ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

牧野知弘の「どうなる!? おらが日本」#8 湾岸・山の手どちらの不動産を選べばよいか

牧野 知弘牧野 知弘

2019/03/26

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

大都市法の改正が 都心部の再開発をバックアップ

東京に湾岸エリアと呼ばれる地域がある。もちろん「湾岸」という地名があるわけではなく、広く東京湾沿岸を、東は千葉県幕張あたりから、西は神奈川県横浜市のみなとみらいエリアぐらいまでを指すことが多いようだ。

この湾岸エリアに最近急速に増えたのがタワーマンションである。最近のその姿はまるで、香港か上海、ソウルにやってきたかと見まがうほどの林立ぶりだ。なぜ短期間にこれだけのタワーマンションが立ち並ぶようになったのだろうか。

これは1996年頃の小泉政権の施策によるものと言われている。小泉純一郎首相といえば、首相就任後次々と公共工事をとりやめたために、当時の建設業界は頼みの綱である公共工事をぶった切られて青息吐息の状態に陥った。

そのいっぽうで大都市法を改正して、都心部の容積率を大幅に緩和し、再開発を強力にバックアップしたのも、彼の時代のことだ。このころは、1ドルが80円を切るような厳しい円高が続く中で、日本の製造業は続々と中国をはじめとするアジア諸国に工場を移し始め、湾岸エリアにあった工場は閉鎖されていった。

これに目を付けたのがデベロッパーだ。これまでは工場街にマンションを建設することなど、住環境からもありえなかったのが、広大な敷地で容積率が大幅に緩和された結果、超高層マンションの建設が可能になったのだ。

敷地が広ければ、共用部を広く確保してさまざまな快適な共用施設を用意できる。一棟で数百戸から1000戸を超える分譲戸数が確保でき、マンション内にコンビニやクリーニング店などを備えることで一つの街として生活を演出することが可能だ。

これまで都心部の分譲マンションは高額すぎて、とても手が出なかった比較的若いファミリーでも、都心の職場に30分以内で通勤できる住宅をリーズナブルな価格で取得できるようになったのである。

現代は、結婚をしても夫婦共働きがあたりまえ。親たちが毎日都心部まで1時間以上もかけて通勤していたような生活スタイルではとても子育てはできない。湾岸タワーマンションであれば、通勤が便利なうえにマンション内にも保育所などが充実したことも人気に火をつけた。タワーマンションの隆盛には日本の産業の構造改革と日本人の生活スタイルの劇的な変化という2つの要素が背景にあったのだ。

高級住宅地の 代名詞「山の手」

脚光を浴びる湾岸エリアに対して、東京には古来、山の手と呼ばれる住宅街がある。昔から高級住宅街の代名詞といえば、山の手だ。

東京は江戸城であった皇居を取り囲むように高級な街並みが形成されている。もともと徳川家康が江戸に城を構えたころ、江戸城の東側は海だった。城の西には武蔵野台地と呼ぶ高台が形成され、徳川家の重臣や旗本たちが、台地の東端、現在の四谷、番町、麹町エリアに屋敷を構えていた。江戸幕府は諸藩の大名に対して江戸城下に屋敷を構えさせ、妻や子供を人質にとった。江戸城に近接させることはできないので、多くの大名は江戸城から少し離れた高輪や麻布、六本木あるいは本郷近辺の高台に屋敷を構えた。今でいう島津山、池田山、仙台坂、本郷の東大赤門は旧前田家の屋敷にあったものだ。

幕末、幕府を倒して江戸に入った薩摩長州の武士たちは徳川幕府の重臣や旗本の屋敷を接収して住むようになった。やがて外様大名の住んでいた屋敷跡に新興の財閥や文化人がこぞって住むようになった。

そういった意味で、東京の山の手エリアは江戸時代の武家屋敷の絵図から発展してきた古来の「良い土地」であることの証ともいえるのだ。

その後、昭和から現代にいたるまで東京は人口が爆発的に増加したために鉄道会社が都心部から郊外へとレールを延ばし、その先に鉄道会社が開発した新しい住宅地ができた。成城学園や田園調布といった住宅地だ。その意味では東京の山の手ブランド住宅地は、江戸時代の番町、麹町をさきがけに、本郷や高輪、麻布、そして鉄道会社によって開発された成城学園、田園調布といった、おおむね3つのグループに分類できる。

当たり前だが、よい土地は人気がある。人気が高いということは値段も高いということだ。ところがこれらの土地は、必ずしも交通便が良いところばかりではない。どちらかといえば駅などは下町側に多く、山の手高級住宅街は駅から少し離れているケースが多いようだ。

都内で、古くからの山の手住宅地の代表格である番町、麹町や麻布といった街は、地下鉄が通るまでは、都心部の中でもむしろアクセスの良くない場所だった。

住宅を選ぶ際に、何に優先順位を置くかは時代によって異なってくるが、これまでの歴史を振り返るならば、不動産としての価値という側面からは山の手は一つの安心ブランドと言える。

最新鋭の生活水準 「湾岸エリア」

いっぽう、東京五輪の開催も予定され、競技会場が多く存する東京湾岸エリアはどうだろうか。この一帯は、以前は工場や倉庫などが立ち並び、夜は暗くて人通りが少なく、どちらかといえば「あまり住みたくない」エリアの代表格だった。

豊洲、といえば、昔は「豊洲埠頭」を中心に倉庫が立ち並び、埠頭に荷物を運ぶ大型トラックが多数行き交う街で、とても「住む」という気持ちにはなれない街だった。また私が小学生だった昭和40年代に父親に連れられてハゼ釣りにやって来たのが、今やタワーマンションが林立する東雲だった。

