まちと住まいの空間 第28回 「ブラタモリ的」東京街歩き⑤――本郷台地を削った川の痕跡を歩く
岡本哲志
2020/09/23
弥生人の生活現場から藍染と川の記憶へ
本郷台地の「キワ」は、弥生式土器を最初に発見した場所として名が知られている。
「ブラタモリ本郷台地編」では、肩すかし状態の立爪坂を引き受け、台地のキワが生活の場だった弥生人の話題を次に取り上げた。タモリさんと久保田アナウンサーは、最初の発見現場を探しに、意気揚々と本郷台地を北上していった。
(図)江戸時代の土地利用をベースにした本郷台地。数字は番組で巡った順番
弥生時代へのスタートは言問通りである弥生坂を上がるシーンからはじまった。
明治前期に水戸徳川家中屋敷が帝国大学(現東京大学)の敷地となるとともに、台地上の本郷通りと台地下の不忍通りを結び、その利便性を図るために現在の言問通りが新設された。
坂上には「弥生式土器発掘ゆかりの地」と書かれた石碑が後に置かれる。しかし、石碑の位置は実際の発見現場ではない。最初に発見された場所は定かではなく、幾つかの推定されるポイントがある。そのひとつが東京大学浅野キャンパス内の本郷台地崖際という。
大学構内に入り崖近くまで行くと、ブッシュ(薮)に覆われた場所に推定ポイントの解説板が設けてある。タモリさんたちはその場所を実際に確認した後、崖下に移動して先の現場付近を見上げた。番組内では高低差を確認し、台地と低地のキワに展開したでだろう、弥生人の生活風景を想像する。縄文時代に浅い海だった海面が水田地帯に変化し、農耕に励む弥生人たちの様子を描き出す。「こんな感じだったのでしょうか」というナレーションが入る。
ここで、粘土が登場する。前々回後半の「ブラタモリ六本木」(2010年3月11日放送)では粘土が登場したと書いた。記憶は曖昧なようで、粘土の登場はこの「ブラタモリ本郷台地」が最初であり、六本木の時は柳の下のドジョウだったようだ。
それはともかく、弥生時代の歴史がすり込まれた崖下で、タモリさんは粘土をひたすら削る。思いのほか時間を要したためか、途中カットしながらタモリさんが本郷台地と上野台地が別々の台地に別れるプロセスを語る。ここを導入部に、タモリさんと久保田アナウンサーは台地を削った川の痕跡探しに向かう。
分離した上野台地と本郷台地をダイナミックに感じ取れる場所が上野台地側の善光寺坂上あたりになる。
善光寺坂と弥生坂、奥の上り坂が弥生坂
坂を下った先には上り坂となる弥生坂が見え、善光寺坂上からの眺めは自然が削り取った膨大なエネルギーを感じ取ることができる。この2つの坂を下り切った低地には、かつて藍染川(旧石神井川)が流れていた。ここで再び太古への回想は重複感がある。そこで、2人は本郷台地側の弥生坂を下り、谷底を流れていた川の痕跡探しをはじめる。キワではなく、谷底の探索となる。
消し去られていない微細な高低差から、川の痕跡を探り当ててご満悦のタモリさん。話は川の名の由来へと。
藍染が盛んだった藍染川跡を辿り、明治28(1895)年創業の染物・洗張の丁子屋に。放送でご主人いわく「建物も創業当時のまま」とのこと。10年ひと昔というが、当時のブラタモリに映し出された建物は現在新しい。「甲斐性がないので建て替えられないできました」と、放送でのご主人の言葉が思い出される。現在建て替えられた新しい建物を見ると、少し複雑な気持ちにさせられる。
見返り坂・見送り坂から、菊坂を流れていた川の痕跡を歩く
タモリさんたちは、埋め立てられたもうひとつの川の跡を探すために、本郷三丁目の本郷通り(旧中山道)に移動。菊坂にはもともと川が流れており、かなり蛇行していた。
本格的な川跡歩きの前に、2人はまず本郷通りで一番低い窪みを確認する。場所は、菊坂から本郷通りに出たあたりよりも、少し本郷三丁目交差点に寄ったところ。
本郷通り、奥が「見送り坂」、手前が「見返し坂」
現在は何の変哲もない窪みに見えるが、太田道灌(1432~86)の時代まで遡ると、窪地を流れていた川が領地の境界であり、橋が架けられていた。天保3(1832)年の『改撰江戸志』に、この橋は太田道灌の時代に領地から追放される人と見送りに来た縁者との別れの場となる「別れの橋」である。
