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炎上した「都道府県魅力度ランキング」を覗いたら、魅力ある地域の条件が見えてきた――群馬県には『頭文字D』という宝がある(3/3ページ)

朝倉 継道朝倉 継道

2021/10/26

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いまはさいたま市の一部となっている浦和(旧埼玉県浦和市)は、近年いわゆる「住みたい街」の上位にたびたび顔を出す常連となっている。東京以外の首都圏では、隣の大宮も巻き込んで、横浜や鎌倉・湘南地域に次ぐブランドを備えつつあるといっていい。

しかしながら、古い人はよく知っている。90年代半ばくらいまでの浦和といえば、離れた地域の人に想像してもらえるような「絵」がほとんど見当たらなかった。ある一部の人々の頭にのみ、「ボートレースの戸田・オートレースの川口・競馬の浦和」といった、何やらタバコとアルコールとアンモニア臭のにおうトライアングルの中にある記号として、その名前が存在した程度だろう。

その浦和に強烈な非日常性をもたらしたのが、ご存じのとおりサッカーだ。さまざまな人々の努力と経緯から、いわゆるビッグクラブがこの街に育つとともに、日本最大のスタジアムもこの街に生まれた。すなわち“Jリーグで活躍する浦和レッズ”がスタートした1993年以降、浦和は全国に向けてブランドを発信する街になった。

そのことによって浦和は、誰も知らない街から「知りたい街」に劇的にポジションを変えた。同時に、もともと他に抜きんでて教育熱心な土地柄であるなど、街がもつ素地の部分にも光が当たるようになった。

ついには「住みたい街」の上位という、かつてはありえなかった栄光が、いまやもたらされるに至っている。

鎌倉市民は動かない

以上のとおり、地域のブランドの正体とは、実は「非日常性」であるというのが私の持論だ。

そのことは、神奈川県の鎌倉市のような、およそ住むには不便な街(特に旧市街)に対し、外部の人がいたく憧れ、中の人も多くが誇りと満足をもって暮らしていることの最大の理由にほかならない。

鎌倉には、歴史や文章、歌や映像、さまざまなストーリーがそれこそ満ち溢れている。そのうちいくつかは、年月によるプレミアがつくかたちでレガシーにもなっている。加えて、休日には「ニッポン」や「グルメ」も求めて、多くの人がこの街を訪れる。鎌倉はそのたび非日常性の舞う賑やかな舞台となる。

なお、そのことは住人のストレスに拍車をかけてはいるが、それ以上に彼らの誇りをくすぐってもいる。なので、観光客がうるさく、道路が混むからといって、鎌倉を出てほかへ引っ越す人の話を私は聞いたことがない。

つまりは、それこそが都道府県魅力度ランキング6位の神奈川県を支える大きな柱のひとつでもある、鎌倉のもつ強力なブランド力だ。よって、都道府県にしても、市町村にしても、ブランドを築きたいのならば、とにかく非日常性を気にすることだ。非日常性をそなえた発信と、地域の名前とがリンクするかたちを日々模索し続けることだ。

やがてその先に、求めているブランドは必ず芽吹いてくるはずだ。

群馬のもつ“世界のストーリー”

群馬県に戻ろう。

都道府県魅力度ランキング44位の群馬県が保持している、すでに世界中に広く発信されているすごいストーリーがひとつあることを読者はご存じだろうか。似たものは栃木も茨城も持っていない。しかも草津温泉などと違って、これには群馬=GUNMAの5文字もくっきりと刻印されている。

漫画・アニメの『頭文字(イニシャル)D』だ。


新装版 『頭文字D』(1)/KCデラックス 刊

“ストリート&クルマ”という、世界を跨ぐポップカルチャーを代表するIP(インテレクチュアルプロパティ=知的財産)として、『頭文字D』は、アメリカ映画『ワイルド・スピード』シリーズに次ぐ力を持つはずだ。特にアジア市場に限っては、両者の影響力は逆転しているかもしれない。

なお、近年、中古日本車の国際的な価格高騰が話題になり、投資資産化さえしているが、これに影響するところも、この作品にあってはもちろん大きいだろう。つまり、このような宝をもつ群馬県は、世界が注目するWRC(世界ラリー選手権)の舞台を愛知や岐阜に奪われている場合ではないということだ。

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この記事を書いた人

コミュニティみらい研究所 代表

小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。

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