新築マンション価格1億円を突破――その影に日銀とメジャーセブンがあり?(2/5ページ)
立木信(たちき まこと)
2021/07/04
マンション業界の栄枯盛衰に見るメジャーセブン
そんな“ハイソ”なイメージのメジャーセブンだが、サイトがオープンした当時は華々しい感じではなかった。2000年というと、1990年代の不動産バブルの処理(不良債権問題)が終わらず、大手金融機関やゼネコンの連続破綻で市場が冷え込んでいた時期にあたる。90年代の終わりには“マンション不況”という言葉もあったほどで、マンションデベロッパーは厳しい状況にあった。
実際、2000年の首都圏のマンション平均価格は4034万円で、価格は底をはっていた。それでも業界としては大手の寡占は進んでおらず、首都圏の供給戸数は9万5000戸、全国の供給戸数では18万戸を超えていた。この戸数は近年の2倍程度になる数字。まさにマンション業界はミレニアムの2000年に向けて生き残りをかけていた。
資料としては古いが、そんなマンション業界の栄枯盛衰を感じさせる資料がある。
不動産経済研究所の「全国マンション市場40年史」(1973年~2013年)によれば、1973年第3次マンションブームのころのマンション供給ランキングのトップ10ではメジャーセブンの三井不動産が10位、18位に三菱地所の財閥系2社があるだけで、実は7社はマンションの一定の供給ができないノウハウ不足の「マイナーセブン」だった。
上位に名前を連ねるニチメン、日商岩井、丸紅、蝶理、住友商事、トーメンという商社が多いのは「商社冬に時代」に対応した新規事業としてマンションに進出してきたことがうかがえる。
ランキングにある会社の中には、今では事実上経営破たんした会社や社名の変わった会社もあり、上位20社のうち、半数以上がマンション供給事業から撤退している。ちなみに藤和不動産は、73年時点では下位にあった三菱地所にその後、吸収(救済)されている。
【表1】1973年事業主別供給ランキング(全国上位20社)
出典/不動産経済研究所「全国マンション市場40年史」
この時代、供給数首位になったことがある野村不動産や住友不動産、また30年近く供給数で首位だった大京といったメジャーセブンのメンバーの名はない。ちなみに、大京はマンション事業主別発売戸数全国第1位になるのは78年のことで、90年代以降、徐々に経営が厳しくなり、銀行から債務免除を受け、さらに2005年にオリックスグループの傘下に入って、現在も親会社の意向などによって供給量を絞っている。
この記事を書いた人
経済アナリスト
マクロ経済面から経済政策を批評することに定評がある。不動産・株式などの資産市場、国や自治体の財政のバランスシートの分析などに強みを持つ。著書に『若者を喰い物にし続ける社会』(洋泉社)、『世代間最終戦争』(東洋経済新報社)、『地価「最終」暴落』(光文社)などがある。