裁判には勝ったけれど… ひょんなところからボロが出てきた「晴海フラッグ」問題
内外不動産価値研究会+Kanausha Picks
2022/04/05
晴海フラッグ 写真/©︎編集部
東京都の言い分通り 住民訴訟は門前払い
五輪選手村整備の名目で、中央区晴海の都有地(約13.4ヘクタール)を2016年に近隣地価の10分の1以下の129億6000万円で、大手不動産11社に売却したのは違法だとして、東京都の約30人が都に対し、損害賠償約1209億円を小池百合子知事らに請求するよう求めた住民訴訟は、2021年12月23日の東京地方裁判所の判決で原告・住民側の敗訴となった。
これを受けて、住民側が東京高裁に控訴した。
地裁判決のポイントは、用地代算定についての見解にある。地裁判決では、この土地については通常の土地取引の価格と比較するべきではないと指摘。都が売却額を決めるにあたり委託業者が行った土地の価格調査は「価格を的確に示している」と断じた。
つまり、五輪の選手村として使った「五輪要因」については原告側の主張に沿ったものの、住民が主張した近隣の類似地価を指標にした通常の不動産鑑定評価については触れずに、都が算出した譲渡価格の129億6000万円だけを追認したわけだ。
この判決に対して、原告側は次のように批判を強める。
「東京都が路線価格などの参考となる地価さえも示さない、正式鑑定も行わずに脱法的な再開発制度の乱用を正当化した判断」
「地方自治法の規制も、土地価格の公平性を担保する不動産鑑定制度をも骨抜きにする不当な判決」
「土地の取引事例の記載が全くなく、周辺にある地価公示価格・基準地価格も全く無視して更地価格を求めている不動産鑑定書を妥当な鑑定書として国は認めるのか」
さらに、住民側はこの件を報じたマスコミに対しても「主要各紙の報道は同じようになった」点を指摘。「五輪オフィシャルパートナーだった主要メディアは、判決に際して司法記者クラブを通じて配布された『判決要旨』をコピペ、『価格は適正』と記事にしたのではないか」と不信感を持っている。
問題の本質、それは「開発法」の過程評価
原告側からすれば、「五輪要因」は、総額129億6000万円というタダ同然の価格を認める東京地裁の判決の切り札に見えた。
しかし、東京地裁が「譲渡価格が適正」という判断を下した背景には「開発法」という鑑定評価をそのまま採用したことにある。
つまり、本質的な問題点は、五輪要因を正当化させた「開発法」による鑑定評価にあるわけだ。
市街地再開発事業による土地の処分には、都市再開発法80条において、近傍類似の土地等の価格を考慮して定める規定がある。そして、権利者全員の合意が必要になる。
しかし、この晴海の件は権利者が東京都1者だけという異例の「ひとり再開発事業」。合意も何も東京都が了解すれば、すなわち合意になり、任意の価格で売買できるのである。要するに、都はこの権利をすべて持っているため、この規定を逆手に取って、都の一存で安値販売を決め、売ったあとはさっさと再開発事業から退出したというわけだ。その間、都議会の実質審議も都の財産価格審議会もスルーし、安値販売を問題にされていない。
しかも、都は選手村の基盤整備等に数百億円を投入。そのうえ、選手村の家賃も負担していることから、東京都の売却価格のみならず、赤字はさらに上積みされた。
結局エコではなかった東京五輪 写真は都庁(2019年撮影)/©編集部
出血大サービス 総額はおいくら億円?
