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第20回 昭和、平成、そして令和へ――超高層ビルの時代と東京

岡本哲志岡本哲志

2020/02/04

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100m以上が基準とならなくなった超高層ビルの高さ

もう8年以上も前の記事だが、三陸で巨大な地震津波が起きた年の秋、朝日新聞(2011年11月9日付)朝刊に「東京都23区 高さ100m以上の超高層ビル(竣工済)が400棟を突破」との記事が掲載された。400棟目は2010年10月に竣工した「室町東三井ビルディング」(105m)とのこと。それから8年が経過した2018年には「100m以上の超高層ビル」と銘打った棟数が話題にのぼらなくなる。「160m以上」が超高層ビルの棟数を把握する基準となっていた。2018年9月時点、160m以上の超高層ビルは96棟となる。その時の最新ビルが2018年9月に開業した渋谷ストリームタワー(180m)。2021年度までには新たに160m以上の超高層ビルが23棟加わる予定である。ただ、この基準すら忘れ去られてしまいそうな勢いで超高層ビルの建設ラッシュが続く。ちなみに、2018年9月時点の200m以上の超高層ビルは25棟。近い将来にはその数が倍になり、超高層ビルを数える基準となろう。

このように東京が超高層ビルで埋め尽くされるなかで、ショッキングな出来事として、2020年夏の東京オリンピック後に世界貿易センタービルが取り壊される記事を読んだ。世界貿易センタービルは、三井霞が関ビルを抜いた東京一のノッポビルとして知られる。何世紀も建ち続けるわけではないとしても、たかだか半世紀の寿命で消えてしまうことに驚きがあった。これからは、超高層ビルの解体が頻発する時代ともなる。

超高層ビルの第一号、三井霞が関ビル

100mを越える超高層ビルの歴史はすでに半世紀を越えた。その第一号が昭和43(1968)年に竣工した高さ147mの三井霞が関ビル(図1)。このビルの出現は、地震大国日本においても超高層ビル時代の到来を確信させた。設計は山下寿郎設計事務所、施工は三井建設と鹿島建設だった。このビルは、旧・東京倶楽部のビル跡地と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建てられた。江戸時代まで遡れば、日向延岡藩内藤家上屋敷となる。

三井霞が関ビルが計画された当初は、建築基準法による「百尺規制」(31mの高さ制限)がまだあり、階数9階建ての規模を限度にビルが計画されていた。しかしながら、昭和36(1961)年に都市計画法が改正となり、考え方が一変する。新しく導入された「特定街区」を利用すれば、超高層ビルへの道が開かれたからだ。特定街区は、既成市街地の整備・改善を図ることを目的に成立した法律で、ある街区において、既定の容積率や建築基準法の高さ制限を適用せず、別途都市計画で容積率・高さなどを定めることができた。
三井霞が関ビルの完成により、この約50万立方メートル(総重量約10万トン)もの巨大な総容積は、想像がつきにくい大きな体積を表現する際に用いられた。そして、モノの大きさをイメージするときにそれ以前は「丸ビル何杯分」と表現していたものが「霞が関ビル何杯分」に変わる。


図1、主な超高層ビルと江戸時代後期の土地利用

東京で最も高い歴代超高層ビル


絵葉書1、東京タワーと霞が関ビル、そして世界貿易センター  絵葉書2、西新宿の超高層ビル群

三井霞が関ビルが最高高さの座を下りる時期は2年後と早い。昭和45(1970)年に高さ152mの世界貿易センタービルが抜き、2代目の東京一ノッポビルの座につく(絵葉書1)。このビルは、小田原藩大久保家上屋敷跡地に建てられた。超高層ビルのあけぼのは、台地と低地にある、いずれも大名屋敷跡地からはじまった。

2代目の国際貿易センタービルも、西新宿の再開発第一号として建てられた、1971年竣工の3代目となる高さ178mの京王プラザホテル(本館)に一年後に抜かれた。淀橋浄水場を再開発した西新宿では、超高層ビル建設ラッシュが訪れる。4代目の新宿住友ビルディング(210m、1974年3月)、5代目の新宿三井ビルディング(225m、1974年9月)など、200mを超える超高層ビルが次々と西新宿に建っていき、京王プラザホテル(本館)も、瞬く間に東京一のノッポビルから陥落する(絵葉書2)。


