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週末は田舎暮らし! を始めよう(24)

田舎の家を「未来の空き家」候補にさせないために、いまできることを考えた

馬場未織馬場未織

2016/09/09

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週末田舎暮らしのわが家を、友人に貸してみた

今年の夏休みのことですが、友人一家が南房総で1泊することになりました。

どこかの旅館か民宿をとって泊まるようなニュアンスの連絡だったので、ふと思い立って、「うちを使ったら?」と提案してみました。

わたしたちが南房総の家に滞在していたのは土曜、日曜。

彼らが滞在するのは日曜、月曜。
 
タイミングよく直接鍵も渡せるし、家族水入らずでのんびりしてもらえるんじゃないかと思ったわけです。

そう伝えながら、ひょっとしたら野暮な提案だったかな? という思いも胸をよぎりました。せっかくの夏休みなのだから、宿の料理を楽しんだり大きなお風呂に入ったりして、お客様としてのんびり過ごしたいんじゃないかなと。わが家は築120年ほどの古民家ではありますが、いってみればただの家ですので、ホスピタリティもありません。

しばらくして、「使わせてもらえたらうれしい」という連絡がきました。

おお、少しは役に立ったかな? とこちらもうれしく思ったのも束の間、こんどは一転して「使ってもらうにしては掃除が行き届いていないや…」とくよくよするわたし。笑。

自分たちが不在な状態で自宅を貸す、という経験に慣れていないのです。

まあでも、住宅はホテルではないしな。多少雑な部分は目をつぶってね! と一方的に割り切ることに。「はい、ごゆっくりね」と鍵を渡すと、「ありがとう、気をつけて!」とわが家の前で手をふる友人一家。

灯りのついた家を残して東京に帰るのは、何だか温かいことでした。

いま使われている家も、未来の空き家候補

思えば、二地域居住で利用する家は、不在なことが多いです。

わたしたち家族がどれだけ南房総の家に愛着を持っていようとも、地元の方にしてみれば、半分空き家みたいな状態に見えるだろうなと、改めて感じます。

こうした状態の家は、日本中にどれほどあるのでしょう。

わたしたちのように週末滞在の形のほか、「夏は毎日いて冬はほとんどいない」「1カ月に一度、仕事で訪れる際に滞在する」「年に数回、親族と集まるときにだけ利用する」など、あらゆる形の『半空き家』が存在しているはずです。

まったく使われていない完全な「空き家」が日本中に増えているなか、低頻度でも使われていればよし、と考えることもできますが、半空き家の使用頻度を高めていくことも、一方では大事な流れではないかと感じます。

というのも、使われている家には、それなりの理由があるとも思われるからです。

立地や利便性がよかったり、眺望や雰囲気がよくて手放し難い、ちゃんと空気を入れ替えているから古くても状態がいい、近所との関わりが順調で居心地がいい、など。もちろん惰性で使われている場合も多いでしょうけれど、どこかに、住み手の離れない理由があるとも考えられます。

NPOの「空き家調査・活用事業に関連した視察」のなかでは、“未来に残せそうな空き家”はそれほど多くはない、という現実を目の当たりにします。

空き家になって月日が経つことで傷んでしまった場合もあれば、他のさまざまな条件から次の入居者が募れなかったのだろうという事情が見てとれる場合もあります。

言い換えると、次の入居検討者は、新旧の程度や単純なスペックとは違う角度で、「古くても傷んでいてもここに住みたい」「新しくてもわざわざここに住みたくはない」とジャッジしていくことがある。

そのとき、どれだけの空き家が社会資本として残せるのだろうかと、ふと立ち止まります。

さらに、いま使われている家も、そのすべては人口減少の折りに「空き家候補」となるわけで、いまある空き家とまったく同じように残せる家、残したい家があり、そうでないものも出てくる、と考えられます。

これから建てられる家についても、同様です。

自分の家を客観視する機会をもつ意味

週末わたしたちの暮らす南房総の家は、いまのところ住宅として利用するにとどまっています。Airbnb(*)としての利用を考えたこともありますが、家族がいつでも来たいときに来られて、東京の家と同じように無防備に安心して暮らせる拠点であることに価値を感じている現状では、無理はやめよう、と思った次第。

ただ、先日の経験から、知人や友人に利用してもらう、ということはできそうだと確信しました。そうすれば、少なくともこの家が「空き家状態」になる日数は減ります。また、使ってもらう相手に、この家やこの地域をより深く知ってもらうことにもつながります。

わが家に1泊した友人は、わたしがすすめたように、朝デッキでコーヒーを飲み、外を眺め、里山に流れる音に耳を傾けていたそうです。生きものの音、強風に煽られて竹のガサガサいう音、先のほうにある県道の音。それは必ずしも素晴らしいものだけではなかったでしょうが、ことばでは伝えきれない場のリアルを体感したはずです。

そのフィードバックを受けたとき、ただの“自分の家”だったわが家が、自分の手を離れたときにどんな価値を発揮するのか、あるいはどんな住みにくさをはらんでいるのか、考えることになりました。

「自分の息子が継いでくれるかもしれない」という、妄信に近い期待によって放置されている田舎の多くの空き家は、家主の手を離れる想像を持たれずにそうなっていったのでしょう。それが必ずしもハッピーな結果を招かないことを考えると、“自分と、自分の家を切り離す”というシミュレーションを重ねることには、大きな意味があるはずです。

空き家をどうするか、という問題に心を砕くのと同様、未来に空き家をつくらないために何ができるのか、住み手が自身の持ち家を相対視して考えていく必要があると感じています。

*Airbnb(エアービーアンドビー):サンフランシスコ発信の、家を単発で借したい大家と、それを借りたい人をつなぐマッチングサービス。世界中で利用されており、主に旅行者に使われています。

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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