さて、ここで視点を変えて、東京都の“値引き”総額がいくらになるか再計算してみよう。
まず、用地代は原告側の主張に近い1600億円とする。これを129億6000万円で売却したわけだが、その際に都は基盤整備を400億円以上支出したことが、都の予算書や決算書から分かっている。
また、都などが選手村の使用に対して、民間業者各社に払った家賃は1年間で38億円程度。さらに五輪スポンサーらが調達した水素関連の熱源装置を、東京都は無料で選手村に設置しており、この額は総額約600億円になる。加えて、コロナによる1年間の延期で、主催者の支出は増減しているはずだが、この部分の細目は開示されていない。
以上の限定的な項目を見ても、都が使った支出額と不動産価値の総額は最低でも2600億円規模。つまり、選手村を1から再調達するには2600億円かかるとみられる。それなのに、都は民間業者との契約で、土地代を129億6000万円に値引きして、その納付の9割は後払いとしている。
開発業者は、今後の選手村用地に新たにタワーマンションなどを建設する計画があり、そうした本来五輪とはまったく関係ないように見える事業が終わるまで“10分の1に減額”された9割(116億6000万円)の支払いまでも猶予される。おまけに固定資産税なども、事業終了まで公有地扱いのため、大幅に減免されるという至れり尽くせりの状況だという。
そもそも開発法は、物価上昇率や、金利、年間成長率も2ケタの10%近い伸びを記録した高度成長時代の「遺物」としての側面が強い。
当時、民間は資金調達が厳しく、10年で経済事情は一変するため、開発法を導入して、不動産価格を劇的に安くするシステムが用意されたという背景があった。また、バブル経済で土地が高騰した際、行政側は不動産などバブルに関係した業種の融資を規制し、日銀は金利を上げる方向に動いた。開発法の「活用」で評価を下げようとした形跡もある。これは不良債権問題の解決に向け、安値取引を実現させる意図があったかもしれない。
今回の問題では、国交省がつくった「国策鑑定所」が、正式鑑定によらない調査報告書で129億6000万円と金額を弾いた。原告の指摘する9割引にするカラクリとはどういったものだったのか。
1つの仮定として、次のような計算が成り立つ。
選手村用地が広大地であることによる地価減額などの補正等を掛けたうえで、開発期間を10年とし、開発期間1年間の機会損失(すぐ販売用不動産のマンションに使えない等の理由)減価率を平均10%程度に設定できれば、可能になる。
ところが現実の日本経済、開発事情は、開発法の適用を許さない環境にある。
日銀の超金融緩和の結果、行き場のない大量マネーは不動産に流れ込み、大手デベロッパーは1%を下回る金利水準で10億円、100億円程度は無担保で借りられる超カネ余りの状況だ。借り手が少ないため、日銀の超金融緩和で生まれた過剰なマネーは不動産に向く。
都は11社に129億6000万円で売り渡したので、1社あたりの平均額は約11億7800万円。すでに払った額はそれぞれ1億円程度だろう。残りの9割は晴海フラッグが完成した時の支払いで、何度も言うが、その間は「公有地扱い」だから、固定資産税等がほぼ免除されるのだ。
現状で東京都が売った価格の129億6000万円のうち、回収率は0.5%程度にしかならない。賃貸不動産の利回り(5%とする)に比較してみても、10分の1程度となり、著しく低水準であることが分かる。
過去数年間は、日銀が長期金利をゼロかマイナスに誘導し、経済成長も名目値あるいは実質値はゼロかマイナス付近をさまよった。「安いニッポン」と言われるように、物価もゼロかマイナス。しかも、人口減少は止まらず、医療、介護費だけは増え続けている。
こんな時代に、市民の財産である公有地処分の価格を10分の1にまでしてしまう開発法の手法が「五輪要因」の一言で正当化できるかどうかが問われてもやむを得まい。
天下御免の「五輪要因」 露呈した開発法の矛盾点
ところが、ひょんなところから開発法を使ったこのスキームの矛盾点が露呈してしまった。
