見直される「お盆」の起源、日本人にとってのお盆の意味(1/2ページ)
正木 晃
2020/07/15
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そもそもお盆はどのようにしてはじまったのか?
お盆ほど、日本人になじんできた仏事もないだろう。今年はコロナ禍のせいでそうもいかないだろうが、例年であれば、お盆休といえば反射的に帰省ラッシュという言葉が浮かぶほど、大きな年中行事として定着してきた。ところがその起源となると、仏教ではなかった可能性が指摘されている。
お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という。その理由をお寺のお坊さんにうかがうと、大概は、古代インドの言葉だったサンスクリット(梵語)で「逆さ吊り」を意味するウランバナの漢字音写に由来するという答えが返ってくる。
たしかに、『盂蘭盆経』というお経にはこう書かれている。お釈迦さまの二大弟子の一人で、神通力で知られたモッガーラーナ(目連/目犍連[もくけんれん])が、その神通力で透視したところ、自分の母親が死後、餓鬼道に堕ちて、逆さ吊りの苦しみにあえいでいることがわかった。「これは困った。なんとかしなければ」と、お釈迦さまに母親を救う方法を尋ねたところ、「こうすれば、あなたの母親は救われる」といって供養の仕方を教えてくださった。そのとおりにすると、母親が逆さ吊りの苦しみから救われた。これがきっかけになって、盂蘭盆会がもよおされるようになったというのである。
この「盂蘭盆=逆さ吊り」説は、お話としてはとてもおもしろい。しかしいまでは、少なくとも仏教の専門研究者の間では、残念ながらおおむね否定されている。
近年の学説では、盂蘭盆は、古代イラン系の言葉で「死者の霊魂」を意味した「ウルバン」を、漢字の発音をつかって写した、つまり音写したものと考えられている。イラン系の民族で、シルクロードにおける交易に大活躍したソグド人が、古代中国に死者の霊魂をまつる祭祀を持ち込みインドから伝来した仏教と融合して、いまに伝わる盂蘭盆会の原型が成立したという説が有力なのである。
お盆の日本伝来といまにつながるかたち
日本で初めて盂蘭盆会がもよおされたのは推古天皇14年(606年)とされるから、ちょうど聖徳太子が活躍していた時代にあたる。さらに平安時代になると、空海たち留学僧が中国からもたらした仏教の施餓鬼(せがき)の供養とも融合して、宮中における重要な年中行事の一つとして定着した。
そもそも日本列島には、何千年も昔の縄文時代のころから祖先の霊魂を丁寧に祀る儀式があった。そのなかに、祖先の霊魂が特定の時期に子孫のもとを訪れるという考え方もあった。これが中国から入ってきた盂蘭盆会や施餓鬼と結びつけられ、いまにつづくお盆がかたちづくられたようである。要するにお盆は、あの世から一時的に帰ってくる祖先の霊魂を供養する行事と考えていい。
お盆で迎えられる霊魂を「精霊(しょうりょう)」とよぶ。その精霊として迎えられる霊魂には、以下の三種類がある。
①はるか昔に亡くなったひとの霊魂で、祖霊(本仏)と呼ばれる。
②前の年のお盆から今年のお盆までの期間に亡くなったひとの霊魂で、新仏と呼ばれる。
③祀るひとがいなくなってしまったひとの霊魂で、無縁仏とか餓鬼仏と呼ばれる。
これらの精霊を迎えるために、盆棚とか精霊棚とか呼ばれる祭壇がつくられる。そして、寺からお坊さんを呼んできてお経をあげてもらうのが通例だ。
この記事を書いた人
宗教学者
1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。