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空間と心のディペンデンシー

「最先端」だからこそ、填まる陥穽

遠山 高史遠山 高史

2019/12/07

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あるIT信奉者医師の自慢話

いまやITだの、ICTだの言葉を耳にしない日はない。

K医師は、某総合病院の診療部長である。彼は、若手の部下やナース達から「最先端」というあだ名で呼ばれていた。実際、K医師は最新のITなるものが大好きで、電子カルテの導入にも積極的だったし、その当時少数派だったスマートフォンもいち早く手に入れては、得意げに部下たちに披露した。

一度や二度であれば、良かったのだが、このアプリが良いとか、こちらの機種のどこそこが良いなどと、毎日誰かしら捕まえては自慢交じりに演説したので、部下たちは閉口した。こう毎回だと、お世辞もそうそう出てこなくなるからである。しばらくして「最先端」には多分に皮肉が含まれることになった。

K医師は「最先端」のシステムを備えたマンションに住んでいて、これもまた、自慢の種だった。

一軒家は、手入れが面倒だ。セキュリティもよろしくない。そこへ行くと、ウチは管理会社が面倒ごとはやってくれるし、最新のシステムが入っていて、セキュリティも安心だ……というようなことを、口癖のように話す。自慢をするほうは気分が良いだろうが、されるほうは面白くない。マンションに罪はないが、毎度毎度「ガチャガチャする鍵など危なくて仕方がない」などことあるごとに言われると、流石にムッとするというものだ。

「最先端」の彼からすると、私ような人間は原始人というわけで、会合などで顔を合わせるたびに、電子カルテの利便性や、パソコンのセキュリティ、スマートフォンの扱い方など、一通りご教授くださるわけだが、こちらとしては大きなお世話である。

完全なものが成り立たない理由とは?

そんな「最先端」こと、K医師に、ある日、大いに困ったことが起きた。

自慢のマンションのカードキーを紛失したのだ。運悪く、奥さんは友だちと旅行中で、子どもたちは、すでに独立している。K医師は一人で四苦八苦する羽目になった。
まずはセキュリティ会社に連絡するも、一度ロックされた鍵を解除するには時間がかかるという。

さらには、人員も不足しているため、対応する人間を派遣するにも、すぐにというわけにはいかないという返答だった。管理会社も似たような返答で、どうあっても、部屋に入るためにはたっぷり5時間はかかるということになった。

夜も更けて、さてどうしようかと思ったとき、「セキュリティがしっかりしているから大丈夫」という理由で、いつも奥さんがベランダのガラリ戸のカギを開けっぱなしにしているということを思い出した。そして、そのベランダは、隣と「あまり高くない仕切り」で隔てられているということも。

結局、恥を忍んで、隣人の奥様にわけを話し、踏み台を借りてベランダから侵入を試みた結果、あっさりと自宅に入ることができたという顛末なのだが、この話を聞いて、私は多少なり「ざまを見ろ」と思ったことを懺悔しておく。

さすがにK医師もバツが悪かったようで、このときばかりは自慢話もなかった。

K医師には気の毒であったが、この一件は、IT神話が崩れた良い一例だろう。安心だと思っていた堅固なセキュリティは、家主を締め出し、そしてまた、侵入を許す結果になったのだ。まさか、これほど簡単に隣の部屋からベランダを超えて侵入できるとは!

こういったITの穴は、あちこちに空いている。システムを作るのも、使うのも人間だと思えば、それに頼り切るということがそもそもの間違いである。
どんなものにも、人間が関わる以上、リスクはあり、完全とは言えない。

その後のK医師であるが、この出来事で懲りたかと思えば、今度はスマートフォンで開け閉めできるようにしようかと思案中だそうで、相変わらずITの素晴らしさを説いて回っている。

私は、よっぽど、スマートフォンを落とした時は、どうするのかと聞きたかったが、野暮なことだと思って飲み込んだ。

 

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この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

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