まちと住まいの空間 第27回 「ブラタモリ的」東京街歩き④――坂の「キワ」を歩く「本郷台地」
岡本哲志
2020/08/26
坂の高低差が見た目にもわかりやすい「聖橋下」
「ブラタモリ的」東京街歩きの第4回目は「本郷台地」に行ってみたい。
2009年12月3日に放送された「ブラタモリ本郷台地編」で紹介されたラストシーンはなぜか聖橋だった。この番組で私が登場したのは、最後のわずかなシーンに過ぎない。締めくくりといえば聞こえがよいが、聖橋の上から渓谷となった神田川を眺め、タモリさん、久保田アナウンサー、そして私の3人で、本郷台地を掘り込み神田川が通された話をすることになっていた。
お茶の水橋から見た聖橋
人工的に掘られた神田川について、タモリさんが久保田アナウンサーにあらかた話し終え、私との出会いのシーンとなる。私は、神田川が新しく掘られた要因について話す。
膨大な労力を使ってまで、どうして江戸幕府が神田川を開削する決断をしたのか。その核心については、ひとつの明確な回答が現在得られるわけではない。もちろん、丸の内、日本橋、神田方面の低地開発と、そこに設けられた市街地を洪水から守るという説は重要な要因のひとつである。ほかにも、江戸城あたりのグランドレベルより高い神田山を消滅させる説、新たに掘り割った外濠の排水路としての役割を持たせる説など、いろいろと語られてきている。
「本郷台地」を担当したディレクターは「ブラタモリ」で高低差、崖、坂道を強く意識して番組化してきた一人である。その流れでいえば、聖橋の上ではなく、神田の靖国通りあたりまで下った方が、本当の意味で「本郷台地」の「キワ」に行きあたる。それをあえて聖橋下の人工の渓谷に設定したのは、テレビ映りのよさだけではなく、本郷台地の標高差を暗に視覚的に示したかったのかもしれない。確かに、本郷台地の南側のキワまで行ってしまうと、現在の明大通りと呼ばれる坂道はなだらかすぎ、テレビ画面を見ただけでは本郷台地の高低差が理解されにくい。
私としては、明治大学の裏(神田駿河台二丁目)、金華坂、男坂、女坂のあるあたりも番組に組み入れてほしかった。
ほどよく曲線を描く金華坂
ここらあたりには高低差を感じる本郷台地のキワが残り続ける。あまりの崖で、坂の整備が関東大震災後と新しいが、高低差のある3つの坂は個性的で魅力を感じる。あるいは、高低差でいえば、お茶ノ水橋あたりも面白い。
船上から見たお茶ノ水橋
徳川家康が江戸に入府したころ、江戸で一番高いといわれる神田山があり、慶長8(1603)年に神田明神が大手町から神田山の山麓に最初に移された。元和6(1620)年に神田川が開削される以前、元和2(1616)年には神田明神が現在地に再び遷座した。神田川が開削された後、お茶ノ水橋あたりの両側の土手は、まだまだ高かく、人工的だが現在よりもはるかに渓谷美を感じさせた。
『新撰東京名所図会』[明治29(1896)年から44年まで発行された東京の各区を町ごとに、その町の名所や学校、会社などを多くの写真と挿絵で紹介した雑誌]に、明治30年代に描かれた「お茶ノ水橋・駿河台」と題した絵がある。この絵から、かなり高い位置に最初のお茶ノ水橋(1891年架設)が架けられたことがわかる。
その橋と、関東大震災後に架設された現在の橋(1931年架設)の高さを比べると違いが歴然である。橋に市電を通すために神田川の両岸をかなり削って低くした。明治期や江戸の初期の地形を復元すると、駿河台の坂道の名がよりリアリティをもって語ることができるのではないか。
本郷台地の「キワ」がわかりやすい湯島天神の「男坂」
「ブラタモリ本郷台地編」の番組は、湯島天神男坂下からはじまり、本郷台地のキワを辿る。
(図)江戸時代の土地利用をベースにした本郷台地。数字は番組で巡った順番
担当ディレクターは、高低差、崖、坂道を番組のお飾りではなく、真っ向勝負したというところだろうか。気合いを入れて、本郷台地のキワを「ブラタモリ」となる。番組では台地と低地とで構成される東京の地形に描かれた坂もしっかりと押さえられている。
とはいえ、タモリさんの著書『タモリのTOKYO坂道美学入門』に出てくる坂道は一つも登場していない。この本の初版が2011年10月24日。ブラタモリのスタッフは当然読んでいない。
本に掲載された本郷台地関連の坂道をあげると、千駄木の大給坂、西片町の福山坂、菊坂の鐙坂の3つ。上野台地側も入れると、富士見坂と三浦坂が加わる。番組で紹介された坂道はすべて空振りだが、これを比べるとタモリさんの「美学」と「ブラタモリ」スタッフのこだわりが番組での坂選びをせめぎ合っているようで面白い。
