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「鬼」に性別の違いはあるか?――女鬼(めおに)と鬼女の役割(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2020/12/15

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男を惑わす、妙齢の美女鬼

ここまで取り上げてきた女の鬼の場合、後鬼はおばさん、地獄の三つ目の鬼は老婆として、表現されている。もちろん、もっと若い、女の鬼もいる。

地獄は大小さまざまあるが、その中に刀葉林(とうようりん)地獄という地獄がある。読んで字のごとく、葉がすべて剃刀という樹木が聳えている地獄である。

この地獄は、愛欲に溺れた男が堕ちる地獄である。愛欲に溺れるのは男女を問わないはずだが、源信の『往生要集』に説かれる刀葉林地獄は、もっぱら男専用とされている。

この地獄へ墜ちた男が、ふと見ると、樹木が聳えている。さきほど述べたように、葉がすべて剃刀という樹木である。そして、その頂きに妙齢の美女がいて、おいで、おいでをしている。愛欲に駆られた男が樹木をのぼっていくと、その身は剃刀の葉で切り裂かれてしまう。痛い思いをこらえにこらえて、ようやくいただきにのぼり詰めると、美女の姿はない。

見下ろすと、彼女は地面にいて、媚びた目つきで男を見つめながら、「抱いてちょうだい!」と叫んでいる。その姿を見、その声を聞くと、男はもうたまらなくなって、樹木を下りていくが、途中でその身はまたまた剃刀の葉で切り裂かれてしまう。ほうほうのていで下り終えると、美女はいない。見上げると、樹木の頂きにいて、おいで、おいでをしている。そこで男は上へ下へ……、これがほとんど永遠に続くのである。

彼女は妙齢の美女の姿はしていても、地獄にいて、罪人を責め苛んでいるのだから、鬼と呼ぶしかない。もっとも、地獄でなく、私たちが今いる現世でも、この刀葉林地獄の妙齢の美女鬼にそっくりの女性がいないとも限らない。

女の鬼――般若面に込められた意味


般若のお面/写真AC・kakkiko

女鬼という言葉をひっくり返すと、鬼女になる。日本語では、女鬼という表現はあまり使われず、むしろ鬼女という表現がよく使われてきた。

有名な例をあげれば、長野県戸隠の紅葉伝説、三重県鈴鹿山の鈴鹿御前伝説、栃木県安達ヶ原の黒塚伝説などである。

地獄の女鬼が生まれながらの鬼なのに対し、鬼女はもとはといえば、ふつうの人間だった女性が、前世の因縁や現世の怨念ゆえに、鬼になってしまったという話が多い。鬼女は若い女性が鬼になった場合で、年老いた女性が鬼になった場合は鬼婆というようだ。

若い女性の鬼といえば、般若面が思い浮かぶ。女性の怨念が凝りかたまって鬼となってあらわれた姿を表現する能面である。頭には二本の角がはえ、これ以上は大きくならないほど大きく見開かれた両眼はつり上がり、しかも真っ赤に血走っている。口もかっと大きく開かれ、怒声をあげているように見える。

全体として、あまりの怒りのために、引きつったような印象が強い。しかし、その反面で、どこか悲しげでもある。怒りと悲しみが、同時に表現されているともいえる。そのせいか、この面が使われる演目は、『道成寺』、『葵上』、『安達原』など、どれも女性の物狂わしい執念がテーマになっている。

『道成寺』は、恋しい男に逃げられた娘が巨大な蛇に変身し、最後には男を焼き殺してしまう物語。『葵上』は、光源氏の正妻だった葵上を、嫉妬に狂う六条御息所の生霊が取り殺してしまう物語。そして、『安達原』は、絶望と悲嘆のあまり、ついに鬼になってしまった老婆の物語である。

ここで問題になるのは、般若面の「般若」という言葉だ。般若は、古代インドの公式言語だったサンスクリット(梵語)で「智恵」を意味する「ジュニャーナ」という言葉の発音を漢字で写したもの、いわゆる音写であり、俗世間の知恵ではなく、仏の悟りに関する深い認識を指している。

つまり、般若面というのは、語源からすれば、「賢い女」の顔であり、「智恵のある女」の顔を意味しているのである。これは、とても意味深長だ。

般若面という呼称の由来は、歴史的な事実からいうと、安土桃山時代に活躍した能面師の般若坊という名前の達人が創作したので、そう呼ばれるようになったと伝えられる。したがって、般若面が最初から「賢い女」や「智恵のある女」の顔を象徴していたわけではない。

しかし、それにしても、この符合は不気味すぎる。なぜなら、西洋の鬼女に当たる魔女の由来にも、「賢い女」や「智恵のある女」説があるからだ。どうやら洋の東西を問わず、多くの人々のなかに、特に男性に、「賢い女」や「智恵のある女」はひじょうに恐ろしくて、ときとして鬼にもなるという認識があったようだ。もし、そういう認識がなかったならば、般若面がこれほど有名になることはなかったのではないか。そう思わせる何かが、この面にはある。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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