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【京都で愉しむセカンドライフ】「京都」デュアルライフ――旅行では味わえない「祇園祭の魅力」

奥村 彰太郎奥村 彰太郎

2020/07/03

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祇園祭(2016年7月24日)/©︎kinek00・123RF 文中写真/奥村彰太郎

京都で暮らしていると伝統的な祭や行事の多さに驚く。葵祭・祇園祭・時代祭といった三大祭や、五山の送り火は有名だが、十日ゑびす、節分祭、梅花祭、涅槃会、壬生大念仏狂言、薪能、夏越大祓、御手洗祭、千日詣り、地蔵盆、重陽祭、萩まつり、名月祭、火祭、大根焚き、をけら詣など神社仏閣でさまざまな年中行事が行われている。また、毎月21日の東寺「弘法市」、25日の北野天満宮「天神市」など大規模な露天の市が立つ。まるでテーマパークで暮らしているようで、京都のデュアルライフは愉しみが広がっていく。

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祇園祭の起源は、疫病退散祈願

なかでも、祇園祭は京都で最大の伝統行事だ。豪華絢爛な山車が都大路を練り歩く「山鉾巡行」が有名だが、祇園祭は7月1日から1カ月間続く八坂神社の祭礼である。

起源は平安時代の869年、全国で疫病が流行し、鉾を立てて疫病退散を祈願したことが始まりとされる。室町時代になって、財力のある町衆により現在のような山鉾巡行が行われるようになったとのこと。山鉾巡行はユネスコ世界無形文化遺産にも登録されている。

今年はコロナ禍の影響で、ハイライトの山鉾巡行や神輿渡御(みこしとぎょ)が中止になった。疫病退散祈願をしたいが、三密を避けるためには大規模な祭は中止せざるを得ない。祇園祭の起源から考えると、疫病が落ち着いてから再び流行らないようにと願って始まったのではないだろうか。残念ながら今回は見られないが、これまで見てきた祇園祭の様子を伝えたい。

祇園祭の山鉾巡行は7月17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭(あとまつり)に行われる。

前祭には23基の山鉾が巡行し、街中の悪霊を追い払う。その夕刻、3基の御輿が八坂神社を出発、氏子区域を巡り四条寺町にある御旅所(おたびしょ)に入る。3基の神輿の担ぎ手は各500人ぐらい。真白な揃い半被を着て八坂神社の石段前に勢揃いし、神輿の差上げをする光景は壮観だ。


御輿渡御(八坂神社)

御輿渡御(四条通)

後祭は10基の山鉾が巡行。夕刻には神輿が御旅所を出発、夜更けに八坂神社に帰る。前祭と後祭の前後には、鴨川四条大橋で神輿を清める「神輿洗式」、山鉾町での「山鉾の組み建て、曳き初め」、山鉾巡行の晴天を祈願して祇園囃子を奉納する「日和神楽」などさまざまな行事・神事が続く。


日和神楽には舞妓さんの姿も

絢爛豪華な山鉾巡行は、まるで動く美術館

とくに前祭は「長刀鉾(なぎなたほこ)」「月鉾」「菊水鉾」など大型の「鉾」が巡行するので見応えがある。鉾の高さは地上から先端まで約25m、鉾先には長刀や月などの飾りが付けられ、重さは10トンになるという。

一方「山」は鉾に比べると小さいが、上部に松の木などを立て、故事に因んだ題材の飾り付けがされている。からくり仕掛けの蟷螂(かまきり)を屋根にのせた山や、船の形をした鉾もある。胴の部分には16〜18世紀にペルシャやインド、トルコ、中国などで織られた絨毯が懸けられ、まるで動く美術館だ。鉾の舞台では、コンチキチン♪コンチキチン♪と祇園囃子が演奏され、50人ぐらいの綱の曳手により巡行する。巡行の順番は「くじ取式」によって決まるが、毎年先頭は「長刀鉾」と決められている。長刀鉾には「生稚児(いきちご)」と呼ばれる小学生の男児が乗り、四条通に渡された注連縄(しめなわ)を太刀で切ることで巡行が始まる。巡行の見どころだ。


山鉾巡行注連縄切り 

もう一つの見どころは「辻廻し」、鉾が交差点で方向転換する場面だ。鉾の車輪の前に割り竹を敷き、回る方向に綱を引くことで方向転換を図る。10トンもの鉾が音を立てて横滑りする姿は迫力がある。御池通には有料観覧席があるが、四条通や河原町通の歩道からも人混みを覚悟すれば見ることができる。巡行の帰り道となる新町通は、山鉾との距離も近く迫力ある巡行が見られる穴場かもしれない。


