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空間と心のディペンデンシー

「幸せのかたち」についての一考察

遠山 高史遠山 高史

2020/02/29

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イメージ/123RF

結婚は転機、人生は大きくかわる

人生とはどうなるかわからないものである。明るい将来と思われた人の人生が一変することもあれば、その逆もある。しかし、逆境が新しい出会いを引き寄せ、また違った生き方を歩み出す。いまは逆境でも、一歩踏み出すことで人生は変わるものなのである。

N子さんは、しっかり者であったが、細かい事にはこだわらない、明るい性格だった。笑顔が魅力的で男女問わず人気があり、高校では生徒会の役員を務めていた。
東京の大学を卒業して、大手金融機関に入社し、そこで見つけた相手と結婚した。結婚式は盛大で、新郎新婦はこれ以上ないほどに幸せそうだった。誰しもが、二人の前途は明るいと思った。

結婚から1年後、高校時代の仲間たちがN子さんの新居に招待された。女同士、気兼ねなく語り合おうというわけだ。新居は、東京郊外のこじんまりとしたマンションだった。部屋に入って友人達は驚いた。整然と片付けられた空間に、だ。客を招くのだから、片付いていて当然なのだが、それにしても、生活の匂いがしない。フローリングは塵一つなく、ピカピカに磨き上げられている。家具は、たった今、梱包を解かれたかの如くに新しい。生活雑貨は全て、所定の場所に収まっている。まるでインテリアショップのショールームのようだ。

高校時代、生徒会室のN子さんの机は、彼女のおおらかな性格そのままに、プリントの束や、アイドルの写真や、ちょっとした化粧品等が雑然と置かれており、教師からたまには片付けろと言われていたことを思うと、違和感さえあった。だが、片付いていることは悪いことではない――。とはいえ、そんな違和感も楽しくおしゃべりしている間に、友人たちも気にしなくなった。

そんななかで仲間たちの目の前にN子さんの手料理が並べられた。どちらかと言うと、N子さんは料理が苦手なはずだったので、並んだ料理を見て皆、驚き、N子さんの努力を褒めたたえた。N子さんは謙遜したが、見た目も味も見事なものだった。

それから3年ほど経った頃、N子さんから、久しぶりに外で食事でもしようと誘いがあった。集まった友人達はその席でN子さんが離婚したことを知った。どちらかと言えば、ふっくらとしていたN子さんが、痛ましいほどに痩せているのを見て、何があったのかと問うと、N子さんは、夫から精神的に追い詰められていたことを打ち明けた。

結婚してすぐに、営業職だった夫は仕事に悩むようになった。転職を考えるようになり、それにつれて、だんだんと、N子さんのやることなすことに小言を言うようになってきた。家事は女がするものだと主張し、共働きであるのに、家事一切をN子さんがやるようになった。食事の好みもうるさく、手料理にこだわる。そして、それについても味が濃い、種類が少ないなどことあるごとに、文句を言う。汚れや、家財道具の乱れを極端に嫌い、少しでも汚いと思うと、N子さんを叱りつける。

いかにも、N子さんのために言っているのだと、説き伏せるように言うので、N子さんは、ずっと、自分がいたらないから、叱られるのだと思いこんでいたそうだ。自分が悪いと思うからこそ誰にも言えず、仕事と家事に追われ、N子さんはやつれていった。

夫はハンサムで清潔感があり、女性の扱いも丁寧なのだが、几帳面で神経質なタイプだった。小さなことにこだわって、完璧を求めるため、物事が前に進まないことが多々あった。一方、N子さんは、持ち前の明るさと、おおらかさで、上司の覚えもめでたく、臨機応変に複雑な仕事をいくつもこなしていた。夫はそれも気に入らなかった。

始めに異変に気が付いたのは、N子さんの兄と母親であった。帰省したN子さんの不自然な痩せ方をみてN子さんを問いただし、内情を知った兄は、N子さんに、お前の結婚生活はおかしいと説いた。

離婚は、拍子抜けするほど簡単に進んだ。N子さんの両親と兄に、離婚に応じなければ訴えると迫られると、夫はあっさりと離婚届けにサインをした。それから、逃げるように、職場を変え、N子さんとの連絡を絶った。

「人間万事塞翁が馬」は起こる

友人たちは、あの時の異常なまでに無機質な空間を思い出し、当時、すでに夫から精神的DVを受けていたのだとわかると、気が付けなかった事を悔い、憤ったが、当のN子さんは、とにかく別れることができてホッとしているようだった。

その後、N子さんは、小さなアパートに引っ越した。様子をうかがいに訪れた友人の前に、N子さんの手料理が並んだ。

焼き立てのピザを切り分けながら、N子さんは、こう話した。
「結婚生活は地獄だったけど……、よかったこともあったと思ってる。料理の腕はあがったし、整理整頓と、掃除が上手くなったからね。」
冗談めかして言ったが、それを聞いた友人はうまく笑うことができなかった。N子さんの部屋は、あの時と同じように、塵一つなく、無機質だったからだ。

それからさらに数年後、N子さんには新しい彼氏ができた。よく笑う人で、何より細かいことに頓着せず、N子さんの自由にさせてくれるのがいいとN子さんは言った。
片付けが苦手で、帰宅すると靴下をほうりっぱなしにするのが困るとN子さんはぼやいたが、幸せそうだった――。

 

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この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

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