継続は力なりと言うけれど、ルーティーンはなぜ三日坊主になってしまうのか(1/2ページ)
遠山 高史
2021/07/22
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いかにテキトーにやるかがポイント
外来でよく、日常的に運動をするように勧めることがある。このコラムでも何度も述べているが、適度な運動は健全な精神を保つのに効果的である。
ただ、よく誤解されるし、理解してもらうのに説明が必要な場合が多々あるが、私が言う運動とは、いわゆるスポーツのことではなく、日常生活でこまめに身体を動かすということである。
毎朝、庭先を掃除するとか散策がてらちょっとゴミ拾いをするとか、エレベーターやエスカレーターを使わずに階段を利用するとか、日常生活で行う何気ない動作を増やすようにと言っているわけだ。
言うまでもないことだが、これは単発的にやっても意味がない。ルーティーンとして、一連の生活の流れのなかに組み込まれるべきものである。こう言うと、大多数の人から、「いつも三日坊主で運動が続かない」とか、「飽きっぽい性格だから、無理」などと返される。
行動を習慣化するためには、脳の神経系にそのためのネットワークを作らなければならず、それには一定の期間を要する。一度ネットワークが作られてしまえば、あとは簡単。ほとんど意識することなく、行動できるようになる……と、文章で言うのは容易だが、やらなければならないことが多い現代人にはなかなか大変である。
たいていの人は、今年こそダイエットを成功させる、とか語学を習得するとか、資格を取ると目標を立て、そして挫折した経験があると思う。
すでに多くのメディアで、効率的な習慣化の方法が星の数ほど紹介されているので、ここでは詳しく述べない。
私が皆さんに申し上げておきたいのは、「いかにテキトーにやるか」ということである。ただでさえ忙しいのに、ガチガチにルールを決めて、「~しなければならない」「~すべきである」という風にやれば、うまくいくわけがないのは自明である。
この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。