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北条氏――源頼朝とともに鎌倉幕府をつくり、支えた一族の系譜 (2/2ページ)

菊地浩之菊地浩之

2022/01/09

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実に日本的なシステムだった北条氏の「得宗家」

北条氏はそんな地方小領主に過ぎなかったが、時政・義時父子が鎌倉幕府の実権を握り、義時の子どもたち、孫たちが幕府の要職に就き、栄えていく。

義時の庶長子・北条泰時は「御成敗式目」を定め、名執権として名高い。しかし、そもそも義時は泰時ではなく、次男の名越朝時(なごえ・ともとき)を後継者と考えていたらしい。

朝時の母は幕府の有力者・比企(ひき)氏の娘、一方の泰時の母は出自もよく分からない女性なので、昔の価値観なら当然、母の身分が高い朝時の方に軍配が上がる。泰時は若い頃、北条ではなく江間(えま)太郎と名乗っていた。つまり、分家筋の扱いだったのだ。

ところが、比企能員(よしかず/演:佐藤二朗)の娘が源頼家に嫁いで権勢を振るい、北条氏によって滅ぼされてしまう。それがもとで、朝時の母は義時と離婚したらしい。さらに朝時自身の失態があって、泰時が後継者になったようだ。

以降、泰時直系の子孫が「得宗家」(とくそうけ)と称され、絶大な権力を握る。特別な宗家という意味ではなく、義時の法名が徳宗だったから、その直系の子孫という意味だ。タイミングが合えば、得宗家が執権に就任するが、そうでない時には一族のしかるべき人物に執権職を任せる。しかし、幕府の最高実力者は得宗家の当主であって執権ではない。いわゆる「院政を敷く」というヤツだ。

そういうわけで、5代執権・北条時頼までは得宗家が続いて就任しているのだが、その後は8代・北条時宗、9代・北条貞時、14代・北条高時と飛び飛びになっている。その間は得宗家が権力を維持しつつも、分家筋に執権を任せている。まさに日本的な――役職に権力があるのではなく、傍目からは誰が権力者か分からない――構図になっている。

そういった意味からも北条氏は日本を代表する家系だといえるのかもしれない。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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