橋を過ぎ、追放者が北に上る坂を歩きだし未練を残して振り返ることから「見返し坂」、橋から南に上る坂を縁者が見送るために立つ側の坂を「見送り坂」と名付けられた。現在の本郷通りは、江戸時代の中山道・日光街道である。特に日光街道は日光例幣使街道と呼ばれ、江戸と日光東照宮を結ぶ重要な道筋として位置づけられた。
元和3(1617)年に日光東照宮が創建されて以降、川は早い時期に暗渠化され、地下を通って菊坂に流れ出ていたと想像される。川の水源地は、現在の東大構内、旧加賀藩前田家が明治43(1910)年に明治天皇行幸に際して新たに築造された懐徳館の庭園(現在非公開)あたりだった。
東京大学構内にある懐徳館の庭園
本郷三丁目交差点の角は、江戸時代中期以前から小間物屋の「かねやす」(文京区本郷二丁目)が店を構えていた。元禄年間(1688〜1704)に売り出された歯磨き粉の乳香散(にゅうこうさん)が大当たりし、「兼康(かねやす)」を創業する。だが、暖簾分けした芝の兼康と元祖争いとなり、南町奉行の大岡越前守忠相(1677〜1752)の裁きにより、本郷の店が平仮名の「かねやす」となった。
しかし、享保15(1730)年には湯島や本郷一帯が大火で「かねやす」は燃えてしまう。復興に尽力した大岡越前守は「かねやす」から南側を土蔵造りや塗屋の耐火建築とするように命じ、江戸市中と比べて遜色のない都市風景が誕生した。そのことから「本郷も かねやすまでは 江戸の内」の川柳がつくられた。
「鐙坂」か「炭団坂」か、川の流れから選ばれた炭団坂
川の痕跡らしき窪みを本郷通りで確認してから、タモリさんたち2人は菊坂の方へと川筋跡を辿って歩きはじめる。谷となる菊坂の南側斜面にできた坂は西から東へ鐙坂(あぶみざか)、炭団坂(たどんざか)、本妙寺坂(ほんみょうじざか)となる。番組の最後のスナップで何とか鐙坂も登場するが、「ブラタモリ本郷台地」でのメインの坂は炭団坂が選ばれた。
タモリさんの著書『タモリのTOKYO坂道美学入門』からは、菊坂あたりのエリアで取り上げられた坂は鐙坂だけが番組で紹介された。
鎧坂
鐙坂は坂下で優雅に曲線を描く魅力的な坂道である。では、「ブラタモリ本郷」がなぜ鐙坂ではなく、炭団坂を選んだのか。これまでの流れから、渓谷を感じながら川筋跡を辿るコンセプトがそうさせたのだろう。
タモリさんと久保田アナウンサーは、本郷通りから細い隙間の路地へ入る。菊坂の奥へと続く路地の位置が本郷通りの一番低い窪地と一致する。L字型に曲がる路地の奥に潜入し、菊坂に出る。そこからもう少し菊坂を下ると、本妙寺坂に至る。
本妙寺坂下から左右に川筋がカギ型に折れ曲がり、菊坂下道と呼ばれる低地に川が流れ込んだ。
カギ型に曲がる川の跡
菊坂は窪地に成立した街で、川が台地を削り取ってできた。その川の痕跡を辿れることが菊坂の魅力の一つとなる。
川の痕跡
本妙寺坂下あたりからは、川の跡が菊坂よりも一段と低い場所を流れた。川筋を辿って歩くと、左側にある崖面がさらに高低差を増す。川の跡を辿り、南面の崖を確認しながらのブラ歩き。渓谷の雰囲気を感じるためには、やはり炭団坂でなければならなかった。鐙坂と本妙寺坂の間にある階段状の急坂、炭団坂を上がる。
炭団坂
「炭団」と聞いても現代に生きる若者はピンとこないかもしれない。炭団は炭に「ふのり」などを混ぜ、球状に固めた燃料。ガスや電気が暖房として利用される以前はどの家でも使われていた。当時一般的に使う「炭団」を坂名にすることで、イメージが膨らむ。これは老人に限るが。昔の人もあれこれと想像をたくましくして、急な坂道を炭団に置き換えて解釈したのであろう。
炭団坂の坂上に達すると、右に入る細い道が通る。マンション開発で新しく通された道である。その道を進むと、右手に谷筋の菊坂の屋並みが一望できる。
窪地に成立する菊坂の屋並み
菊坂一帯は建て替えが急速に進んできたが、過去の痕跡をさり気なく取り込めて街が変化してきたように思える。見晴らしのよい道も、マンション開発とセットで整備されたものだ。「ブラタモリ本郷台地」では、谷の形状がよくわかる見晴らしのよい場所から、川によって削り取られた「渓谷」(番組でタモリさんが渓谷を強調)をじっくりと眺める。坂の美しさより、キワをつくりだした川の痕跡の面白さに重きが置かれた。
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この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。