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「犬神家の一族」の相続相談(3)―― 一族を震撼させた犬神佐兵衛の遺言状

谷口 亨谷口 亨

2021/03/12

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横溝正史の長編推理小説『犬神家の一族』。戦後直後の昭和20年代、莫大な財産を築いた犬神財閥の犬神佐兵衛が遺した遺言状(現在の「自筆証書遺言」)をきっかけに、次々と殺人事件が起きるという小説です。名探偵・金田一耕助が登場し、映画やテレビドラマにもなったことでよく知られています。

『犬神家の一族』が、横溝正史のほかの小説、あるいはこれまで数々の作家によって書かれてきた相続争いを描いた小説に比べて興味深いのは、被相続人である佐兵衛が、遺言状で財産を簡単には相続できないようにしているところです。佐兵衛にはその理由があるはずですが……。

そこで、時代背景も現代の民法とも異なる、さらに小説という架空の話ではありますが、実際にこうした相続の相談を受けたら、私ならどういった提案をするか――。現代の弁護士として、大きなトラブルが起きないように、また佐兵衛の思いと大きくずれないように、犬神家一族の相続を真剣に考えていきます。

◆◆◆

犬神家の財産は誰の手に?

連載1回目2回目でお話ししたように、犬神家の家族構成は、とても特殊で一般の家庭とはまったく違うものです。一族の過去の出来事やそれぞれの思いが積み重なる中で、犬神佐兵衛さん(以下、佐兵衛翁)は息を引き取りました。そして、その後の相続を巡って、それぞれの思いが一気に吹き出し、殺人事件へとつながっていったわけです。

その引き金になったのが、佐兵衛翁の遺言状です。しかし、その内容によっては殺人事件が起きることはなかったはずです(それでは小説が成り立ちませんが)。いよいよ、その遺言状の中身を見ていきましょう。

この遺言状を一言でいうなら、なんとも「複雑」です。

遺言状は犬神家の大広間で、長女の松子さん、その子どもの佐清(すけきよ)くん、次女の竹子さん、夫の寅之助さん、その子どもの佐武(すけたけ)くんと小夜子(さよこ)さん、三女の梅子さん夫の幸吉さん、その子ども佐智(すけとも)くんという犬神家の一族。それに佐兵衛翁の恩人である野々宮大弐さんの孫・野々宮珠世さん、探偵の金田一耕助さんが並んだ席で、犬神家の顧問弁護士・古館恭三弁護士によって読み上げられました。

私にはこのように大勢の親族の前で遺言状を読み上げた経験はありません。もしも、犬神家一族の前で、佐兵衛翁の遺言状を読み上げなければならないとしたら、かなりの緊張を強いられ、冷や汗と動悸が止まらない、といった状態になっていたかもしれません。

犬神家・野々宮家 家系図 

佐兵衛翁の遺言状は、次のように始まります。

「ひとつ……犬神家の全財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧(よき)、琴、菊はつぎの条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす。

「全財産を珠世に譲る」──。この一文を耳にした松子さん、竹子さん、梅子さんの内心はいかばかりだったでしょうか。想像するだけで恐ろしい限りです。

その証拠に、この一文が読み上げられると、珠世さんは青ざめ、犬神家の一族からは憎しみに満ちた視線が「火箭(ひや)のように烈々と」注がれたのです。

ちなみに、遺言状に出てくる「斧、琴、菊」とは、野々村家が神官を務める那須神社の三種の神器で、後年、佐兵衛翁が黄金製の斧、琴、菊を作り、それを犬神家の家宝にしたというものだそうです。

遺言状の読み上げは、さらに続きます。

「ひとつ……ただし野々宮珠世はその配偶者を、犬神佐兵衛の三人の孫、佐清、佐武、佐智の中より選ばざるべからず。その選択は野々宮珠世の自由なるも、もし、珠世にして三人のうち何人も結婚することを肯(がえん)ぜず、他に配偶者を選ぶ場合は、斧、琴、菊の相続を喪失するものとす。……」

ここまでを分かりやすく整理すれば、佐兵衛翁の全財産は珠世さんに相続させる。ただし、珠世さんは、佐兵衛翁の孫の佐清くん、佐武くん、佐智くんの三人から一人を選んで結婚すること。結婚しないなら相続をさせない、ということです。