中央区の21年9月の補正予算で晴海フラッグのため必要となる小中学校建設用地を晴海特別出張所等の施設整備用地として、区が都有地を購入する必要に迫られ、177億円が計上された。
中央区は、近隣の都有地の路線価が1平方メートルあたり約100万円だったことから、東京都に「公共施設の整備のための用地として使う公共減額により、路線価の5~6割を支払った」と中央区の幹部は議会などで述べている。
都有地を購入した中央区
晴海選手村の土地は13.4ヘクタールで129億6000万円であることから、1平方メートルあたりの価格は9万6800円。しかし、中央区の購入地は3.1ヘクタールで177億円なので1平方メートルあたり57万967円となり、なんと民間デベの主に商業ベースを開発目的にした購入額の5倍以上になる。
つまり、公共減額でも減額幅5割程度にとどまるのに、9割引というのは「五輪要因」がいかに莫大に評価されているのかが分かる。
こうした大幅値引きの安値売却のカラクリが、開発法という行政が財産を処分する際の禁じ手ともいえる奇策を使った都とデベにとっての「不都合な事実」が透けて見える結果になったのである。
さて、東京都から土地を購入した開発業者が、選手村を「再整備」する形でできた超大型マンション「晴海フラッグ」は、2019年7月に分譲が開始。分譲予定は4000戸以上で、2021年までに約1500戸を供給した。
小中学校や商業施設も新設され、約1万数千人が暮らす街となる見通しだ。国内の全国各地のほか、アジアからの申し込みもあった。
積み上がる住民側敗訴 機能不全の民主主義
フランスのスタンダールの傑作小説『赤と黒』は、熱烈な恋愛小説と日本では見なされ、漫画などの人気コンテンツにされてきた。
しかし、実はこの小説、スタンダールが数々の訴訟記録を読み、そこには上流階級の欺瞞を打ち破る力が蓄積されていると直感したことに端を発するとも言われている。
いわば『赤と黒』は、当時のフランス王国における王制下の貴族と市民の階級闘争、そして7月革命に実はおびえながら、贅沢三昧の暮らしを送る貴族らの実態を鋭くついた社会小説だった。
東京都を相手取った訴訟の主なテーマは、旧築地市場の移転、豊洲市場の区画整理など再開発と土壌汚染など市場用地の売却購入の経緯、そして五輪選手村の開設など、東京都の一連の湾岸再開発の延長線上にある。ただ、一般にはなかなか注目されてこなかった問題であるが、開発をめぐる住民訴訟では住民側敗訴の判決は積み上がっている。
それらをつなぎ合わせて読めば、圧倒的に行政側に立った同じような判決のオンパレードになっている印象が強い。あたかも、原告側が糾弾したところに行政側の「開発独裁」的な手法がお墨付きを得ているような感じだ。
日本の司法制度は、精神鑑定や不動産鑑定など専門家の「鑑定」結果によって、判決が左右されることが少なくない。しかし、鑑定結果が世間の常識とかけはなれていたとしたらどうなのか。
この晴海の問題で言えば、不動産相場から見ればタダ同然の価格で大手デベなどに売却したことへつながる。専門家の「鑑定」のさじ加減が左右するように見える。
鑑定には「絶対」はなく、関係者の思惑を通じて幅広く解釈できてしまうものである。
公的地価の鑑定、公共事業をはじめ、最大の鑑定発注者は国や都道府県、自治体など「お上」であり、なかなか頭が上がらない相手だろう。ただ、そうした公的な予算は税金・公金から支出される。それを住民がチェックできない、正せないとすれば、民主主義は揺らぐ。
原告らほか、さまざまな疑問に東京都も裁判所もマスコミもまだ、答え
例えば、選手村の家賃38億円(消費税込で41.8億円)が2年
また、中央区は、特定建築者11社に対して、学校などの区のイン
こうした疑問は数多く、高裁の舞台でこれらのことが噴出すること
もし、スタンダールがこんな現代日本の不動産評価事情を検証したら、どんな物語が生まれるだろうか。
この記事を書いた人
都市開発・不動産、再開発等に関係するプロフェッショナルの集まり。主に東京の湾岸エリアについてフィールドワークを重ねているが、全国各地のほか、アジア・欧米の状況についても明るい。