子どもファーストで面会拡充を実現——愛する気持ちは一緒だからできたこと(前編)
しばはし聡子
2021/10/02
イメージ/©︎dolgachov・123RF
こんにちは。離婚後も両親で子育てする共同養育を実践しているパパ・ママを紹介するインタビュー特集。
今回は、突然子どもと会えなくなった別居父の登場です。調停を経て現在は、離婚調書に書かれている面会内容よりも拡充したかたちで面会交流が実現できているのはなぜか? 子どもに対する想い、またその伝え方やお相手との関わり方、つらい思いとどう向き合ってきたのか、聞いてみました。
——まず、離婚までの経緯を教えてください。
別居を2年、今年4月に離婚が成立しました。小4の息子がひとりいます。
2010年に元妻と出会い、その年に子どもを授かり、いわゆるおめでた婚でした。離婚の原因にも関係していると思うのですが、交際期間が半年程度しかなく、お互いを知らなさ過ぎたのかなと思います。元妻は、同じ大学の学部の後輩だったので、もちろん知っていた存在ではあったのですが、男女として過ごす時間が少なかったように思います。
とはいえ、8年は一緒に生活をしていまして、その間は仲良く過ごしていました。特に最初の3年ぐらいは楽しく過ごしていたと思います。そういったなかで、マイホームなども購入し、それまでは順調だったのが、ものごとが落ち着いていくにつれてイベントも少なくなっていき、だんだんコミュニケーションがなくなっていったことで、心の距離が開いていったように思えます。
——別居となったときのことを詳しく教えてください。
普通に家に帰ったら真っ暗で誰もいなくて、机の上に調停の申立の書類だけがありました。その日も数時間前までは子どもにも「今日、サッカー迎えに行くね」「今日はママが迎えにくるから大丈夫」「じゃあ、仕事して帰るよ」なんて話していたので、本当にびっくりしました。
——別居となる予感はなかったのでしょうか。
元妻が子どものおもちゃを捨てたりとか、きれいに片づけているな、くらいしか思わなかったです。ぼくが鈍感で気付かなかっただけかもしれないですが、まさか、という感じでした。
相手の居場所も全然分からなくて、妻側の弁護士からの書面には「子どもと会わせないつもりはないけれど、すべては調停で取り決めをしていきたい。本人や本人の両親にも連絡をしないでください」といった内容が書いてありました。
——そのとき、どんな気持ちになり、どんな行動を起こしましたか?
いずれ離婚するかもしれないと思っていた部分はあったのですが、自分も息子のサッカーチームのコーチをしたりと深く関わりを持っており、正直子どもとの距離感がすごく近かったし、今すぐに離婚にはならないと思っていました。調停の申立書を見た瞬間、わけが分からなく、ただただ呆然としました。
そして、状況を確認しなくてはいけなかったので、妻側の弁護士に問い合わせをしました。「どういうことですか?」ときくと、「いまは担当者は夏休み中です。来週までいません」と言う対応で……。
相手が弁護士を付けているし、調停をやったことがないし、弁護士からすべてを調停で決めましょう、ということ言われてどうしよう!と、ただただ怖かったです。ひとりで戦ったら、弁護士にやり込められるんじゃないかなとか、ひとりで考えると不安な気持ちを駆り立てられてしまって。それで友人に弁護士がいたので、翌日会社を休んで、すぐに連絡をして相談をしました。
最初は何も相談なく連れ去られてしまったことに悲しみがあり、話し合いができないままだったので、すごく残念な気持ちでしかなかったんです。自分としては相手と話をして、それで改善ができると思う部分があると思っていました。だから離婚はしたくないし、話し合いをしたいし、調停もやめたいと思っていたけれど、そういう感情に元妻はならなかったので、調停で話すことになりました。
——子どもを取り戻そうという気持ちはなかった?
初めは、子どもの引渡し請求を考えたりもしました。
調停が始まったときに、りむすびをabemaTVでたまたま見て、そこにしばはしさんが出演されていて、共同養育のことを知りました。子どもと離れて暮らしていても共同で子どもを養育で養育することができるのか、と初期の段階で知ることができたので、争わずに歩み寄り、という姿勢で最初からいこうと決めていました。
ただ、男の子だし、母親だけでは大変な部分もあるのでは?と思ったことも事実で、自分が引き取りたいし育てたいという考えもよぎりました。ただ、子どもは母親のことももちろん大好きなので、母親といた方が幸せなのかな、という考えもあって。そのとき、子どもを連れて行ったことに対して、子どもを置いて出ていかないでくれたことに愛情を感じて、連れて行ってくれたんだ、と捉えるようになり、よかったんだ、と思いました。子どもを置いて母親が出て行くよりはよかった、と純粋に思えました。
今回の件は夫婦の問題であり息子を巻き込みたくないし、息子には本人の自由が尊重された生活を確保されるべきだという思いが強くありました。
——一貫して争わずに相手を責めたりしないで進めていったのでしょうか?
相手に対して追い詰めとかはしなかったですね。怒りや不満、不安な点を伝えようとしたときも、自分の弁護士から「それは言わないでおきましょう」ということを言われたりしました。今思えば、弁護士にストレス発散していたように思います。それで消化できていました。ひとりで戦っていたら、自分が思っていることを調停委員にぶつけてしまい、きっとよくない印象だったと思いますし、今のようにうまくいかなかったと思います。
——面会交流調停の申立は起こしましたか?
妻側から離婚と面会の調停が申し立てられていたので、私からはしていないです。最初は本当に会えるのかな?というところが不安でした。子どもとなかなか会えず、子どもに近づいてはいけないと言われていたので、会えるのはいつだろう?と。その間は調停が始まってもつらかったですね。
——そのとき、早く会わせてと催促しなかったのでしょうか?
別居した2019年8月からその年の年末まで会えなかったのですが、調停で決められたことを、それまで粛々と対応にのっとってやっていきました。ただ、自分が我慢するのはよくないとも思っていました。全然納得していない部分もあったので、子どもを連れていかれてしまって悲しくて、自分も会いたいし、会えないという状況を全く理解できなかったんです。
そのときに自分が起こした行動は、学校へ相談に行きました。学校で自分の状況を伝えて、担任の先生や校長先生、教頭先生とも話して、子どもと会えない状況です、と正直に話しました。息子と会えないと自分がとても不安定だし、息子の様子も気になると。学校からは、学校で会わせることはできませんと言われ、仕方ないなと思い、自分としては息子の様子も心配だから、手紙を書くのでそれを息子に渡してくれないかと提案しました。
そうしたら、学校側はそれはOKとしてくれました。別居して1週間も経たたないうちから毎朝会社に行く前に、手紙を書いて学校の担任に届けて、担任が昼休みに息子に伝えてくれました。息子が当時2年生だったのですが、ひとこと、ふたこと返信をくれる、というのをずっと続けてこれたので、調停で会えなくても少しは心が穏やかでいられたのかなと思います。
——まず学校はかわっていなくて、先生が架け橋になってお子さんからも返信が届くようになったと。働きかけをしたかいがありましたね。
学校側も最初は関わりたくないという感じでしたが、息子と自分の関係性をオープンにしたことで、「お父さんの存在も大切ですよね」と共感していただけたという状況です。息子が2年生を終えるまで手紙を書き続けました。その行為に関して、元妻はやめてほしいとか防御するようなことはなかったので有難かったですしやりとりできたことに感謝しています。
―後編につづく―
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この記事を書いた人
一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント
1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️