犬神家に対する防波堤になり安心できるはずです。一方、珠世さんも三人の誰とも結婚しなければ、何も相続できなくなりますが、犬神奉公会のトップになれば、遺産の一部が奉公会に入ってくることになります。両社にとってはウィンウィンな関係になります。
相続を円満にするために必要なこととは?
佐兵衛の人となり、犬神家の家族構成、複雑な遺言状から、犬神家で事件が起きないような相続案を6回にわたってお話ししてきました。
そもそも『犬神家の一族』は小説ですから、事件が起きなければおもしろくはありません。本来は、このような架空の、しかも戦後直後の話に対して、いまの法体系に合わせた遺産相続を考えるというのも無茶な話かもしれません。
しかし、実際の相続の現場では、えっと思えることが起こるのも事実なのです。
相続の相談を受けていて感じるのは、相続人への「愛」(子を思う親の無償の愛)が足りないと争いが起こるということです。
この佐兵衛翁の遺言状を見ても、佐兵衛翁の珠世さんへの思いの強さを感じますが、三人のいずれかと結婚をしなければ相続できないわけですから、これは結婚を強要しているともいえます。しかも、三人の孫を競い合わせるための、対象とさえされています。
このように佐兵衛翁の遺言状からは、一番大事にしていると思える珠世さんに対してすら、その愛に疑問を感じます。
相続で揉める遺言状の共通点は、被相続人が一方的に「何を誰に相続させる」と記しているということです。つまり、被相続人の思いだけなのです。
忘れていけないのは、相続が行われる現場には被相続人(遺言状を書いた人)はいないということです。実は、このあたり前のことが忘れ去られた一方通行的な遺言状が多いのです。
しかし、被相続人の思いだけを押しつけられた遺言状を遺された相続人からすれば、不満があっても、それを伝えたい被相続人はそこにいません。そのためその不満は他の相続人に向けられ、それがトラブルの原因になるのだと思います。
遺言状を遺すのであれば、「何を誰に相続させる」ということだけなく、「なぜそれをその人に相続させるのか」という理由を記すだけでも相続争いを減らすことにつながると思うのです。
自分が亡き後、大切な家族がもめないように遺産を整理しておくことは、「愛」であり、「思いやり」です。この『犬神家の一族』という小説の面白さは、その佐兵衛翁の「愛」や「思い」がどう屈折したものになったのか、その謎を探偵の金田一耕助が解き明かしていくところにあるのではないではないかと思います。
そんな犬神家の遺産相続は、どんな敏腕弁護士であっても、もしかしたら解決できないのかもしれません──。
(『犬神家の一族』の相続トラブルを解決! おわり)
「犬神家の一族」の相続相談(1)――臨終の席で明らかにされた遺言状の衝撃
「犬神家の一族」の相続相談(2)――複雑な家族関係に込められた犬神佐兵衛の思い
「犬神家の一族」の相続相談(3)―― 一族を震撼させた犬神佐兵衛の遺言状
「犬神家の一族」の相続相談(4) ――「信託」を使えば犬神家で起こる事件を防げるか
「犬神家の一族」の相続相談(5)――いかに遺留分を放棄させるか
この記事を書いた人
弁護士
一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。