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二地域居住者は見た!

ギブ・アンド・テイクを超える。田舎暮らし的ご近所づきあい

馬場未織馬場未織

2016/11/11

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恩返しできないほどの親切に恐縮する

田舎暮らしをしていると、周りの方々から親切にしてもらう局面がたくさんあります。それはもう、「わたしが与える親切に比べたら、絶対イーブンにならないだろう!」と恐縮する比率です。

たとえば、わが家はいま、家の周りにイノシシの防護柵を設置しているところなのですが、週末だけの作業量ではいつ設置できるのかわからない…ということで、ご近所の親しい方が膨大なお手伝いをしてくださっています。「ぼちぼちやっから気にすんな」と言われても、気にしないわけにはいきません。
一緒に作業をしながらいろいろなことを教えていただき、本当にわたしは役立たずだなあと頭を抱えたくなることもしばしば。

また、違うご近所さんからも「キウイがたくさんとれたからどうぞ。道の脇にかけとくから取って帰ってね」とご連絡が。うちの畑の次の収穫はまだまだ先ですから、どうお礼しよう~という感じです。

ちなみに、わたしがNPO法人を設立したのは、そうした地域の方々の支えに対して何もお礼ができていないという思いから、恩返しの気持ちもあってそうしたのですが、まあ、直接的なお礼というわけではないので、やはりいまでもご親切に対して恐縮しています。

わたしだけでなく、二地域居住や移住をしている方々が、「やってやるよ」「これあげるよ」と地元の方の親切をたくさん受け止めて感動している様子は、しばしば目にします。

どうして親切にしてもらえるのか

なぜこうして、親切をいただくことができるのか。
そんな理由を改めて考えるなんて野暮な話ですが、地域の草刈りだのお祭りだの、農家の方の振る舞いだの、じっくりとおつきあいをしているといくつか気づくことがあります。
3つほど、あげますね。

1:ギブアンドテイクのつじつまをいちいち考えない
人と人とが協力しあう関係が都市より濃密にあるのは、間違いないと思います。
目の前に困っている人がいたら、助ける。自分も暮らしのなかで近所の助けが必要な局面が確実にあるので、そのときにお返しをする。そんな無数のやりとりがあると、1回1回でつじつまが合うようにお礼をするという考え方ではなくなるのかもしれません。言ってみれば、家族のなかでのやりとりですね。

そんななかに、「お返しするスキルがない」あるいは「お返しをする機会が少ない」という自分のような存在が迷い込み、バランスの悪さにあたふたするわけです。

2:女子ども=弱い者に優しい
ここには、都市との文化の違いを感じます。たとえば、若い農家さんが「嫁にはなるべく危ないことはさせたくない。草刈りも危ないのでやらせないよ」と言うのを聞くと、うちの草刈り大臣のわたしとしては仰天し、奥さんがちょっぴり羨ましく感じもします。
それから、子どもはうるさい、と言っている方を見ません。まあ、住宅が建て詰まっていない環境からかもしれませんが、集会に子どもがいて眉をひそめる方も見たことがない。
また、地域の共同作業への出席はほぼ男性で、力仕事は男の役割。集会に出席してものごとを決めるのも男性という、圧倒的な男性社会です。

その流れから考えると、ひょっとしたら、移住者や二地域居住者などの「よそもの」は守るべき弱い存在ということになるのかもしれません。どうでしょう。そうでもないかな。

そんなバカにされたことでいいのか! と男尊女卑の文脈で思う方もいると思いますが、体を張った仕事の多い地域で分業体制が残り、保守的な考えがあることに対しては一定の理解ができます(違う局面では、いいばかりではないと思いますが)。


3:この土地を選んだ人がいる、ということへの喜び
昔からここに住み続けている方々にとって、移住や二地域居住をする人がいるということは、ある種の発見につながっているのではないかと思います。
縁もゆかりもない人が明確な意志を持って、数多の土地のなかからここを選んで住む、ということは、土地に魅力があるということ。それは、ずっと住んでいるとわからなくなるようです。

「なんでこんなに何もないところに来るのかねえ!」という驚きと、「そうか、ここは存外いいところだったのか」と思う嬉しい気持ちが、「よそもの」へ心を開くきっかけになるのではないかと思います。自分の住む地に誇りが持てることは、生きる張り合いにつながります。土地に対する貢献度の低い二地域居住者の存在意義があるとすれば、実はこの部分がほとんどかもしれません。

住む、というのは、旅行と違い、覚悟のいることです。
旅行者が「本当にいいところですね~」と笑顔を残して去っていくのとは違う重みがあります。
都市でのスペック重視の住宅選びとは少し趣が異なり、「ここが好きだから、住む」ということが大きな選択理由になる田舎暮らしでは、土地への愛着が信頼関係の源になるのかもしれません。

親切は受けるけれど、甘えない、というバランス

ここで、ひとつだけ、わたしがいつも気にかけていることがあります。
それは、親切に甘えすぎない、ということです。

ご近所さんとのやりとりは、やはり、信頼関係とバランス、そして個々の自立が大事だと思っています。
親切や、いただきものを「もらうこと」に慣れてしまうのはマナー違反だと、強く思います。「田舎の人はいろんなものをたくさんくれるよね~」という受け止め方をする方を見ると、大きな違和感を感じることも。
もちろん、いつも杓子定規にお礼をすればいいということではありません。心の持ちようとしては、感謝と、やはり自分なりの恩返しを常に考えることが大事だということです(あるいはわたしが、個人的に甘え下手だからかもしれませんが)。

昔、とある有名人が自分の田舎の家にまつわる何らかの作業を「やってくれる人~」と募って手弁当でやらせようとしたことに対し、「ファンの好意を利用してタダ働きさせて!みんな自分でやっていることを!」と炎上していたことがありました。
やりたくてやる人が集うは必ずしも悪いことではないじゃない?と、炎上に対してはちょっと冷ややかな気持ちを持った一方で、確かに労働の搾取とも思えるなあと、もやもやしました。何らかの感謝が示されていたら、あるいは受け止め方が違っていたかもしれません。

また、逆のこともあります。
たまに若い人がやってきて、自己研鑚や地域貢献という意味で野良仕事を手伝ってくれることがあると、「またあの人たちに来てもらえばいいじゃないか」という声が地域であがることがあります。でも彼らは、実際はこちらの都合で集まってくる存在ではありません。こうした悪意なき誤解は、どう解消すればいいだろうと悩みます。

そんなさまざまなことから、「自分がしたいこと」は他の人もするだろうし、「自分がしたくないこと」は他人もそうはしまい、という超基本的なことを思い出します。存外、この感覚が麻痺していることがあるのです。

窮屈にならず、無神経にならず、なんてどうすればいいだろうと田舎の人間関係に悩んだときには、そこに返って考えれば解が見えるのではないでしょうか。
どこで暮らしていても、自立した個人であることが大事だということかもしれません。

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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