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義祖母、義母との四世代同居で学んだこと

二地域居住のお役立ちスキル、「共存力」を高める2つの知恵

馬場未織馬場未織

2016/12/16

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隠居をする、という申し出が。

今回はまず、わたしの東京の住まいでの話をします。

わが家は、家族5人と義母の6人暮らし、三世代同居です。
二世帯住宅ではなく、同じ玄関から出入りして同じキッチンを使う完全同居。いまどき東京ではめずらしいよね…と言われます。ちなみに数年前までは義祖母もいましたから、四世代同居という形でした。

義母はずっと家にいる人ではなく、後期高齢者にしてスーパーキャリアウーマン。昼も夜もなく飛び回っているのですが(子守りをお願いするのもままならないくらい)、やはり同居という親密さは相当なものです。一緒に住み始めてかれこれ15年、もう少ししたら実家の両親と同居していた年数よりも長くなります。

そんな彼女から、先日、「ちょっと話があるんだけど」と自室に呼ばれました。
改めて話があるなんて、ドキドキするものです。なんかチョンボしたかな? わたしがだらしなさすぎて、とうとう怒りが? などと不安な気持ちでちょこんと座って向き合うと、「実はね、そろそろこの家のなかで隠居になろうかと思うの」と言われました。

隠居?
なんだそれは!

「昔の年寄りは、ある程度の歳になったら奥の間にひっこんで、そこで自分の暮らしを完結させていたでしょ。家の主体は若い世代にすべて任せることで、自ら世代交代を促していたのよね。わたしも、小さな自立した空間をつくってそこで暮らそうかと思うの」。

…そんなことを考えていたのか。
わたしは本当に驚きました。
現在のわが家では、暮らしの具体的なことは、だいたいわたしが切り盛りしていますが、運営上肝心なことは義母と情報共有しながら一緒に進めていますし、それは彼女の命の限り続くと思っていましたから。

完全同居のマイハウスルール

「つまり…そのほうが幸せに暮らせる、という判断ですか?」
わたしは義母に尋ねました。

「正直言うと、いまの状態はとてもハッピー。帰ってきたら孫がわたしのベッドで寝っ転がっているのを見ると、ああこんなにありがたいことはない、と思うわ。でも年寄りがいつまでものさばっているのは見苦しいものよ。しかも、あなたから“隠居してください”とは言えないでしょう?」

そういって笑う義母。

…たしかに、言えない! 笑。
でも、正直いって、義母に隠居してほしいとはこれっぽっちも思っていませんでした。
なぜなら、主に義母とわたしという二者間で家の “ルール”を決め、それにしたがって暮らす、という状態が軌道に乗っていて、ストレスをほぼ感じていなかったからです。

“ルール”というのは、以下のような簡単なものです。

・食事はお互いの世帯で自立する。気を遣って相手の分をつくるのはナシ
・冷蔵庫のなかは棲み分けて、たとえ相手のエリアが荒れていても掃除しない
・家事は分担。分担以外のところは荒れていてもやらない
・たまたま一緒の時間にいられるときは一緒につくって一緒に食べる
・共用部分に関してかかる経費は完全折半

10年以上前に義母から提案されて以来、お互いそれを守ってきています。
ひとつの家ですが、寮とかシェアハウスのような使い方ですよね。

さかのぼって考えてみれば、わたしがふるーい考え方の義祖母との関係で苦労していたときの救済措置だったかと思いますが、それでも「これを守るって…冷たい関係にならないかな」と、当初はちょっと戸惑いました。家族なのに。って。

でも、長らく同居しているうちに、このルールの偉大さがどんどんわかってきました。ルールがあると無駄な気を遣わなくていい。また、たまに一緒につくって食べる夕食はとても楽しい。
子どもたちは、毎日義母と接するなかで、「いくら気が強くても高齢者は弱い」ということを肌身で感じ、自発的に親切にする。また親から怒られたら義母の部屋に避難したりと、気ままで奥行きのある暮らしができている。
その上、世帯を分けないことでの経済効果は絶大。

いまのところ、わたしの方には義母に隠居をしてもらう理由は見当たらないのが現状です。

時間をかけて、馴染みよい暮らしを探す意義

もちろん、この状態に至るまでは紆余曲折あり、ルールの軌道修正を何度も行ないました。「やっぱり同居はめんどくさい!」と思うことも。きっとそれはお互いさまだと思います。

ただ、いま思うのは、時間をかけてこのスタイルを熟成させてきた効果は、はじめのストレスを上回るものになったということです。

わたしは、夫とは結婚したけれど、義母とは結婚していない。選んでいない人と一緒に暮らすのですから、はじめからはうまくいきっこありません。
それでも、時間をかけて、お互いのライフスタイルやそれができた経緯を知る努力をしたり、明日も一緒にいなければならないという関係のなかで問題はなるべく早く解決するというスキルを上げていく過程で、「おお! 共存上手になったな!」と思うことが増えていくようになりました。
それは、基礎にルールがあったからこそできた”ゆとり”のおかげかもしれません。

はじめから無理をしない、ということ。
関係は時間をかけてつくればいい、ということ。

このふたつの考えは、わたしが二地域居住をする上でも、ずいぶん役に立っていると感じます。

たとえば、まったく知らない地域に飛び込んでいったとき、わたしも地元の方々も互いに違和感を持つのは当たり前です。ただ、短期間で得たわずかな情報で「合わないや」などと見限らずに関わり続けていると、関係が変化していきます。
地元の方々からは「この作業はできれば出てほしい」とか「冠婚葬祭はつきあいきれんだろうからいいよ」となったり、こちらも「ハッキリ言われるけれど裏はないんだな」とか「自分がやらないと誰かにやってもらうことになるんだな」と気づいたり。

手に入れた古民家も、大きな改修を加えずにひとまずそのまま住んでみることで、土地の暮らしの春夏秋冬が肌身でわかるようになります。そこから理解できた喜びや苦労も多々あります。

自分の居心地を確保することを考えたとき、“暮らしの器を自分でつくりかえる”という方法と、“暮らしの器をどう使いこなすか考える”という方法の、ふたつの方向性が考えられます。
親と同居する場合、二世帯住宅に建て替える、という解法は前者でしょう。それはそれでよかったかもしれない! 笑。
でも、自分のこれまでの暮らしから実感するのは、地味で時間がかかるけれど後者にはとても大きな価値がある、ということです。

で、はじめの話ですが。
「わたしも歳をとって子どもと同居できることになったら、いまのようなシステムで暮らしたいので、できれば最後までルール方式を貫いていただけますか」と提案したら、「そう? では、いまの状態を続行で!」ということで決着しました。
めでたし。

 

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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