佐兵衛翁の遺言は、このあとも延々と続きます。しかし、その内容は細かな条件設定とイレギュラーなことが起こったときの相続についてです。この遺言状の内容を簡単にまとめると、次のようになります。

1 珠世は、佐清、佐武、佐智の誰かと結婚することで全財産、全事業の相続権が発生する。誰とも結婚しなければ、その相続権を失う。

2 珠世の選んだ相手が結婚を拒否したら、拒否した者はすべての相続権を失う。3人とも珠世との結婚を拒む、あるいは全員が死亡した場合、珠世は誰と結婚してもよい。

3 珠世が相続権を失うか、珠世が死亡していた場合には、犬神家の全事業は佐清が相続する。佐武と佐智は父のポストについて佐清の事業経営を補佐する。そして、犬神家の全財産は、犬神奉公会によって公平に5等分され、5分の1ずつを佐清、佐武、佐智に、残りの5分の2を静馬に与える。そのうえで、それぞれ各分与額の20%を犬神奉公会に寄付する。

4 犬神奉公会は青沼静馬の行方の捜索をし、期限内に発見できなかったか、死亡が確認された場合は、青沼静馬が受ける全額を犬神奉公会に寄付する。

5 珠世が全相続権を失うか、珠世が死亡した場合、さらに佐清、佐武、佐智に不幸がある場合は次の通り。

佐清が死亡した場合は、犬神家の全事業は佐武、佐智に譲り、協力して経営にあたる。ただし、佐清が受けるべき遺産は青沼静馬に相続させる。佐武、佐智のどちらかが死亡した場合も、その分与額は青沼静馬に相続させる。3人とも死亡した場合は、犬神家の全事業、全財産はすべて青沼静馬が享受する。

よく読めば相続人は直系男子ということ

1回読んだくらいでは、すんなりアタマに入ってこない遺言状です。しかし、よく読むと、佐兵衛さんが大切に思っている人は、まず珠世さん、その次に静馬くん、そして佐清くんだろうと想像できます。

注目したいのは、婿がそれぞれ責任ある立場で犬神家の事業の一翼を担い、さらに佐兵衛翁の実子である松子さん、竹子さん、梅子さんの三人娘の名前が遺言状にまったく出てこないところです。

「子が親を憎む」というのはよく耳にしますが、佐兵衛翁の場合は「親が子を憎む」状況だったのかもしれません。

また、相続人を直系男子に重きを置いているという点も見逃せません。現代でも長男や男の子に全財産を多く譲りたいとする方もいます。この小説は昭和20年代の設定で、より家督相続の思想が色濃く、こうした相続になっているのかもしれません。というのも、佐清くんたちと同じ孫である小夜子さんについては一切触れられていないからです。

さらに事業と財産を分けて、事業にかかわるものは佐清くん、佐武くん、佐智くんに、財産については静馬くんへと分けて相続させようといています。この段階では果たして生きているのか、死んでいるのかもわからず、どんな風に成長しているかもわからないため、事業を引き継がせるのに不安があったように思います。

それから財産の一部を寄附される一方、佐兵衛翁から静馬くんの行方を捜すよう指示される犬神奉公会はどういった存在なのかも気になるところですが、佐兵衛翁がつくった財団、社団、あるいは「奉公会」ということころから、社員持株会といった組織ではないかと思います。

以上を踏まえて、次回からは、遺言状に込められた佐兵衛翁の思い読み取りながら、事件が起きない相続案を考えていきます。

 

「犬神家の一族」の相続相談(1)――臨終の席で明らかにされた遺言状の衝撃
「犬神家の一族」の相続相談(2)――複雑な家族関係に込められた犬神佐兵衛の思い
「犬神家の一族」の相続相談(3)―― 一族を震撼させた犬神佐兵衛の遺言状
「犬神家の一族」の相続相談(4) ――「信託」を使えば犬神家で起こる事件を防げるか


『金田一耕助ファイル5 犬神家の一族』(角川文庫)Kindle版・653円(税込)

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この記事を書いた人

弁護士

一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。

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