山鉾巡行辻廻し 

山鉾巡行の前日、前々日は「宵山」「宵々山」と呼ばれ、夜になると京都中心部の四条通と烏丸通が歩行者天国となり多くの屋台が出る。各山鉾を飾る駒形提灯が点灯され、祇園囃子が賑やかに奏でられるなかを、山鉾の胴を飾る絨毯などの装飾品を見学したり、商店などが秘蔵する屏風などの美術品を飾る「屏風祭」を眺めて回るなど独特の雰囲気を楽しめる。


新町通の山鉾巡行 

祇園囃子を京町家で聴く♪

後祭は山鉾の数も少なく先祭に比べて地味な印象があり、「後の祭り」ということわざの語源になったと言われている。昨年は縁あって新町通りにある吉田家住宅で、後祭の宵山に祇園囃子を聴きながら食事をする機会を得た。女房と浴衣姿で参加した。吉田家の前の通りに立てられた「北観音山」という曳山(ひきやま)の舞台で、コンチキチン♪コンチキチン♪と祇園囃子が奏でられるなかで食事をする優雅なひとときを過ごした。

家の中庭に続く夏のしつらえをした座敷は、祭の間は表通りの格子戸が外され開放感がある。伝統的な京町家である吉田家の屏風飾りを通りから眺める人も多く、中の座敷で食事をとっている私たちを好奇な目で見ているようにも思え、ちょっと優越感を味わう体験だった。食事の後は、通りに面した二階の座敷に上がり、格子窓が外された敷居に座り、宵山を楽しむ人々や「北観音山」を飾る駒形提灯の灯りを眺めながら祇園囃子を楽しんだ。


駒形提灯 

吉田家は明治時代に建てられた築100年を超える伝統的な町家住宅で、文化庁の登録有形文化財に指定されている。吉田家の当主である吉田孝次郎さんは、公益財団法人祇園祭山鉾連合会の元理事長を務めた地元の名士。吉田家住宅の維持保全には「NPO法人うつくしい京都」という団体が支援をしている。年数回開かれる吉田塾という勉強会では、吉田さんが講師を務め祇園祭や町家の歴史などを語ってくれる。

職人技が冴える山鉾の組み立て!

後祭のもう一つの体験は「北観音山」の松立てに参加したこと。「北観音山」は高さ20mを超える大型の曳山だ。先祭が終ると新町通りで組み立てが始まる。部材を釘は使わず荒縄だけで組み上げる伝統的な職人技だ。


北観音山の組立」

曳山に立てる松の木は、京都近郊の山から切り出されトラックで運ばれてくる。切り口を斧でけずり本体の柱に鉄輪とクサビで接続、胴体を横に倒し松の木を差し込み、綱引きの要領で引き上げる。昨年はこの松立てを地元の方に混じって手伝った。50人ぐらいで綱を引くと曳山の先端になる松が立ち上がり、参加者から拍手が起きた。


「北観音山松立て」

翌日には囃子舞台と屋根が付けられ、直径約2mの車輪がはめられる。胴体はペルシャやトルキスタン、インド製の絨毯で飾られ、曵き初めが行われる。残念ながら曵き初めには参加できなかったが、運良く囃子舞台には上がることができた。舞台は女人禁制という決まりがあるとのこと。舞台は6畳ぐらいの広さで、巡行当日は楊柳観音像と韋駄天像が祀られ、ご神体を囲むように囃子方が乗り込む。

地元の方々と触れ合うことで祭見物が益々楽しくなった。来年は祇園祭が盛大に行われることを期待したい。

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この記事を書いた人

ファイナンシャル・プランナー&キャリア・カウンセラー

1953年東京生まれ、東京都立大学卒業、株式会社リクルートに入社。進学や住宅の情報誌の営業や企画・人事・総務などの管理職を務め、1995年マネー情報誌『あるじゃん』を創刊。発行人を務めた後、2004 年 ファイナンシャル・プランナー&キャリア・カウンセラーの資格を活かし、“キャリアとお金”のアドバイザーとして独立。企業研修の講師や個別相談を中心に活動中。大学の非常勤講師も務める。東京と京都のデュアルライフを実践中。

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