まちと住まいの空間 第25回 「ブラタモリ的」東京街歩き②――テレビを観ているだけではわからない坂道の愉しみ方
岡本哲志
2020/06/27
『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社刊/新訂版 1760円・税込)
【前回の記事】まちと住まいの空間 第24回 「ブラタモリ的」東京の街の歩き方、読み方――「タモリ目線」で見てくるもの
紹介される坂道にあるタモリさんとスタッフの“駆け引き”
東京は、皇居を中心に北東から反時計回りに七つの異なる台地で構成されている。
上野台地、本郷台地と続き、小石川・目白台地、牛込台地、四谷・麴町台地、赤坂・麻布台地へ。最後は芝・白金台地が内海(現・東京湾)に面する。世界の大都市の中でも極めて珍しい地形形状のもとで、東京の都市空間がつくりだされた。「ブラタモリ」では、タモリさんが高低差、崖、坂道の大ファンだということから、番組を構成する上でもこれらが意識的に取り上げられ組み込まれる。
高低差、崖、坂道を強く意図して制作された番組をあげると、本郷台地、六本木、赤坂が思い浮かぶ。
魅力的な坂道が登場する番組の場所
また、番組では、単にシーンとして登場するに過ぎないが、タモリさんが好きそうな坂をセレクトして詩的に映像化してもいる。早稲田の「胸突坂」、上野の「清水坂(しみずざか)」、三田・麻布の「綱坂」「暗闇坂」が印象に残る。
「ブラタモリ」に登場した坂道は、テレビ映りのよい坂をスタッフが選んでもタモリさんのリアクションが乏しいとカットされる。逆に、タモリさんがいくら好きな坂道だったとしても、タモリさん自身のリアクションが弱ければボツになる可能性もある。「ブラタモリ」に登場する坂道のシーンは、タモリさんと番組スタッフとの間の駆け引きがあり、思いのほか緊張感が生まれていて面白い。
坂道の魅力は下りではなく上りにあり――「胸突坂」(東京都文京区)
2009年放送のレギュラーシリーズ第1回放送の「早稲田編」では、タモリさんの好きな坂道を強く前面に打ち出した番組構成になっていない。母校である早稲田大学、蛇行していた神田川の痕跡探しがメインだった。
最後のほうで、椿山荘の一室を借りて縄文海進の話で盛り上がったとしても坂道はスポットとして登場したに過ぎない。崖を背にした関口の水神社脇にある「胸突坂」がそれで、ブラタモリがシリーズ化した第1回放送に登場した坂道のためか、タモリさんは魅力的な坂の条件を幾つかあげる。そのうちのひとつに、「坂の周囲が江戸時代の雰囲気を醸し出している」ことが評価の条件と語る。また、曲線を描く坂道もその魅力を評価するひとつとしている。
胸突坂は、比較的直線の急坂だ。坂沿いには「蕉雨園(しょううえん、旧田中光顕邸)」の石で組み上げられた塀や「芭蕉庵」の敷地から漏れ出る木々の緑が江戸情緒を感じさせる。
下る胸突坂(早稲田)
街歩きをする時、下るルートを意識的に歩く。その理由は街歩きに参加する多くの方は若くないためだ。しかし、坂道を好きな人は高低差や崖の厚みを身体にしみ込ませ、一体となるために上りを選ぶ。
上る胸突坂(早稲田)
ブラタモリの撮影は上りを選択。『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社、2011年)には胸突坂が登場する。この本は「坂道実力判断」と称し、評価項目に「勾配」「湾曲」「江戸情緒」「由緒」の4項目をあげ、坂道を5段階評価している。
タモリさん流の坂道美学での評価に「湾曲」がこだわりとして入るが、胸突坂は実に魅力的な坂だが、「湾曲」が2つ星と低い。いくら「美人坂」であっても、タモリさんのサングラスを通すとトータルで「いまいち」の坂になるのだろうか。素敵だが、吉永小百合さんの境地までは至らないとなる。
自然の形状かつくられた形状かを見分ける――清水坂(東京都台東区)
第2回放送の「上野」編では、「清水坂(しみずざか)」を登場する。
しかし、この清水坂は『タモリのTOKYO――』には出てこない。タモリさんは曲線を描いてカーブする坂が好みのようだが、「清水坂」は好きな坂のひとつではないのか。あるいは、清水坂が「湾曲」していることから、番組のスタッフが絵的にもはえるこの坂を選んだのか。映像を見ただけの判断だが、タモリさんの乗りがいまひとつのように見えた。そのことから、どうも番組スタッフが選んだのではないかと思われる。
清水坂は、坂の途中にある煉瓦建築の方が坂自体よりも存在感を示している。
清水坂(上野)
