ハンガリーの歴史的な絶景スポット「漁夫の砦」の歩き方
パップ英子
2016/05/29
ジョルナイの屋根瓦が美しい「マーチャーシュ教会」
(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )
中央ヨーロッパの小国、ハンガリーの首都ブダペストからお送りしている当インテリア・コラム。この世界遺産都市を訪れる機会があれば、ぜひ足を運んで頂きたいのが、ブダ地区にある“王宮の丘エリア”です。
王宮の丘エリアのなかで、前々回、ご紹介した「ブダ王宮」と並んで大人気の観光名所があります。それが、「マーチャーシュ教会」と「漁夫の砦」という、ハンガリーの歴史を語るうえでかかせないふたつの史跡。今回はその2大名所のレポートをお届けします。
前回も簡単にご紹介したマーチャーシュ協会ですが、注目すべきは、約80メートルもの高さがあるゴシック様式の尖塔と、美しいタイルで装飾された屋根瓦。その気高く優雅な姿は、見る者の心をとらえて離さないほどの美しさです。
教会の屋根瓦に使用された彩り豊かな美しいタイルは、ハンガリーの名釜、ジョルナイのもの。ジョルナイは、以前、当コラムでご紹介した「ヘレンド」( http://sumai-u.com/?p=1577 )と人気を二分する、ハンガリーの代表的な陶磁器ブランドです。
ハンガリーの歴史が育んだ名釜「ジョルナイ」
出所 : http://www.zsolnay.hu/hu/eosin/vaza-kaspo/9286790-fantazia-vaza-fedeles-kettuzu/529
そんなジョルナイの歴史について、少し説明したいと思います。ハンガリーが誇る“名釜・ジョルナイ工房”は、1853年、陶芸家のヴェルモシュ・ジョルナイ「Vilmos-Zsolnay」によって、ペーチという場所で誕生しました。
1868年、家業の工場を兄から引き継いだヴェルモシュ・ジョルナイは、ペーチ付近で粘土を採掘します。その後、彼は海外から優秀な技術者を呼び集め、磁器製造に全力を注ぐように。その甲斐もあり、1873年にはオーストリアの首都ウィーンで開催された国際博覧会で銅賞を受賞します。
もともとはタイル製造メーカーで建築用タイルを主としていた「ジョルナイ」はその後、虹色の輝きを放つ上薬「エオシン」を開発します。同社独自の技術「エオシン」を使ったジョルナイ陶器は、ヨーロッパのみならず世界中で大人気となり、名実ともに世界の陶磁器ブランドへと成長していったのです。
マーチャーシュ教会を彩る美しくカラフルな屋根瓦。ジョルナイ家が発明した世紀の技術は、この大聖堂の建築芸術にもいかんなく発揮されています。ちなみに、ブダペスト市内ではクラシック音楽の聖地とされる「リスト音楽院」やハンガリーの国会議事堂も、ジョルナイ製のタイルで華やかに装飾されています。
“聖母マリア大聖堂”が正式名称のマーチャーシュ教会。前回、このカトリック教会には700年以上もの歴史があることをお話しましたが、改めてこの教会の歴史についてお伝えしたいと思います。
マリア・テレジアの戴冠式が行なわれた教会としても有名
(c)matyas-templom( http://www.matyas-templom.hu/main.php )
1741年、当時ハプスブルク家の統治者であったマリア・テレジアは、ハンガリー女王に即位します。マリア・テレジアはあのマリー・アントワネットの生母として知られる女王ですが、マーチャーシュ教会は彼女の戴冠式が行なわれた教会としても大変有名です。
また、ブダ王宮レポートの際に第34代国王マーチャーシュ王について触れましたが、この王もまた、教会の歴史と多いに関係しています。1541年、マーチャーシュ王の治世の頃、ブダ地区はトルコ軍によって占領されてしまいました。トルコ側はブダを攻略後、この教会をすぐにイスラムのモスクへと改装してしまったのです。
17世紀、ハプスブルグ家によってブダ地区がトルコ軍から解放されるやいなや、それまでのモスクから再びカトリック教会へ戻ります。その際、教会のファサード(*)部分がバロック様式へと改装されました。
(*)ファサード:建築物の正面(デザイン)のこと。
また、マーチャーシュ教会は、19世紀後半に当時のハプスブルグ帝国皇帝、フランツ・ヨージェフとその王妃エルジェーベト、彼らの戴冠式が行なわれた教会としても有名です。
そのフランツ・ヨージェフ皇帝は、教会本来の美しいゴシック様式に戻すようにと、当時の建築家シュレック・フリジェシュに命じて、マーチャーシュ教会本来の建築様式へと復元させました。
しかし、第二次世界大戦に入ると、この教会はまた戦争によって壊滅状態となってしまいます。戦後ようやく、シュレックが改築した姿に戻るよう、忠実に復元されましたが、今日の姿となるまでには、さまざまな建築様式が融合していったことが、教会の大きな特徴です。
