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ビジネスパーソンは要注意 瞑想、マインドフルネスによって陥る「禅病」の危険性

正木 晃正木 晃

2021/07/12

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禅宗「臨済宗」の座禅の原点を引き継ぐ白隠系

日本の禅宗には3派ある。その3派とは臨済宗、曹洞宗、黄檗宗である。

臨済宗というと、歴史の教科書には、栄西(ようさい/1141-1215)が祖と書かれているが、正しいとは言いがたい。栄西という人物はきわめて複雑な性格の持ち主で、禅僧であるとともに天台宗系の密教僧でもあった。現に、源頼朝や平政子からは、三井寺(みいでら)/園城寺(おんじようじ)系の密教僧として、鎌倉に招かれている。ちなみに、今の鶴岡八幡宮も明治維新前は神社ではなく、鶴岡八幡宮寺という寺院であり、三井寺の末寺だった。

臨済宗の場合、仏道修行の原点に立ち返り、ひたすら悟りを追求する「純粋禅」は、南宋から渡来した蘭渓道隆(らんけいどうりゆう/1213-1278)から始まった。

この流れは鎌倉末期から南北朝の時代に、「応燈関の三代」と呼ばれる日本臨済禅の頂点に至る。南宋の虚道智愚(きどうちぐ)に師事した大応国師(南浦紹明〔なんぽしようみよう〕1235~1308)・大燈国師(宗峰妙超〔しゆうほうみようちよう〕1282~1337)・関山(関山慧玄〔かんざんえげん〕1277~1360)である。現在に伝えられる日本臨済宗の法系はことごとく応燈関に属する。なぜなら、関山の衣鉢のみが、江戸時代前期に登場した白隠慧鶴(はくいんえかく)に受け継がれ、他の法系はすべて絶えてしまったからだ。

したがって、現行の臨済宗にとって、白隠慧鶴は無二の存在といっていい。

白隠慧鶴が患った「禅病」の症状とは?


白隠慧鶴/Public domain, via Wikimedia Commons

その白隠がまだ若い頃、「禅病」に罹って、いたく難渋した。

著作の『夜船閑話』に、罹患した原因から始まって、症状や、治療の過程が、かなり詳しく書かれている。まず、原因である。以下に、当該する箇所の原文と私の現代語訳を引用する。なお、原文に使われている漢字は新字体に改めている。

 

 

【原文】
山野(さんや)初め参学の日、誓つて、勇猛の信々(しんじん)を憤発し、不退の道情(どうじょう)を激起(げきき)し、精錬(せいれん)刻苦する者既に両三霜、乍(たちま)ち一夜忽然(こつぜん)として落節(らくせつ)す、従前多少の疑惑、根(こん)に和して氷融し、曠劫(こうごう)生死(しょうじ)の業根(ごうこん)、底(てい)に徹して漚滅(おうめつ)す。自(みづか)ら謂(おも)へらく、道(みち)人を去る事寔(まこと)に遠からず、古人二三十年、是(こ)れ何の捏怪(ねっかい)ぞと、怡悦(いえつ)蹈舞(とうぶ)を忘るる者数月。向後(きょうご)日用を廻顧(かいこ)するに、動静(どうじょう)の二境全く調和せず、去就(きょしゅう)の両辺總(りょうそう)に脱洒(だっしゃ)ならず。自(みづか)ら謂(おも)へらく、猛(たけ)く精彩を著(つ)け、重ねて一回捨命(しゃみょう)し去らむと、越(ここにおい)て牙関(げかん)を咬定(こうじょう)し、双眼(そうがん)晴(せい)を瞠開(どうかい)し、寢食ともに廃せんとす。

【訳】
禅の修行を始めるにあたり、こう誓った。

「悟りを求めるために、勇猛心を発憤し、絶対に退かない」

かくて、ひたすら修行に精勤し刻苦勉励すること足かけ三年にして、一夜、悟りの境地に至った。これまで抱いていたいくつもの疑惑はその根底から氷解し、輪廻転生の初めからつきまとっていた業もまた完全に消え去った。

そして、こう思った。「究極の悟りの境地も、もうすぐだ。昔から何十年もかかるといわれてきたが、自分の場合はそうではなさそうだ」。嬉しくて嬉しくて、文字どおり狂喜乱舞の状態だった。

ところが、数カ月して、冷静に自分の状態をかえりみると、坐禅の動と静とがまったく合っていないことに気付いた。両極を行きつ戻りつするばかりで、そこからどうしても抜け出せない。

