厳しい教義と思われがちな宗教にとっての「性」その実態は?(2/4ページ)
正木 晃
2021/09/18
弟子に絶対的な禁欲を要請したブッダは3人の子持ち
ブッダ自身は、少なくとも3人の妻をもち、実子を得ている。しかし、悟りを開いた後、ブッダは弟子たちに絶対的な禁欲を要請した。
原始仏典によく出てくる「梵行」は「清らかな行」を意味し、性的な交渉を排除することが目的だった。ブッダの要請は矛盾するような気もするが、自身の体験に照らして、悟りを求めるうえで、性行為は障害になるとブッダは考えたのかもしれない。
インド仏教では、ブッダのこの要請は、13世紀の初頭にインド仏教が滅亡するまで、かたく守られたようである。
8世紀以降になると、性行為を修行に導入した後期密教が台頭するが、僧院の内部では、その実践は避けられていたようだ。したがって、後期密教が主張する実践法しか悟りへの道はないと信じる者は、僧院から離れ、戒律に縛られない在俗の行者というかたちで、性的なヨーガを実践していた。
男色と酒をやめられなかった東大寺別当を務めた僧「宗性」
ところが、日本仏教はおおむね戒律がゆるい、もしくは無視されがちな傾向がある。
たとえば、中世の仏教界では、同性愛は悪いどころか、むしろ推奨されていた。
典型例は、東大寺の宗性(そうしょう/1202~78)である。学僧として、現存するだけでも230種、451巻もの膨大な業績をあげ、当時、超有名人だった。それだけではない。その地位もすこぶる高く、東大寺の別当、つまり東大寺を統括する役職にまで登り詰めている。
その一方で、宗性は生涯にわたって同性愛に執着した。36歳のときに書いた誓文(起請文)は、全部で五箇条あるが、そのうちの第二条には「現在までで、(同性愛の相手を務めさせたのは)九五人である。百人以上にならないようにつとめる」、第三条には「亀王丸の他には愛童をつくらない」とある。そして、一生、この誓いをかたく守るとも書かれている。
要するに、多数の相手をつくるのはよくないので、今後はそうしないようにする、そして同性愛の相手は特定の少年だけにすると書かれているに過ぎない。そもそも同性愛が僧侶にとって悪いことだという認識は片鱗もない。
この記事を書いた人
宗教学者
1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。