この建物は、上野で行なわれた博覧会の時に走った路面電車を動かす発電所として明治期に建てられた。その後も、東京をくまなく巡る市街鉄道(市電)に電気を送り続けた。現在は、上野動物園で販売されているぬいぐるみグッズの保管場所となる。ただ、この清水坂の形状が江戸時代初期から永々と維持され続けているかと言えばそうではない。現在コンクリートの高い擁壁を右手に見て上がる清水坂は、多分に不自然な形状に感じるはずだ。
上野の寛永寺は、元禄11(1698)年に起きた「勅額の火事」後に境内地を拡大させた。東側の崖下の土地には11の子院の移転先になり、その土地が後に上野駅の構内となる。境内地の拡大はそれだけではなく、谷中・池之端の方でも見られた。この時、清水坂周辺が大きく変化し坂の形状も変わる。
清水坂の坂下には、かつて寛永寺境内に食い込むような谷戸があった。その根本から清水(しみず)が湧き、小さな川となって坂下のあたりに流れ出た。そこに寛永寺の門がつくられたことから「清水門」の名が付けられたのが旧清水門である。
しかし、宝永6(1709)年には護国院が現在地に移り、坂の形状が変化した。その時、坂上にある護国院山門近くに新しい清水門ができる。現在の清水坂は新旧の清水門を結ぶようにJの字を描いて新たに整備された。そのため谷戸の地形を消し去る坂のありかたから、何とも違和感のある坂道となった。残念ながら、形状を変える前の坂道が魅力的だったかは判断しかねる。
形状を変化させた坂の両側は、護国院の墓地と三河豊橋藩主大河内家の屋敷の木立が鬱蒼とした薄暗い空間をつくりだした。寛永寺の門である「清水口」に因んで付けられていた清水坂の名は、暗闇坂とも呼ばれるようになった。
寛永寺が上野戦争で壊滅的な状況になって以降は、護国院の背後にあった墓地が盛り土され、東京芸術大学、上野高校といった施設となる。現在は再び清水坂となっているが、歴史的な記憶は近代の煉瓦建築だけで、「江戸情緒」「由緒」が弱い。タモリさんの乗りの悪さがこのあたりにあるのかもしれない。
情緒と由緒を感じるのも坂道の愉しみ方の1つ――「綱坂」「暗闇坂」(東京都港区)
第5回放送の「三田・麻布」編では、坂道ファンにとってメジャーな「綱坂」を上るシーンが出てくる。台地に上がるこの坂は、左側が三井俱楽部、右側がイタリア大使館となる。江戸時代の大名屋敷の広大な土地が近代、現代と維持され続けた。
綱坂(三田・麻布、撮影した時は三井俱楽部の塀が大規模工事の最中だった)
綱坂は、上りはじめるあたりが少し湾曲するだけでほぼ真っ直ぐ上っていく。『タモリのTOKYO――』では「湾曲」の評価は3つ星と普通。胸突坂と比べ星一つの差だが、少し高い評価だ。「湾曲」の評価に関して、どちらかといえば胸突坂のほうに私は軍配をあげたい。
その理由は綱坂を上がり切った台地上、道の北側には、大名屋敷の間を抜ける綱坂と全く趣を異にする特異な坂に出会えるからである。江戸時代は、一部寺町となるが、全体として大名屋敷が占めていた。その点は南側と比べ大きな違いがなかった。明治以降になると、北側は再開発により現代風に言えば密集市街地となる。「三田・麻布」編では寺院の墓地を抜け、谷にある密集市街地に下る。次に谷から、休業して久しい立派な銭湯脇にある階段状の坂を上がっていく。
銭湯の脇から上がる階段状の坂(三田・麻布)
「一人で楽しく高低差を体感させてよ」と言いたげな、ノリノリのタモリさんがいる。「三田・麻布」編の後半は「ガマ伝説」に話題ががらりと変わる。十番稲荷神社からガマ伝説の場所探しをはじめていき、終着点の「ガマ池」に。ここに至る物語の途中に「暗闇坂」を上るシーンが映し出された。
暗闇坂(三田・麻布)
2007年4月号『東京人』の坂道特集でタモリさんが登場している。ちなみに、私はタモリさんの直ぐ後に書いている。この特集記事の「タモリの東京坂道ベスト12」では、胸突坂と綱坂がランクイン。一方、暗闇坂は入っていない。『タモリのTOKYO――』では、4つの評価基準の星を合計すると、3つの坂の総合点はいずれも同じ星数であった。「勾配」、「湾曲」では暗闇坂が他の2つの坂を上回る。ただ「由緒」が3つ星のために、絞り込む時に落とされたのだろうか。その時の気分で左右されるわずかな違いであろうと思う。どちらかと言えば、タモリさんは「勾配」「湾曲」よりも、「江戸情緒」「由緒」を重んじる傾向にあるようだ。
十番稲荷神社とガマ池を結ぶと、歩いていくライン上に暗闇坂がごく自然に位置する。しかし、「ガマ伝説」の物語の流れからは、場面の切り替えに暗闇坂を単に挟んだだけとも思えてくる。「坂道」を脈略もなく挟むことは、たとえば民放の魅力的なCMなのかとも。「ブラタモリ」ではそのような効果をも意図しているようだ。
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この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。