キーワードは「平和とサッカー」 広島・長崎で進む旧市街の再開発
内外不動産価値研究会+Kanausha Picks
2021/10/28
イメージ・上/©mmphotoart ・123RF 左下・広島 平和記念公園/©pabkov・123RF 右下・長崎 平和祈念像/©birdiega・123RF
旧軍都、被爆都市…共通項の多い広島・長崎
広島市と長崎市の新しい街づくりが注目されている。
というのも、変貌する広島市と長崎市には意外な共通点が数多いからだ。共に、終戦直前に被爆した旧軍都であり、三菱重工業などの企業城下町だったこと。また、路面電車が残り、JRの駅と中心市街地を結ぶことや、市街地はコンパクトで「狭いことが心地よい」街であるということ。そして、空港が郊外にあることから玄関口のJR駅前の再開発が進んでいること、などだ。
さらに両都市とも駅と離れた所に中心街があり、駅前開発と競いあっている点でも共通している。具体的には広島市は、オバマ元米国大統領が訪問した平和記念公園や原爆ドームの景観を守るという観点から中心街の乱開発は避け、バランスよく再開発が進む。
広島と長崎には「路面電車」など共通項が多い/©loeskieboom・123RF
一方、長崎市は旧市街の大型再開発計画はなく、今後も情緒あふれる古い街並みが残りそうだ。しかも、長崎は江戸時代から「出島」を拠点にオランダとの貿易など世界に開かれてきた街。そして坂の街ということもあり市街地が狭く、こうした街の佇まいが異国情緒と夜景など観異国情緒や夜景などとともに観光資源になっている。
都市の特色は地形や歴史が影響するが、これに加えて、広島・長崎とも街づくりの象徴がサッカーとそのスタジアムという点でも共通する。広島はJ1(Jリーグ1部)、長崎はJ2(同2部)があり、全国が注目する新スタジアムの建設が進む。実は広島と長崎の2つの都市ではサッカーを通したつながりも縁が深い。
トレビア的な話になるが、サッカー日本代表の森保一監督は、長崎出身でJ1のサンフレッチェ広島でプレーし、MFとして日本代表も経験した。引退後はサンフレッチェ監督を5年半務め、うち3期も優勝した。大人になってからはほとんどを広島で過ごし、サンフレッチェ監督時代、広島でのホームゲームの前は平和記念公園で祈っていたという。
また、V・ファーレン長崎は、長崎出身の高木琢也氏の監督時代にJ2では有数の強豪になった。高校サッカーの名門の長崎県の国見高校出身の高木氏もまた選手時代はサンフレッチェで活躍。現役時代は森保氏とも同時期に活躍。日本代表当時の高木氏は「アジアの大砲」とも言われた大型フォワードだった。
広島市、旧市街への回帰の理由と背景
そんな広島、長崎での再開発とその背景を詳しく見ていこう。
広島市は人口119万人を擁する、中四国最大の都市。しかし、市内を流れる太田川によって旧市街地(平野部)は狭い。戦後、政令指定都市として100万都市づくりを目指すなか、ヤマ側の自治体を合併し、住宅地は中国山地の方角へと広がった。
丘陵や山岳地帯に大型の住宅地が切り開かれたが、広島は越水の可能性のある「ため池」の多さは全国有数である。近年、中国地方は激しい豪雨に見舞われることが多くなり、その被害も増え、行政の防災対策が十分ではないと指摘されてきたエリアでは、がけ崩れや住宅街の崩壊が何度も起きている。
また、拠点空港も市中心部から便利だった広島市西区の旧広島西飛行場から、広島中央部の中国山地の中の旧本郷町(現在は三原市)に移転。このように広島は、太田川の狭い扇状の三角州という地形的な限界を破るため、旧市域を越えた郊外開発に非常に熱心だった。しかし、こうした相次ぐ豪雨被害、中心部と郊外の乖離などによって、都市開発の指向を一転、中心部回帰へと動き出した。
その核となったのが、サッカースタジアムだった。
サンフレッチェ広島は広島市、県、商工会議所などと協力して、広島市の都心部にある中区基町の広島市中央公園広場(8.5ヘクタール)に、世界に誇るサッカースタジアムを建設中だ。
HIROSHIMAスタジアムパークプロジェクトのイメージ 出典/サンフレッチェ広島
収容人数は主要な国際試合が開催できる3万人規模を想定。「青空と広大な芝生広場を満喫できる憩いの空間」を謳う。
2024年夏開業予定のスタジアム建設に伴う集客目標は、中央公園広場全体で現在の年96万人から約2倍以上の220万人に置いている。さらにサッカーの試合がある日だけでなく、イベントやスタジアムパークの施設利用を見込んでいる。
こうした強気の見積もりができるのも広島が「国際平和文化都市」として、世界的に圧倒的な知名度を誇るということが挙げられる。
東京や大阪に次いで欧州の著名オーケストラの公演が多く、欧米からの訪日客が多いことがある。スタジアム周辺ではカフェやレストランなどの設置に加え、年間を通じてさまざまなイベントができる空間になる予定だ。
スタジアムに隣接する広場の整備、運営を行うのはNTT都市開発を代表とする企業グループに事実上決まり、計画が動き出そうとしている。
行政、財界、市民が「サンフレッチェ」に
サンフレッチェ広島の「サンフレッチェ」とは、戦国大名の毛利元就の逸話の「3本の矢」(矢はイタリア語でフレッチェ)という意味が込められ、広島県の県民・市民、行政(県・市)、財界の三位一体の力に支えられるチームという願いが込められている。