本のタイトルを「美学」としている以上、タモリさんの坂道に対する美的センスが大いにあらわれた坂の選択である。そのためか神田明神、愛宕神社、そして湯島天神の石段の参道はその名が知れた坂道だが、真直ぐなために選ばれていない。
これに対して番組の「ブラタモリ本郷台地編」では、菅原道真(生没:845〜903年)を御祭神とする湯島天満宮(湯島天神)の天神男坂下からスタートする。真直ぐな石段を坂道として語るには躊躇するタモリさんがいて、話題が高低差と崖の「キワ」に終始する。
天神男坂の上から崖下を眺める
番組の流れは台地と低地の間のキワ、斜面に落ち着いていく。タモリさんは「キワ」の魅力を語り、「女性の着物のキワ」の色気にこだわる。
東京の台地上は平坦である。なだらかに西から東に下る武蔵野台地は、気の遠くなる時間をかけて水の流れが削り取り谷をつくりだした。台地上は太古の時代から平坦であり、武蔵野台地の最も古い地形の記憶ともいえる。江戸時代以前からの境内へのアプローチは、南から平坦な台地上を真っ直ぐ湯島天神の表の鳥居に行きあたる。高低差の好きなタモリさんにとって、平坦な台地上は興味の範疇から外れるのだろう、平坦な台地には足が向かない。
名前負け?の「立爪坂」の本来の姿
番組では湯島天神から突然妻恋坂へ画面が変わる。ナレーターの戸田恵子さんが「近所の坂」と語る。映像を見ていて、湯島天神境内から妻恋坂に至る行程の映像が空白のために不安を感じてしまう。勝手な解釈だが、ここで不安に感じた人は東京をよく知る人だ。東京の地理がある程度頭に入っている人だと思う。知らない人であれば、不安な思いは起きない。
タモリさんたちは湯島天神から本郷台地を南に下る。確認したわけではないが、移動はロケバスを利用したと思われる。歩きだと鳥居を出て平坦な湯島天神前の参道を南に行けば妻恋神社のある妻恋坂の坂上に至る。道の途中、向かって左側は崖が続く。あまりに急な崖から、崖下を結ぶ実盛(さねもり)坂、三組(みくみ)坂は関東大震災以降に新しく開かれた坂道である。
崖を実感できる実盛坂
平坦な道から見える崖下は、太古の時代からの空間をイメージ体感できる。妻恋坂は寛永20(1643)年の江戸絵地図にすでに記載されている古い坂道である。妻恋坂を坂上から坂下まで歩いていくと、途中左側に階段状の坂がある。
名前の由来がイメージできない立爪坂
一旦平坦になり再び階段で上がったところにあるのが立爪坂である。坂名の由来は、「爪を立てて上らなければならないほどの急坂」だったことから立爪坂と呼ばれた。
番組ではここが話題の中心となる。番組内で、タモリさんははじめて訪れる坂と戸田ナレーターが語る。目の前の坂を見て、タモリさんは立爪坂かどうか半信半疑の様子。立爪坂の名の由来とはイメージが大きく異なるからだろう。
立爪坂は江戸時代からよく知られた坂のようで、広重の弟子、歌川広景が「江戸名所道外尽 廿八 妻恋こみ坂の景」と題した絵を描いている。この絵では、妻恋坂から上がる坂の右側が崖となり、浅草寺の五重塔など江戸市中が一望できた。この崖の斜面地に、現在は立爪坂に沿って住宅が並ぶ。宅地化のために、坂の形状が大きく変化し、拍子抜けする坂の風景となってしまった。
これは想像に過ぎないが、タモリさんは自前の車で何度か妻恋坂を行き来しており、その時に現在見る立爪坂が絵にもなった立爪坂とはよもや思わなかった。単に、宅地開発で新しくできた道くらいに思い、素通りしてしまったのではないか。
拍子抜けの立爪坂だが、この坂を上り切ったところに立つと、崖と崖下の様子がよくわかる。
現在の立爪坂坂上から崖下を眺める
立爪坂に沿って住宅が並ぶまで、立爪坂のワキはこのような崖であった。番組では坂上からタモリさんたちを見続けていたおじさんが立っていた場所まで行けば、立爪坂の評価も変わったことだろうと想像してしまう。あるいは、ディレクターが暗にテレビを見ている視聴者に向けて、画像で「暗号」を発信したかったのか。そうだとすると、あの場面は意外とシュールに思えてくる。
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この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。