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新しい二地域居住を実践する3つのケース

高齢化、介護問題もなんのその!? “親世帯と楽しむ週末田舎暮らし”という新しいカタチ(4/4ページ)

馬場未織馬場未織

2017/06/15

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義母は、以前からSさん家族の移住を積極的に支援していました。「みんな一緒に館山で暮らす日がいつか来るだろう」という将来像を家族全体で共有し、とはいえ「実現は数年後だろうなあ…」と気長に構えていたそうです。

ところが、行政の事情から迅速な移住が必須とわかり、受入れ準備を整える暇もなく義父母はSさん宅に引っ越してくることになり、バタバタと同居・介護生活が始まりました。

思うだけなのと、やってみるのとでは、やはり大きな隔たりがあるものです。

義母の負担を減らそうと移住・施設利用の道を選んだはずが、実際は困難の連続でした。

完全バリアフリーのマンションから“部屋から部屋への移動も外に出る・風呂トイレは離れ”というつくりのSさん宅への住み替えは、むしろ介護の不便を倍増させることに(介護状態でさえなければ素敵に暮らせる家なのです!)。

呼び寄せたSさん自身も、住環境の整備が進まないなか、親世帯と子世帯の生活リズムの不調和や、交通弱者となった義母のストレスなど、抱える課題は少なくなかったといいます。「義母が倒れたらどうしよう」というのが、もっとも大きな不安でした。

地元病院での1カ月半の入院後、自宅へ連れ戻した義父は、今年1月に亡くなりました。家族全員が「この家で看取りたい」と思えたのだそうです。お葬式も、この家から出すことができました。葛藤のある介護生活だったとはいえ、このような暮らし方でよかったのだと振り返ることのできるSさん家族。

義母は、家族や『ろくじろう』の仲間たちに支えられたこと、館山の家を取り囲む自然が動けなくなった夫を癒してくれたことに、深く心を打たれていました。

「いまでは、館山の暮らしを心ゆくまで満喫し、1週間おきに館山と東京を行き来する僕の二地域居住を応援してくれています」。

ノルマやタスクが深い満足に変わっていくことも

いかがでしょうか。

二地域居住、移住、Uターン、介護、仕事、将来設計、といったばらばらの課題を重ねて解決している彼らのライフスタイルをご紹介しました。

積極的につくる形だけが人生ではありません。導入は“ノルマ”だったり“タスク”だったりすることが、いつからか楽しみや喜び、深い満足へと変わっていくこともあります。

親の高齢化、介護、という問題に直面すると、どうしても心のこわばりが出てくるものです。また、介護の苦労はふんわりと乗り越えられるような性質のものではないとも思います。

でも、ひょっとしたら、年老いた親との関わりに二地域居住を織り交ぜていくなかで、日々の安らぎをえたり、人や自然とのつながりをもった環境で生き抜くことができたりと、介護する側もされる側も閉塞しがちな日常に風穴を開けることができるかもしれません。

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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