写真1、虎ノ門ヒルズ  写真2、東京都庁舎本館

2018年9月時点では、2014年に竣工した虎ノ門ヒルズが実質的な高さNo.1の超高層ビルとなる(写真1)。公表された高さは247mだが、建物最高部が256mの高さである。霞が関ビルから数えて、9代目の最高高さの新記録ホルダーを獲得した。この時点の建物最高高さのベスト10を見ると、N0.1のノッポビルの座に輝いたことがある初代から4代目まではベスト10にも入っていない。

1978年にサンシャイン60に抜かれるまで、No.1の地位を維持した5代目の新記録ホルダーを得た新宿三井ビルディングがベスト10にかろうじて入る。6代目の最高高さの新記録ホルダーのサンシャイン60(240m 、1978年)はベスト5。23年間超高層ビルの最高高さの新記録ホルダーを維持し続けた。そのサンシャイン60を抜いた7代目の東京都庁第一本庁舎(243m 、1991年)がベスト3(写真2)。この建物は1991年から17年間最高高さN0.1を維持した。この40年間で2棟がタイトルフォルダーに輝いたに過ぎない。

だが、超高層ビルの建設が下火になったわけではない。それは、十数m程度の最高高さを競う価値が薄れ、土地条件や経済性を加味し、実質的な面を重視した超高層ビルの建設にシフトしたといえるからだ。2018年9月時点でN0.1、N0.2の東京ミッドタウンのミッドタウン・タワー(248m 、2007年)と虎ノ門ヒルズは、2014年に東京都庁第一本庁舎を抜いたとはいえ、せいぜい十数メートルの違いに過ぎない。

昭和43(1968)年に竣工した三井霞が関ビルを第一号として、現代東京に建てられ続けてきた超高層ビルだが、半世紀の間これらのビルがどのような場所に建てられてきたのか。100mを超える超高層ビルを建てるには、大名屋敷の敷地規模に相当する1万平方メートル以上の敷地が必要となる。

武蔵野台地に出現した超高層ビル(西新宿の超高層ビル群と孤高のサンシャイン60)


写真3、現在の西新宿の超高層ビル群  写真4、モード学園コクーンタワー

西新宿が建築群として超高層ビル街となった場所は、淀橋浄水場跡地であった。淀橋浄水場の土地は、江戸時代但馬豊岡藩京極家蔵屋敷、上野館林藩秋元家抱屋敷のほか区画された旗本屋敷があった。これらが明治に入り一旦田園化する。
その後、浄水場が明治31(1898)年に竣工し、日本橋・神田方面を皮切りに東京市への通水が始まる。淀橋浄水場が廃止される時期は昭和40(1965)年。上水機能が村山浄水場に移転し、淀橋浄水場の広大な空地だけがぽつんと残る。周囲はすでにビルや住宅が建ち並ぶ市街地となっていた。その敷地に近未来都市を思わせる超高層ビル群がその後に林立していく。

西新宿の超高層ビル群は、最初に京王プラザホテル本館が1971年に開業して以降、現在40棟近くの超高層ビル群が西新宿に建つ(写真3)。西新宿の現代都市風景は、建築群として異彩を放つだけではなく、それぞれがほとんど関係性を持たない個性的な個の集合体のように見える。まるで、超高層ビルの展示場のようだ。三角形の新宿住友ビル(210m、1974年)をはじめ、東京都庁第一本庁舎、モード学園コクーンタワー(204m、208年)などが次々と建てられていき、200mを超える東京の超高層ビル時代を新宿西口のビル群が牽引した(写真4)。しかし、この時代には都心の官庁街やビジネス街と離れすぎているとの話がよく囁かれた。そのこともあり、超高層ビルの開発は新宿西口を特異例として、後には超高層ビルの建設は都心に向けられていく。


写真5、ホテルグランドパレスの客室から池袋を望む

西新宿の超高層ビル群と対照的な現代風景に、東池袋三丁目にあった巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の跡地に建てられたサンシャイン60がある。江戸時代は巣鴨村だった。西新宿の超高層ビル群と異なり、サンシャイン60はいつまでも孤高に建ち続けた。そのような池袋に、1999年210mの豊島清掃工場が上池袋に建設された。超高層ビルではないが、高さでは超高層ビルの16番目と17番目の間に相当する。

池袋での超高層ビルの出現は、平成23(2011)年にサンシャイン60の南東側近くにアウルタワー、平成27(2015)年に南西側近くに豊島区役所が入るとしまエコミューゼタウンが建つことで、複数の超高層ビルが池袋に立地する(写真5)。いずれもが高さ189mで、40番目と41番目であり、200mを超えていない。それでも、池袋は複数の超高層ビルが寄り合う都市風景を描きはじめるようになった。

注:超高層ビルの高さの順位は、2018年9月時点の状況である。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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