「道路族」の騒音に現代人が深く悩む理由は、日本人みんなが賢くなったから?
朝倉 継道
2021/10/23
イメージ/©︎halfbottle・123RF
コロナがクローズアップした住宅騒音と道路族
不動産まわりで「音」の話題といえば、昔から楽しい内容はあまり耳にしない。
特に、世の中が新型コロナウイルスによる「コロナ禍」に覆われた昨春以降といえば、集合住宅での騒音苦情への対応が、賃貸・分譲問わず、不動産管理会社の大きなテーマとなった。
理由は、外出自粛や学校の閉鎖、テレワークなどによる人々の在宅時間の増加だ。この間、マンションやアパートの内側では、住人の出す生活音や騒音が当然のこと普段よりもどっと増えたこれにイライラの募った人々の不満が、管理会社や賃貸住宅オーナーのもとへ次々と寄せられることになった。
公益財団法人日本賃貸住宅管理協会の調査によると、全国の半数以上にのぼる賃貸不動産管理会社が、新型コロナの影響として、「クレーム・問い合わせが増加」を挙げている(第25回賃貸住宅市場景況感調査・日管協短観)。これらの多くは騒音への苦情と見られ、実際に私の周りでも、昨年はこのことが原因で入居者を失う話が少なくなかった。
一方、不満をぶつける窓口が通常存在しないのが一戸建て住宅だ。さらには、それが並ぶ住宅地となる。こちらでは、路上で遊ぶ子どもや、集まって談笑する親たちが出す声や音が問題となっている。いわゆる「道路族」だ。
住人間のトラブルにとどまらず、深刻な例では、道路族の騒音に耐えかねて心身の病をわずらったり、ついには家を手放したりする人もいるとのこと。そうした気の毒な方には、心よりお見舞いを申し上げるほかない。ただ、一方で、道路族に苦しむ人たちに対しては、よく疑問の声が挙がるのも事実だ。「なぜそんなに悩むのか。昔はもっとうるさかったじゃないか」と、いうものだ。
え! 昔の人は頭が〇〇かった!?
「昔の路上はもっとうるさかったじゃないか」――。
その見方には120%同意ができる。
なぜなら、私の子ども時代など、子どもはとにかく道路でよく遊んだ。男の子は毎日野球に仮面ライダーごっこ、女の子はゴム跳びとケンケンパの世代だ。なので、当時各地の下町などに巣くっていた悪ガキたちといえば、道路族どころか、まさに町の騒音ギャングだったといっていい。
学校や幼稚園が終わる昼すぎから、夕方の時報サイレンが鳴るまで、地面はまるで落書きノート、路上は喧騒の嵐だった。似た状況は、少なくとも団塊ジュニア世代が小学生だった頃までは、地域によっては続いていたのではないか。
もっとも、ここで誤解してはならない重要なことは、当時の人々が、皆揃って音に寛容で、騒ぐ子どもたちを温かく見守っていたわけではないことだ。
「うるさい」と、子どもをどやしつける大人は近所に大勢いた。
「この道路で野球するな!」「ウチの庭でかくれんぼするな!」「屋根にのぼるな!」「玄関で落書きするな!」
われわれは、そういった大人に、とにかく何度も何度も、繰り返し繰り返しよく叱られていたものだ。ただ、ひとつ面白いことには、そうした苦情がわれわれの親にまで伝わった記憶が私個人としては一度もない。
ギャングたちが唯一怖れる存在である親には、なぜかギャングたちの昼間の行状が伝わらないのだ。私だけではない。友人らもそうだっただろう。それゆえ、われわれ子どもの方も、性懲りもなく同じことを繰り返す。先週と同じ路地で野球をしては叱られ、同じ庭に入っては怒られを幾度も幾度も、反復継続してしまうというわけだ。
なおかつ、奇妙なことに、そうした叱るおじさんやおばさんは、ご近所の大人同士として、われわれの親たちとはちゃんと仲がよかったりする。会えば普通に笑顔で世間ばなしする。怒れるおじさんのうちのひとりなど、実は文房具店主だったが、子どもが客として訪れると、いつも満面の笑顔で鉛筆や消しゴムを売ってくれた。
つまりこの人は、昨日は大事な客をつかまえて「コラーッ」と怒鳴っていたわけだが、一夜明けると生まれ変わったかのように過去への頓着を失っている。なので、子どもの方も、安心して店に飛び込んでいけるかたちとなるわけだ。
さて、ではこうした古い人々の不思議なメンタル、いわば一貫性のないいい加減なメンタルというのは、何がこれを培っていたのだろう。私は、あえてひどい言い方をするが、昔の人は「頭が悪かったのだろう」と、単純に思っている。
頭がよいから人は悩む?