だが、新スタジアムについては互いの思惑の違いもあり、三者が協議を続け一つにまとまるまで10年以上という時間を要した。
サンフレッチェ広島が1996年から本拠地としているエディオンスタジアム広島(広島ビッグアーチ、広島市安佐南区)は、市の中心部から離れた郊外にあり、例えば、広島市臨海部からはドア・ツー・ドアで2時間前後もかかる。
また、広島駅や市の中心部にあるバスセンターやアストラムラインなど、交通拠点のある基町エリアからも遠かった。新交通で速度の遅いアストラムラインでは競技場まで40分もかかり、そこからさらに徒歩になるため、平日はもとより、天候の悪い雨の日の休日の試合では、観客が数千人レベルにとどまることも珍しくなかった。Jリーグで3度も優勝した実力はあるのに、ホームの集客力は最下位クラス。その要因は立地にあったことは否めない。しかも、ビッグアーチは陸上競技場で、サッカーには不向きで臨場感を欠くと評判も悪かった。
実は、これまでも広島市は原爆ドームや平和記念公園を中心とした都市景観を向上させるため、広島商工会議所の移転や都市機能の広島駅周辺への立地の誘導に取り組んではいたものの、なかなかまとまらなかった。それは三者の思惑のズレと平和記念公園の景観問題などがあったためだ。
そこで広島市は中心市街地の新しい核(副都心)を、広島駅周辺に誘導、規制緩和することで駅周辺の再開発にこぎ着けた。最終的にはJR西日本と広島電鉄による広島駅再開発も具体的に動き出し、街の玄関口、JR広島駅前で19年から始まった再開発は1965年にできた駅ビルの解体が今年に完了。ホテルや商業施設が入る新駅ビルが25年に開業予定だ。その駅ビルの2階は広島電鉄の路面電車が乗り入れるということもあり、鉄道マニアからも期待されている。
また、中心街の紙屋町・八丁堀地区では駅前の仮店舗に移転していた広島銀行が本店ビルを開業。市営基町駐車場一帯では高層ビルを建設し、商工会議所を移転、ホテルなども入居させる計画もある。
人口減少のなか進む長崎駅前の再開発
長崎市の人口は約40万人、福岡市などへの流出で人口は減少傾向にある。それでも夜景を売り物にする港町では神戸(政令市)と函館市の中間に位置する。いま、そんな長崎では22年度に九州新幹線西九州ルートが開通することから、JR長崎駅の周辺で、開発ラッシュが起こっている。
近年、新幹線と在来線の高架駅舎が建設された。JR九州は駅東側に駅ビルを建設中だ。さらに外資系の高級ホテルの誘致も進む。具体的には新しい駅ビルの高層階には、200室の「マリオット・ホテル」が入る。また、年内開業予定の長崎市交流拠点施設(MICE施設)が長崎駅の西側に位置し、長崎駅に直結。MICEに隣接するのはヒルトンのホテルだ。そして、こうした再開発のフィナーレになるのが24年のサッカースタジアム開業である。
街づくりに懸けるジャパネットたかた
地域振興を強力に推進するジャパネットホールディングス 写真はジャパネットたかた HP 撮影/編集部
しかし、これは単なるスタジアムオープンではなく、事業主体がテレビショッピングの「ジャパネットたかた」で知られるジャパネットホールディングス(以下=ジャパネット)」という点でも注目が集まっている。ジャパネットは長崎県の地場企業で、テレビショッピングの最大手。同社が、商業施設やホテルも併せ持つ「長崎スタジアムシティ」をつくる街づくり企業グループに変身中なのである。
ジャパネットは17年に、J2の「V・ファーレン長崎」の運営会社を子会社にしたうえで、18年に三菱重工長崎造船所の幸町工場跡地におけるスタジアム型の珍しい総合再開発業務に乗り出している。そこで20年にはスポーツと地域振興の事業を両輪とする新会社「リージョナルクリエーション長崎」を発足させた。
そして、満を持して、24年にはV・ファーレン長崎のホームスタジアムを諫早市から長崎市へと移す。この新スタジアムを中心に、アリーナやオフィス、商業施設、ホテルなどで構成する複合型施設「長崎スタジアムシティ」を開業させるというわけだ。行政顔負け、いや脱帽の「速攻」の民間主導の街づくりだ。
長崎スタジアムシティプロジェクトのイメージ 出典/ジャパネットホールディングス
ジャパネットは、古くからアジア・欧州に開かれた長崎エリアの企業らしく、何度も海外のスタジアムの視察を行い、コンサートや室内スポーツができるアリーナも設立。プロのバスケットボール球団も発足させた。
長崎駅から徒歩10分という好立地のスタジアムシティについて同社は「いろんな地域課題の解決につながる構想で、会社の創業の地の長崎に恩返ししたい」とその意気込みを示している。同社のテレビショッピングではないが、「ワクワクできるか」を大切な急所とし、さらに平和のメッセージを発信できるようになるのか。
新型コロナによってインバウンド需要が以前のように戻るのには相当時間を要するだろう。そんななかで被爆都市として平和のメッセージを発信し続け、サッカーというスポーツを核として変貌しようという広島・長崎の再開発の行方がどうなるか、注目される。
この記事を書いた人
都市開発・不動産、再開発等に関係するプロフェッショナルの集まり。主に東京の湾岸エリアについてフィールドワークを重ねているが、全国各地のほか、アジア・欧米の状況についても明るい。