日本人が「思考停止」になるとき――まじめで丁寧、礼儀正しいからこそ陥る陥穽
遠山 高史
2020/12/25
イメージ/©︎Fernando Gregory Milan・123RF
新型コロナウイルスとインフルエンザ
新型コロナウイルスのニュースを聞かない日はない。連日、過去最多が更新され、ワイドショーのコメンテーターの発言はどこも似たり寄ったりで定型文でもあるのかと思ってしまう。他に取り上げるべき話題がないかのようだ。世界中がこの未知のウイルスに目を奪われているが、その陰にある、人の心のありように目を向けてほしいと思う。
Iさんは、文房具メーカーのベテラン営業である。定年を迎え、嘱託社員として働いている。
ある朝、Iさんが起きると軽い頭痛がしたが、出社した。その日は、長年付き合いのある店のセール前日で、休むわけにはいかなかった。Iさんの担当先は、規模の小さな雑貨屋が多く、売り上げは低い割に個別に対応しなければならないため、他の営業は面倒を嫌がって手を出さない。Iさんは全ての業務を一人でこなしていた。
ところが頭痛は時を追うごとにひどくなり、熱もあるようなので、会社を抜け出して病院に行くと、「インフルエンザ」と診断された。普通なら早退するところではあるが、他に人員の代わりがいない。部長に報告して、セール商品の準備だけはして帰ると伝えた。部長は、それを聞くと、渋い顔をして、準備が終わったら即刻帰るようにとだけ言った。いたわりの言葉はなかった。
Iさんのインフルエンザの話は、あっという間に社内に広がった。部長が話したのだろう。Iさんがインフルエンザに罹患したので、「皆、注意するように」と。
Iさんが頭痛と熱の中、伝票を作成するために席に着くと、近くに座っている人間は、何かしら理由をつけて席を離れ、周りからはついには誰もいなくなってしまった。朦朧としながら、孤軍奮闘しているIさんを遠巻きにして、事務の女性が遠慮がちに「早く帰ったほうがいいですよ」と言うだけだった。
作業を終えて帰ろうとするIさんに、部長が声をかけた。「一週間ほどは休んでください。皆に移されると困る」と言って、最後にとってつけたように、「お大事に」と言った。
この話は、新型コロナウイルスが出現する3年ほど前の話であるが、病で苦しむ人間に、いたわりの言葉もなく、その人自身が病原菌そのものであるように接するような風潮には、違和感を禁じ得ない。
確かに感染症は恐ろしい。罹患している人間は、感染源に高い確率でなりうる。現代ではだれもが周知していることであり、それを避けようとする行為自体は、医療に携わる者としては、是であると言わざるを得ないが、それにしても、世の中がより他罰的かつ、閉塞的に変容していると思う。
少々バタ臭い表現だが、社会全体から、優しさが失われつつあるとでも言おうか。
事象に対して原因を追究し、予防策をとる、というやり方は、近代科学の根底にあることで、現代社会は、この考えに基づいているから、これが我々の思考に影響を与えるということはごく自然ではある。しかし、私は、ゆくゆくは、このことが人と人との関係性、ひいては、人間の社会構造にとって、悪しき影響を及ぼしかねないと思っている。
“素晴らしい国”に住まう人たちとは?
Iさんの事例で言えば、本来なら、感染源と見なす前に、病で苦しむ人間であると思い、まずはいたわりの言葉と、助けが必要なことはあるかと、声をかけることが、正常な人間どうしの交流であり、人を人たらしめる所以であろう。
日本人は、几帳面で真面目だと評されることがあるが、それだけに一般的に是とされている事柄を画一的に守ろうとする傾向が強い。
しかし、それは、裏を返せば思考停止である。多角的に事象を検証し、自己で行動を決定する事を怠るようになれば、活力は失われ、社会全体の停滞につながるのではないだろうか。
Iさんは、30年ほど前、商品の仕入れも担当していて、アジア諸国を駆け巡っていたそうだ。発展途上の地で、インフラも整備されていない国が多く、その苦労は並大抵の物ではなかったそうだが、現地の人々との交流は、暖かいものがあったという。
「電気も水なかったけど、最後には誰かが助けてくれて、不思議となんとかなるんです。一見不愛想だし、いいかげんだったりするんだけど、つきあってみると皆優しかった。熱を出してぶったおれていたら、ドアの前に、飲み物と果物が置かれていたりしましてね」
「日本は素晴らしい。水も電気もあたりまえのようにある。人は皆、丁寧で礼儀正しい。本当にすごい国だと思います。でもたまに、叫びだしたくなる。最近はね、あの時代の、中国や、バングラデシュの喧騒の中に戻りたくて居ても立っても居られなくなることがよくあるんですよ」
とは、Iさんの言葉である。
今の日本社会で、失われつつある何かを示唆しているようだと思った。
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この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。