子どもが虫を卒業したら、親は何のために二地域居住を続けるの?
馬場未織
2016/04/15
家族の形、暮らしの形の変化を自覚する
これから暮らし方を変えていこうと思っている方、すでに自分なりのライフスタイルを謳歌されている方。
ところで、おいくつですか?
って、失礼ですよね。笑。
わたしも大きな声で年齢を言いたかぁないですね。こどもが保育園に通っている頃は「うちのママは20歳!」という子がけっこういて、「うちも!」「うちのママも!」と続く風景に笑いがこらえきれない保育士さんの姿もありました。
子どもが小学生になると、そんな夢のある会話はぱったりなくなりましたが。
残念ながら、明日のわたしは今日のわたしより歳をとっています。
現存する誰もがそう。いま若い人もいずれ歳をとるわけで、そう考えるとどの年齢のことも他人事ではないよなあという実感を持つようになりました。
つまり、「いつまでもいまのわたしや、いまの暮らしや、いまの家族形態ではない」ということがリアルに考えられるようになるということです。
それは、わが家においての二地域居住の形が、始めた当初から少しずつ形を変えてきていることによって、よりはっきりと自覚できたりします。
誰のためでもない、自分のための二地域居住
土地探しを始めたのは長男が3歳くらいの頃でした。
生きものが好きなだけでなく、石や岩、地層、星、宇宙の果てまで、森羅万象すべてに興味を持つ子でしたから、都市生活のなかには彼が目にしたいサンプルが少なすぎました。そこで、思い切って田舎での暮らしもしてみよう、とこんなライフスタイルに行きついたというくだりは「私が東京と南房総の二拠点生活を始めた理由」という回で触れていると思います( http://sumai-u.com/?p=787 )。
南房総の土地に落ち着いたのは、彼がまだ5歳だった2007年1月。ほどなく小学校1年生になり、新たな命も生まれ、子どもが3人に。
それから9年半ほどたち、いまでは長男は高1、長女小6、次女小2。抱っこでおんぶで手をつなぎ、物理的にも精神的にも子どもたちに埋もれていたような日々から考えると、ずいぶんと大人びた家族になりました。
つまり、生きもの大好き!という長男は当然、女の子が大好きになり、長女も生きものより洋楽の好きな女の子になり、網を持って虫や魚を追いかけるのは一ケタ歳の次女のみになっています。
でも、そんな状態を、2007年のわたしは想像していたでしょうか?
いやいや。まったく。ぜんぜん。
目の前にいる小さな子たちは永遠に小さな子たちのような気がしていましたし、わたしもしばらくは若いママとして子育てに追い回されているものだと思っていました。
「子どもは、存外早く、成長していくものだ」ということを目の当たりにした後、見える風景は一変するのですね。次女はまだ小さいにも関わらず、これから訪れる暮らしの変化に意識がいくようになっています。
“家族”というひとつのまとまりで始めた二地域居住が、少しずつ個々にばらけていく。大きくなった子どもたちが各自の暮らし方によって実家を離れたり、寝食の時間がずれていくのと同じように、二地域居住というライフスタイルを自分の暮らしにどれくらい組み込むかは個人次第になっていく。
つまり、親という肩書きのなくなった未来を見つめるなかで、改めて自分の輪郭が問われるわけです。
「自分自身は、どう暮らしたいか?」と。
親は“子どもたちの面倒を見て、寄り添うのが仕事”という部分もありますから、長いこと親業を続けていると、実は面倒を見ているようで家庭に依存している、ということになりがちです。
二地域居住という暮らし方を始めるきっかけは子どもであっても、続けるモチベーションは子どもに求めてはいけない。自立した個人として、どう暮らしたいかを考えていく必要があります。
オトナにとっての学びの場
子どもには、「何を学びたいのか」「どんな仕事がしたいのか」「どんな暮らしがしたいのか」とビジョンを問うことが多いものです。しかし大人になってからは、忙しさにかまけて惰性で生きていきがちです。手持ちの札のなかでやりくりしていくのが精いっぱいで、自身の未来について思いを馳せ、そこに向かって計画することなど、なかなかできない。
二地域居住をしていると、家族の未来、自分の未来への意識が高まります。以前、家族との合意があってこその二地域居住だ、という話をしましたが、ライフスタイルの変化の節目ごとに、家族それぞれがどんな人生を生きたいか、ということを考えるきっかけが訪れます。
わたしは現在、体は東京7:南房総3くらいの比率ですが、頭のなかは完全にフィフティです。いや、4:6かな。そんな現状に加え、手を離れていく子どもたちにこれからは「目をかけていく」ことを考え、まただいぶ歳をとった父母と義父母の世話を描き、夫婦の仕事の方向性を思い…。
たとえ自分の幸せを優先させようと思っても、結局のところ関わる人や土地や、そこから広がる世界が幸せであってもらわないと自分も幸せに思えないからねえ。
ここ数年で大きな決断があるとしたら、①土地をシェアするか、②移住するか、③撤退するか、あたりですが、いまのところ①を目途に動こうと思っています。
二地域居住は、オトナにとっての学びの場です。
考えて、ワクワクして、行動して、気付いて、メゲて、考えて、行動して。
子どもたちの成長、変化に目を細めつつ、自分もオトナなりの成長をしていきたいものです。
この記事を書いた人
NPO法人南房総リパブリック理事長
1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。