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子どもファーストで面会拡充を実現——愛する気持ちは一緒だからできたこと(前編)(3/3ページ)

しばはし聡子しばはし聡子

2021/10/02

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——一貫して争わずに相手を責めたりしないで進めていったのでしょうか?

相手に対して追い詰めとかはしなかったですね。怒りや不満、不安な点を伝えようとしたときも、自分の弁護士から「それは言わないでおきましょう」ということを言われたりしました。今思えば、弁護士にストレス発散していたように思います。それで消化できていました。ひとりで戦っていたら、自分が思っていることを調停委員にぶつけてしまい、きっとよくない印象だったと思いますし、今のようにうまくいかなかったと思います。

——面会交流調停の申立は起こしましたか?

妻側から離婚と面会の調停が申し立てられていたので、私からはしていないです。最初は本当に会えるのかな?というところが不安でした。子どもとなかなか会えず、子どもに近づいてはいけないと言われていたので、会えるのはいつだろう?と。その間は調停が始まってもつらかったですね。

——そのとき、早く会わせてと催促しなかったのでしょうか?

別居した2019年8月からその年の年末まで会えなかったのですが、調停で決められたことを、それまで粛々と対応にのっとってやっていきました。ただ、自分が我慢するのはよくないとも思っていました。全然納得していない部分もあったので、子どもを連れていかれてしまって悲しくて、自分も会いたいし、会えないという状況を全く理解できなかったんです。

そのときに自分が起こした行動は、学校へ相談に行きました。学校で自分の状況を伝えて、担任の先生や校長先生、教頭先生とも話して、子どもと会えない状況です、と正直に話しました。息子と会えないと自分がとても不安定だし、息子の様子も気になると。学校からは、学校で会わせることはできませんと言われ、仕方ないなと思い、自分としては息子の様子も心配だから、手紙を書くのでそれを息子に渡してくれないかと提案しました。

そうしたら、学校側はそれはOKとしてくれました。別居して1週間も経たたないうちから毎朝会社に行く前に、手紙を書いて学校の担任に届けて、担任が昼休みに息子に伝えてくれました。息子が当時2年生だったのですが、ひとこと、ふたこと返信をくれる、というのをずっと続けてこれたので、調停で会えなくても少しは心が穏やかでいられたのかなと思います。

——まず学校はかわっていなくて、先生が架け橋になってお子さんからも返信が届くようになったと。働きかけをしたかいがありましたね。

学校側も最初は関わりたくないという感じでしたが、息子と自分の関係性をオープンにしたことで、「お父さんの存在も大切ですよね」と共感していただけたという状況です。息子が2年生を終えるまで手紙を書き続けました。その行為に関して、元妻はやめてほしいとか防御するようなことはなかったので有難かったですしやりとりできたことに感謝しています。

後編につづく

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この記事を書いた人

一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️

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