BOOK Review――この1冊 『むらさきのスカートの女』 今村夏子著
BOOK Review 担当編集
2019/09/04
『むらさきのスカートの女』 今村夏子著 朝日新聞出版刊 1300円(本体価格)+税
昔、どの町にも一人や二人、得体の知れない人物がいたのではないだろうか。子ども達は怖いもの見たさにその後をつけたり、背中にタッチしてワーッと逃げ出したり、家の様子を覗きに行ったりしたものだ。けれど、いつの頃からか、そういう人間が町を歩くことをよしとしない世の中になってしまった。
「むらさきのスカートの女」はそういう意味では少し昭和の香りがする、町の誰もが知っている不思議な女性だ。週に一度、商店街のパン屋でクリームパンを買い、公園の決まったベンチでそれを食べる。人混みの中でもスイスイ滑るように歩く女に、わざとぶつかりに行った猛者もいるが、成功した者はいない。
そんな彼女が気になって仕方ない〈わたし〉は彼女を観察し、彼女と友達になりたいと願う「黄色いカーディガンの女」だ。仕事探しに苦戦している「むらさきのスカートの女」のために、自分が働くホテルの客室清掃係の面接を受けるように誘導し、見事に同じ職場で働くことに成功する。
だが、同じ職場で働きながらも、〈わたし〉と「むらさきのスカートの女」は全く接点がない。一方的な片思いだ。ストーカーともいえるほどの執着心で女を観察し続けるのだが、女はまったく〈わたし〉の存在に気づかない。その不可思議さ。なぜ、これほどまで近くにいながら気づかれないのか。「むらさきのスカートの女」は実在するのか。〈わたし〉とは一体誰なのか?
本書は、2019年上半期芥川賞受賞作である。今回は芥川賞直木賞候補作が発表された時点で、いつも以上に注目が集まった。というのも、直木賞候補6人が史上初めて女性のみとなったからだ。芥川賞候補は5人のうち3人が女性だったが、結局、選考過程での上位3人が女性。つまり、女性作家の活躍が注目されるなか、本書は「文句なし」で芥川賞に選ばれた作品だったのだ。
ところで、芥川賞とはどういう賞かご存知だろうか。直木賞はエンターテイメント系の単行本として出版されたものがノミネートの対象になる。だから、人気作品、人気作家が多い。
一方、芥川賞は少し状況が異なる。「雑誌に発表された、新進作家による純文学の中・短編」からノミネートされる。まだ書籍として世に出ていない、ときには同人誌から選ばれることもあるというのだ。そもそも純文学というのが、わかりづらい。エンターテイメントではないから、読者を喜ばせたり、本が売れることに主眼が置かれていない。つまり、読者への媚びがない。「これ何が言いたいんだ?」「え、これで終わり?」という作品も多いのだ。
だが、本書にはある種、心理サスペンスの要素がある。〈わたし〉が観察する「むらさきのスカートの女」の日常を追いながら、読者はどこか居心地の悪さを感じる。なぜこれほどつきまとわれているに、女は気づかないのだろう。本当に実在する人物なのだろうか。いや、黄色いカーディガンの〈わたし〉こそ、実在しないのではないだろうか。ストーリーの奥に潜む、作者の仕掛けた罠にまんまとはまっていく。
そして後半、怒濤の展開が待っている。芥川賞らしくないエンタメ要素も入りつつ、最後は不穏な余韻が残り、ああ、やっぱり芥川賞受賞作だと納得して、頁を閉じる。
この作品の面白さは、読まなければわからない。おそらく、それは行間から立ちのぼる空気感なのだ。
本書は是非、書店で手に取ってほしい。じつは、その表紙には「むらさきのスカート」は一切描かれていない。別の色のスカートが描かれている。いや、スカートじゃないのかもしれない。それなのになぜか、むらさきのスカートを見たような気になってしまう……これもまた作者の仕掛けた罠なのだろうか。
『むらさきのスカートの女』
今村夏子著
朝日新聞出版刊
1300円(本体価格)+税
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ウチコミ!タイムズ「BOOK Review――この1冊」担当編集
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