そこで、こう思った。「なおいっそうの精進が必要だ。命がけで修行しなければならない」というので、歯を食いしばり、両眼をカッと見開き、寝ない、食べないで、頑張った。

発病すると、こうなってしまった。

【原文】
既にして、未(いま)だ期月(きげつ)に亘(わた)らざるに、心火(しんか)逆上し、肺金(はいきん)焦枯(しょうこ)して、双脚(そうきゃく)氷雪の底(そこ)に浸すが如く、両耳(りょうじ)溪声(けいせい)の間(あいだ)を行くが如し。肝膽(かんたん)常に怯弱(きょじゃく)にして、挙措(きょそ)恐怖多く、心身困倦(こんけん)し、寐寤(びご)種々の境界を見る。両腋(りょうえき)常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。

【訳】
一カ月もしないうちに、心臓はどきどきしっぱなし、呼吸が苦しくなり、下半身は氷に使っているように冷え、谷の激しい流れのすぐそばにいるみたいな轟音が耳に響きっぱなしになり、内臓は不調になり、なにかにつけてひどく不安や恐怖にとらわれ、心も体も疲労困憊し、寝ようとすれば悪い夢ばかり見る。両脇はいつも汗をかきっぱなし、両眼はつねに涙で濡れている。

これが、白隠が罹った「禅病」の症状である。

その正体については諸説あるが、白隠が抑うつ状態、それもかなり重篤な状態になってしまったことは確かだ。そして、禅の厳しい修行が心身に尋常ならざる緊張状態を長期間にわたってもたらした結果、発症したことも確かだ。

 

現代に続く「禅病」と、その治療法

かつて、わたしが懇意にしていただいた高名な禅僧も、30歳代の前半で、ひじょうによく似た症状になったとおっしゃっていた。その方は「深い穴に落ちこんで、下から火であぶられて、ひりつくような感じで、どうやってもそこから逃げられなかった」ともおっしゃっていた。

しかも、禅病の厄介なのは、治ったと思っても、ある日、あるとき、突如として、ぶりかえすことだという。心身ともに回復して、良い気分になり、寺の裏庭で、ほころび始めた梅の花を見て、そのかぐわしい香を嗅いだ瞬間、いわゆるフラッシュバックのように、禅病の最悪の症状がよみがえってきたという。結局、克服するには何年もかかったと聞く。

白隠の場合は、白幽子(はくゆうし)という謎めいた人物と出会い、かれから「軟蘇(なんそ)の法」を授かって、危機を脱した。「軟蘇の法」に実践方法ついては、「日本の禅僧とチベット密教が実践していた身体を癒す秘法」でご紹介しているので、そちらをご覧いただきたい。

 

ビジネスパーソンの「瞑想ブーム」が危ない理由

昨今、瞑想がブームである。

トランセンデンタル・メディテーション、マインドフルネスなど、各種各様の瞑想法が話題になっている。

目的もさまざまある。気楽な健康法として、仕事の合間のリラクゼーションとして、本気で「悟り」を求める方途として、瞑想が実践されている。そのなかで、わたしが最も危惧しているのは、仕事の効率をさらに高める手段として実践される瞑想である。実は、これがけっこう多い。

たしかに、瞑想することで、心身がともにリラックスした状態になり、解放された心身環境が新たなアイデアや発想を生むことは、十分にあり得る。現に、アップルの創始者のスティーブ・ジョブズは、日本の曹洞宗の禅僧に師事していた。わたしがお付き合いしている経営者のなかでも、瞑想を実践している方が少なくない。

しかし、仕事の効率をさらに高める手段として実践される瞑想は、その人を非常に危険な心身状態にしてしまう危険性が否めない。たとえば、瞑想を実践して、良い仕事に結実したとしよう。このように、瞑想と良い結果がうまく結び付いているときは、まだ良い。ところが、瞑想と良い結果が結び付かなくなったとき、その責任の一端が瞑想にあると考える人が出てきても、さして不思議ではない。

そんなとき、選択肢は二つある。その瞑想を止めるか、よりいっそう瞑想に励むか、である。どちらを選んでも、あまり良い方向へは進まない。なぜなら、どちらも「結果」を求めているからだ。

そこに問題の根源がある。なぜなら、禅宗が実践してきた坐禅などの瞑想法は、「結果」を求めないとされてきたからだ。ただただ、ひたすら坐る。それが本来である。

しかし、昨今の瞑想ブームを見ていると、ほとんどの方がなんらかの「結果」を求めて瞑想を実践している。これは極めて危険な方向だ。なにしろ、白隠ほどの天才宗教者ですら、悟りという「結果」を求めて、そのあげくに「禅病」に罹ってしまったのである。

くれぐれも用心していただきたい。


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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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