「有機野菜だけが正しい」という考え方は正しいか?
馬場未織
2016/04/01
つくると変わる、野菜への意識
念願の田舎暮らしを始めたら、たとえそれまでやったことがなくても「畑やろうかな」と思う人が多いはず。斯く言うわたしも、南房総に拠点を持つまでは土に触れる生活をしたことがなく、野菜はスーパーで買うものでしかありませんでした。
それが、いったんやり始めたらこれが聞きしに勝る楽しさで、すっかり「趣味は畑です」なんてぬけぬけと言うようになっています。
せっかくやるなら無農薬や減農薬、有機栽培、不耕起栽培など人間にも地球にも負荷のかからない方法で食べ物をつくりたいと願うようになるのも、田舎暮らしを始める人の常であります。
そうしてちょっとでも生産現場を知るようになると、買う野菜の選び方も、変わってきたりしますね。農家さんの顔の見えるものがいいな、とか、なるべく薬を使わないでつくられたものにしよう、とか。
しかしですね。
都会で「有機野菜」「無農薬野菜」などを買うと、高いですね!
食べ物というのはどこまでもこだわることができます。産地へのこだわり、生産過程へのこだわり、味へのこだわり。
こだわりは、値段に反映します。そりゃそうです。手間をかけて丁寧につくられてきたものですから。“無農薬野菜”なんて字面としてはずいぶん見慣れてしまいましたが、農薬を使わないことで生じるリスク、それらを乗り越える苦労、安定供給までの道のりを考えたら、どんなに高い野菜も「こんなんじゃ採算合わないんじゃない?」と思うくらいです。
畑づくりをかじると、農家さんの大変さをトレースすることができるようになります。
だから、できるだけそういう野菜を購入して、農家さんを支えたいと思う気持ちが膨らみます。
オーガニック野菜を食べる選択、食べない選択
一方で、現実的な話ですが。
うちの場合は、すべての野菜を無農薬・減農薬・有機野菜などにすると、ちょっと財政が厳しいです。
もちろん、週末に自分の畑で獲れたものやもらったものがあり、地元の野菜を買うことなどでずいぶん助かっていますが、それでも東京で野菜を買うことだってある。そんなとき、オーガニックコーナーの値段を見て、目玉が飛び出そうになったりね。
実は若い頃、勤めていた建築設計事務所で女性のボスと言い合いになったことがあります。
彼女は環境や食べ物に対する意識が高く、いつもオーガニックな服を身にまとい、オーガニックな野菜を食べていました。そして、「ババサンも、オーガニックなものを買ったほうがイイんです。安い野菜は、ポイズンです」と言われていました(あ、アメリカ人でした)。
わたしはそのとき、何か大きな違和感を覚えました。
もちろん、オーガニックなものは健康にいいでしょう。
でもさ、高いよね。
わたしの給料、低いよね。
毎日オーガニック野菜を買って食べてたら、破産するよね。
(あ、当時の建築設計事務所の給料は恐ろしく低かったのです)
なのでボスに言いました。「オーガニック野菜を食べられる人は、食べたほうがいい。でも、経済的な理由でそれらを買うことのできない人は、どうすればいいんでしょうか。買いたくても買えない人に対して、毒を食べていると非難していいんでしょうか?」と。
すごく生意気ですよね。
わたしも若かったので、いまよりトガッてたのです。笑。
で、彼女はわたしにこう言いました。
「なるべくたくさんの人がオーガニック野菜を買い、“安ければいい”というつくられ方のものを買わないようにすれば、全体のクオリティが上がります。そのために、高いと思ってもわたしは買っている。ほかに欲しいものがあっても、それをガマンしてオーガニックのものを買う。そうやって世界をヘルシーな方向に変えていくしかないでしょう?」
うん。ボスは基本的にはけっこう正しかった。
そして強かった。笑。
でもわたしは言いました。
「オーガニック野菜を食べること、そういう農家さんを支えることは大賛成です。でも、オーガニック野菜以外が毒、というのは極論で、一般的な人たちが食べる安い野菜をつくる農家さんは間違っているという考え方は狭すぎる。それはある種の、選民思想だと思うんです」
この言い合いがどう決着したか、残念ながら覚えていません。
でもいまでも、このときの何ともいえないもやもやした気持ちが忘れられません。何となく、噛み合っていない議論だった気がします。
きっと、彼女にとっての最大の関心事は、自分と地球を結ぶひとつながりの環境という「タテの軸」であり、わたしにとっても最大の関心事は現代社会の貧富の格差という「ヨコの軸」だったのだと思います。
さまざまな正しさに、心を傾ける
現在のわたしは、そのどちらもに興味があります。
その上で、なるべく応援している農家さんの野菜や米を買うようにしています。その人がつくったものだと思うと食べる喜びが増すし、信頼感が大きいからです。
でも、そうでないものもけっこう買います。それぞれの農家さんがつくったものがブレンドされて売られている地域のお米も好んで買います。経済的な理由が大きいですが、それだけではありません。
以前、うちの近くの大きな米農家さんが、こんなことを言っていました。
「僕たちは、地域を支える米をつくっている。地域の雇用を生み、地域の一般家庭が食べる米をつくっている。それを、美味しくつくる努力をする」
みんなが普通に食べるものを、いかに安く、安全に、美味しくつくるか。
特化されたブランドをつくる努力とはすこし意味合いの異なる、公共への意識のあるその言葉に、心を打たれました。
強い輪郭を持たない生産物だって、農家さんの思いの乗ったものなのだと、改めて思った瞬間でした。
もちろん、そんな善意のある生産者ばかりではないと思います。
でも、地域を支えているベースがあり、それとは一線を画したブランドがあり、そのどちらもの意義を理解した上で、自分の生活状況や考えに合った食べ物を選んでいくという、冷静な暮らしがしたいと思っています。
いつまでも初心者のへっぽこ週末農家ですが、食べ物に対するそんな想像力だけは、ほんの少し育ったかもしれません。
みなさんは、どんなものを食べますか。
それは、なぜですか。
この記事を書いた人
NPO法人南房総リパブリック理事長
1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。