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日本人とマメの関係――豆まきの起源とそこに込められた願い

正木 晃

2021/02/22

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イメージ/©︎bee32・123RF 

大豆を栽培していたのは東アジアだけだった

日本には、季節ごとに行われる年中行事がさまざまある。その中には、時代の荒波に打たれて、もはやすたれてしまったものも少なくないが、一般の家庭でも根強く行われているのが節分ではないだろうか。

今年の節分は過ぎてしまったが、今回は「豆」の話である。とりわけ、日本人が豆とどう付き合ってきたか、話してみたい。

日本人にとって、豆は重要な食料だ。大豆は、未熟な状態で茹でて「枝豆」として食べるほか、完熟した状態から味噌・醤油・豆腐などに加工して食べてきた。小豆は主食のほかに、菓子類の原料ともなってきた。

現在の日本で食べられている植物のほとんどが外来なのに対し、大豆も小豆も珍しく日本原産で、野生のツルマメから栽培化されたらしい。縄文時代にはすでに栽培されていたことがわかっている。


大豆/©︎Tharakorn arunothai・123RF

意外なのは、20世紀の初めころまで、大豆を栽培して食べていた地域は、日本をはじめ、東アジアに限られていたことである。ところが、20世紀になると、油を採取する油糧作物や家畜の飼育に不可欠の飼料作物として、またたくまに世界中に広まった。20世紀の後半期になると、生産量が急拡大し、現在では、大豆と脱脂大豆を合わせた交易重量は、古くから世界最大の交易作物だった小麦と並ぶ量となっている。

そういえば、つい最近、アメリカと中国が貿易をめぐって対立し、そのあおりをくらって、アメリカ産の大豆が中国に入らなくなり、その結果、中国で豚肉が高騰している。こんなことは、半世紀前には考えられなかった。

これも多くの方には意外だろうが、インド人の食事から豆は絶対にはずせない。インド人は宗教上の理由もあって、ベジタリアンが多く、肉を食べたがらない傾向があるので、良質なタンパク質の供給源として、豆は欠かせないのである。

一番良く食べられているのはヒヨコ豆やレンズ豆で、カレーというより、スープ状あるいはおかゆ状にして食べる。ちなみに、日本でインド料理というと、ほとんど反射的に「ナン」を連想する方が多いと思うが、インドの庶民にとって、「ナン」は高級な食材であり、食べることはごく稀だ。

豆料理が多いということでは、中南米も人後に落ちない。そもそもメキシコあたりがインゲン豆の原産地なので、インゲン豆を使った料理にたくさんある。辛い唐辛子と一緒に煮込んだチリコンカンが代表例で、ブラジルのいんげん豆と肉を煮込んだフェアジョアーダも有名だ。

節分ではなく大晦日に行われていた豆撒き

外国の話はこれくらいにして、日本の豆について、特に民俗の領域から話してみよう。

「まめ」という言葉の語源は、いろいろある。形状がまるいので「まるみ」とか「まろみ」と呼ばれていたのが「まめ」になったという説。美味しいので「うまきみ」と呼ばれていたのが、音韻変化して「まめ」になったという説。外皮に実が挟まれているので「実はめ」と呼ばれていたのが縮められて「まめ」になったという説などがある。

節分のときに、煎り大豆を、「福豆」として撒く豆撒きは、大晦日(旧暦12月30日)に宮中においていとなまれた年中行事の「追儺(ついな)」に由来する。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられ、それを追い払うための悪霊祓い行事である。原点は中国で、日本では平安初期の慶雲3年(706年)から実施された。

ただし、室町時代までは、豆撒きではなかった。主役の儺人(なじん)は桃と葦でつくられた弓と矢をもち、方相氏(ほうそうし)・侲子(しんし)たちは内裏を回り、陰陽師が鬼に対して供物を捧げ、祭文を読み上げる。ついで、方相氏たちが鬼を追いやって門外に出ると、鼓を鳴らして鬼たちが出たことを知らせ、厄払いをした。その後も、都の外へ外へと四方に鬼たちを払い出すための行事がおこなわれた。

文献に残る最初の豆撒きは、応永32年(1425年)である。桃と葦でつくられた弓と矢が、豆撒き変わった理由は、いわゆる「語呂合わせ」にあったらしい。「まめ」という発音を、「魔滅(まめ)」と解釈したのである。これは、鬼の目を意味する「魔目(まめ)」を滅ぼす力を持つ「魔滅」、つまり「豆」というわけである。その背景には、「言霊信仰」があったと指摘されている。言葉には特別な霊力があるので、言葉を発することで、もしくは言葉を媒介とすることで、事態をより良い方向へ転換できると信じられていたのだ。

しかも、さきほど述べたとおり、豆は米・麦・稗・粟とともに、「五穀」を構成する最重要の食物とみなされていた。「穀霊信仰」である。五穀が神事にも使われた理由は、ここの求められる。その中でも、米と豆は、神聖な存在として、鬼を払う力を秘めていると信じられていたのである。

豆をもちいる民俗行事は、豆撒き以外にも、かつてはいろいろあった。いくつかご紹介する。いずれも、豆が秘める霊力に、人々が期待していたことがわかる。

○豆焼:節分の夕方に、豆を焼いて、その年の月々の天候を卜(うらな)う。質の良い豆を12粒選び、炉の灰の上に並べ、右から順々に正月、二月、三月と数えて、白い灰になる月は晴れ、黒く焼けにくい月は雨、息を吹く月は風、早く焼けてしまう月は日旱などと判定する。

○マメマキ:新潟県の上越市南部(旧高田市)地方では、婚礼の床杯の際に、「おめでとう」と唱えながら、豆を焼いた。

○豆煎り祝言:山梨県東八代郡芦川村では、婚姻の終わりに、嫁が客一同にお茶を出す際、手ずから豆を焙烙で煎って、すすめた。どんなに簡単な婚姻でも、これだけは略せないので、貧しい祝言のことを「豆煎り祝言」と呼んだ。

(出典/柳田国男監修 民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』平凡社)

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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