月島には「大川端リバーシティ」と呼ばれるマンション群があるが、三井不動産や東京都住宅供給公社が中心となって平成初期に開発されたものだ。ここは従前石川島播磨重工業(現IHI)のドックがあったところだ。当時のこの場所は隅田川の三角州にあって、いつもじめじめとした湿地帯のような土地であったことをよく覚えている。

東京五輪の開催を控えて、晴海5丁目の都有地に選手村が建設される予定だ。ここでは、2020年の東京五輪の際には選手村として利用されるエリアを、大会終了後にはさらに50階建ての住宅棟を2棟建設し、分譲、賃貸を合わせて総戸数5632戸に及ぶ住宅を供給しようというものだ。

何もなかった土地に人工的に作られていく新たな街が、潤いを帯び、人間らしい街に変貌できるかは、インフラ整備だけでなく、今後の街のソフトウェアづくりも大切になってくる。本プロジェクトの担当に三井不動産レジデンシャルほか計11社が決定されたが、今のところまだ潤いのある湾岸の街というイメージは醸成されていないのが実態だ。

山の手も湾岸もそれぞれに特徴がある。山の手は営々と生活を築かれた人々の歴史に裏打ちされた街だ。街には風格があり、行きかう人々にもどこか余裕や落ち着きが感じられる。

湾岸エリアは、まだ新しい街だ。何もなかったところに建築技術の粋を集めて超高層建物を建設する。そして新しい住民を呼び込んでいく街だ。人が住むための基本アイテム、鉄道や商業店舗、学校や公共施設など、すべて一から作っていくことが必要になる。一から作るため、すべての施設が現代の生活水準に照準をあわせた最新鋭のものになる。住むには快適だろう。

街が発展する条件としては、老若男女が適度に入り混じり、一定限度で入れ替わる「新陳代謝」が繰り返されていることである。現代では老若男女のみならず一定限度の外国人もいる。様々な年齢層や異なる職業、人種も含めて「混ざりあう」中に街としての発展の条件が整っていく。

土地に歴史あり 過去の教訓が反映

いっぽうで土地はそれまでそこに住んできた人々の歴史が込められている。特に災害の多い国に住む私たち日本人は、ここ20年の間に、阪神淡路大震災、東日本大震災という未曽有の災害を目の当たりにした。地震だけでなく、台風や豪雨、噴火などの自然災害は日本の各地で起こっている。

災害が生じる際、崖下の住宅、山を切り崩した場所に建つ一軒家、海際の家屋、川淵に建つ家、多くの家屋が災害で大きな被害を受けている。

水際は景色もよく、平地で住みやすい反面、地震による津波や高潮の危険に常にさらされている。山の手エリアに昔から人々が好んで住み着いてきたのも、実はこうした長年にわたって人類が教訓として得てきた、災害などの幾多の体験が裏付けとなっているのかもしれない。

いっぽうで、ブルドーザーやクレーンで埋め立てる、地盤改良を施して新たな土地を作り出していくことは、人類の自然に対する挑戦でもある。人工的であってもそこに人々の息吹を感じることのできる街を想像していくことは、建築家や都市計画プランナーが夢見る世界だ。

湾岸と山の手 どっちに投資?

さてそれでは不動産投資の目線から湾岸と山の手どちらに投資するのが正しいのだろうか。伝統的な山の手の街であっても今後人口減少が続き、社会の高齢化が一気に進展する日本においては「過去の方程式」が通用しなくなるエリアも出現するものと思われる。
湾岸エリアは東日本大震災の際に、エレベーターが停止し、水が供給できなくなり、通常の生活ができるレベルにない状態になった建物も多く発生した。安心・安全とデベロッパーやゼネコンが唱えたところで、本当に安全性が担保されるのかは、実際に災害に遭遇しない限りは、証明することが難しいともいえる。

人類は常に自然との厳しい戦いを繰り返してきている。人工の創造物には常に寿命があり、建物はどんなに建築技術をきわめても、経年で劣化していくものだ。すべての想定される災害リスクに完璧に向き合える建物は、この世に存在しない。

また建物が残ったとしても、土地は液状化したり津波に席巻されて使い物にならなくなるケースも考えられる。

中長期では 山の手に軍杯が上がる

このように考えると、短期的なキャピタルゲイン狙いの場合は湾岸エリアのような不動産を金融マネーの動きに即して売買を繰り返すことは悪くない投資であるといえる。建物が有限である限り、中長期投資の観点では維持修繕費ばかりがかかるタワーマンションは「早めに売り逃げるが吉」だ。

また、不動産投資の王道でもある中長期投資を基本とするなら、やはり「歴史が証明してきた」山の手の不動産が良いと思われる。山の手は土地の価値が高いため、建物が多少古くともその価値を補って余りある不動産価値を創出できるからだ。

投資スタンスを使い分けしてポートフォリオを考えてみてはいかがだろうか。

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

株式会社オフィス・牧野、オラガ総研株式会社 代表取締役

1983年東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現みずほ銀行)、ボストンコンサルティンググループを経て1989年三井不動産入社。数多くの不動産買収、開発、証券化業務を手がけたのち、三井不動産ホテルマネジメントに出向し経営企画、新規開発業務に従事する。2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT市場に上場。2009年オフィス・牧野設立、2015年オラガ総研設立、代表取締役に就任。著書に『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』『空き家問題 ――1000万戸の衝撃』『インバウンドの衝撃』『民泊ビジネス』(いずれも祥伝社新書)、『実家の「空き家問題」をズバリ解決する本』(PHP研究所)、『2040年全ビジネスモデル消滅』(文春新書)、『マイホーム価値革命』(NHK出版新書)『街間格差』(中公新書ラクレ)等がある。テレビ、新聞等メディアに多数出演。

タグから記事を探す

ページのトップへ

ウチコミ!