上の写真はマーチャーシュ教会の内部の様子。天井を仰ぐと、イエローやピンクといった暖色系で彩られた幻想的な空間に目を奪われます。教会内部には、オスマン帝国(トルコ)に占領された当時の名残りともいえるモスクのような、どことなくミステリアスな雰囲気が漂っているのです。
歴代国王達の戴冠式、そして戦争により、改装を重ねて今日の姿へと生まれ変わったマーチャーシュ教会。イスラムのモスクのような雰囲気を併せ持つこのカトリック教会の幻想的な建築美は、侵略され続けてきたハンガリーという国の辛い歴史が生んだ産物といえるのでしょう。
(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )
マーチャーシュ教会の先にある広場、その真ん中にそびえるこの銅像。聖イシュトヴァーンの騎馬像(Szent István-szobor)という名のこの像は、ハンガリー初代国王の偉業を讃えたものです。聖イシュトバーン(在位1000年~1038年)はハンガリー建国の父と呼ばれ、死後1世紀以上たった今日もなお国民に愛され続けています。
とんがり帽のような見た目が摩訶不思議な「漁夫の砦」
教会と聖イシュトヴァーンの騎馬像より奥に見える不思議な建物。まるで鉛筆の先端のように、とんがっている塔がいくつも見えています。
ここは「漁夫の砦」と呼ばれる場所で、とんがり帽のような複数の建物は「7つの城壁」なんです。城壁が7つあるのには理由があり、ハンガリーを建国したマジャール人部族の数が7つあったことから、城壁も7つ造られたのだとか。
1896年にハンガリー建国1000年を記念して、この城壁はネオロマネスク様式の回廊展望台へと改装されました。回廊展望台のエリアに日中入ろうとすると有料ですが、実は夜に訪れると、誰でも自由に回廊のなかを歩くことができてしまいます。
(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )
コーヒーを飲みながら世界遺産都市の美しい眺めを
(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )
回廊にはこのようにカフェのテラス席が用意されているので、美味しいコーヒーを飲みながら、世界遺産都市の美しい眺めが堪能できます。
漁夫の砦というこの場所の英語表記はFishermen’s Bastion。なぜ、この城壁が漁夫の砦なのかというと、実は昔、この近辺に魚市場があり、まさに漁夫たちがこの一帯を守っていたからだそうです。また、砦と呼ばれるものの実は一度も防御用に使われことがないという不思議な砦なのです。
王宮の丘に切り立つように建設された「漁夫の砦」。丘の高さはなんと約70メートルもあるそうです。そんな漁夫の砦からの眺めは大変素晴らしく、要塞というよりも絶景スポットいったほうが正解かもしれません。
この回廊展望台からはドナウ川の対岸に広がる繁華街ペシュト地区、また、折衷主義と呼ばれる建築様式が美しい国会議事堂の眺めも楽しむことができます。
ブダペスト屈指の景観が楽しめる「漁夫の砦」と、砦に隣接し、歴代国王達の歴史が詰まった聖地のような「マーチャーシュ教会」。ブダペストを訪れる機会があれば、ぜひ、足を運んでみていただきたい、絶景スポットですよ。
さて、次回は、インテリア雑貨と関連して、暮らしを豊かに彩るワインの世界、実は隠れたワイン王国であるハンガリーワインの世界に皆様をお連れしたいと思います。インテリアの視点からはワイングラスの選び方について、また、お酒好きな方にとってはぜひ、その銘柄を覚えていただきたい内容ですので、どうぞお楽しみに!
この記事を書いた人
“FinoMagazin”(フィノマガジン)主宰(編集長)
ハンガリー在住コラムニスト。 食品会社でワインインポーター業務に従事した後、都内の広告代理店に転職。コピーライター、ディレクターとして勤務。百貨店やデパート、航空会社、ベビー・ブランド等のクリエイティブ広告で、インテリア製品のコピーライティング、ディレクション等を数多く手がける。 2013年、夫の国ハンガリーに移住後も育児に奮闘しながら執筆業に邁進。日本の雑誌(出版社)でハンガリー紹介記事(取材・撮影・文)を担当。また、自身とハンガリー人クリエイターとで運営するブダペスト発ウェブメディア“FinoMagazin”でもインテリアを含めたライフスタイル全般コラムを連載。美容メディアにてビューティ・コラム連載、その他、企業のWEBサイトや企画書制作、日本のTV局、広告代理店、メーカーからの依頼でハンガリー現地ロケ・コーディネート等、多岐に渡る業務をこなしている。 自身主宰のハンガリー情報WEBメディア “フィノマガジン” http://www.finomagazin.com/