頭が悪いということは、要は、行動が反射的であるということだ。逆に、頭がよいということは、行動や考えが落ち着いていて論理的であることを意味する。
昔、われわれをつかまえ、「うるさい」「コラーッ」と叱っていた近所のおじさん、おばさんは、おそらくはいまの大人であるわれわれよりもずっと頭が悪かった。なので、子どもが家の前で騒げば、ガラガラッ!と窓を開け、大声で一喝し、子どもが驚いて立ち去ると、それですべてが完結した。
生じたストレスに対し、彼ら・彼女らは、それを解消するのに十分な「反射」をそこで成し終えたのだ。すなわち、言ってみれば、それは犬が見知らぬ人が近づくのを見て吠え、相手の姿が見えなくなればたちまちそれを忘れ、平常を取り戻すようなものだ。
犬のように純朴で単純だった当時の怖いおじさん、おばさんたちは、一旦反射を終えれば、怒りをスッキリと忘れ、怒りの原因をも忘れてしまう。同様に、子どもたちも、子どもたちらしく、数時間も経てば叱られたことなどこちらもサッパリと忘れてしまう。そのため、同じイベントの繰り返しが、その後も飽くことなく続けられるかたちとなるわけだ。
ところが、頭のよい現代人のわれわれとなると、こうはいかない。
「今日、子どもが長時間家の前で騒いだ」
「ならば明日も騒ぐかもしれない。来週も騒ぐかもしれない」
「子どもたちはいまにボール遊びも始めるかもしれない」
「庭に入ってくるかもしれず、車が傷付けられるかもしれない」
「注意すれば子どもは親に訴えるかもしれない」
「親も常識のない人間かもしれない」
「恨まれるかもしれない」
「反撃してくるかもしれない」
「家庭同士のトラブルになるかもしれない」
「どうしよう。地獄だ」
論理による暗い予測が次々と脳裏に生じ、心がむしばまれていく。これはとりもなおさず、われわれの頭がよいため、論理的であるためだ。また、論理は逆にアグレッシブな方向にも作用する。
「子どもの管理責任は親にある」
「ならば、敵は騒ぐ子どもの親だ。軽蔑すべきはあの親たちだ」
「彼らに相応の視線を向けてやろう。相応の態度で接してやろう」
至極単純な帰結に思えるが、おそらく昔の人はなかなかこのようには頭が回らなかった。つまり、これこそが、目の前の子どもは叱りつけるが、その親とは何のわだかまりもなく仲良くできてしまうという“離れワザ”が彼らに可能だったゆえんだ。
無論、「親の顔が見たい」といった感覚は昔も存在した。しかしながら、それが大人の口をついて出てくるような事例といえば、私の知るかぎりかなりの重大事に限られた。例えば、子どもが盗みを働き、警察沙汰になったといったレベルにおいての感覚がそれにあたる。
論理に震え上がった子どもたち
そうしたわけで、道路族のような事例に対し、現代人であるわれわれが深く悩まされるもっとも大きな理由として、私は、われわれの頭がよくなったこと、すなわち「賢くなった」ことをつよく指摘したいと思っている。なので、これは社会の前進において、もはや不可逆的なことだ。よって道路族に悩む人に対し、「いまの人はメンタルが弱い。鍛えろ」という人がいるが、それはかなりの無理を要求している。
現代人は40~50年も前の人々に比べ、いわば進化したからこそ、より理知的かつ理性的な深みをもって、悩まされてもいるわけだ。なお、残りの理由として大きいのは、コミュニティの喪失だろう。よくいわれる「仲のよい知り合いの声や出す音は気にならない」だ。
ただし、現代に生活するわれわれにあっては、この関係が成立しない環境におかれる可能性が、どこに住むにおいてもつねに高い。その点もまた、こんにちの不幸であり、かつ生きるうえでの厳しさだ。
印象深い思い出がある。
私が8~9歳のころ、友人たちとともに、いつも勝手に野球場にしていた駐車場での話だ。当時の国鉄の敷地内にあった。その場所で、タイミング悪く、そばの建物の事務所に管理人が詰めている時間帯、野球をすると、いつも「ほかへ行け」と追い立てられた。そうしたモグラ叩きが1年以上、数十回と繰り返されたのち、ある日、新顔のスタッフが現れた。
その人曰く、「この建物では、実は昼間、夜勤の鉄道運転士が寝ている。ぐっすり眠らせてやらないと汽車が事故を起こす。君たちはそれをどう思う?」
さらに、優しい口調ながら「学校はどこ?」
われわれはまさに慄然として、その日以来、そこでの野球をやめたものだった。
「重大な事故につながる可能性のある行為」
「それを学校に通報されるリスクと予測される不利益」
賢い大人が突き付けてきた2つの論理に、賢い世代のわれわれはあえなく震え上がったということになる。
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この記事を書いた人
コミュニティみらい研究所 代表
小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。