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空間と心のディペンデンシー

住めば都というけれど……(1/2ページ)

遠山 高史遠山 高史

2019/11/04

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イメージ/123RF

派閥抗争のとばっちり

60代半ばの男性の話である。

仮にAさんとしておく。都心のど真ん中のマンションに住んでいたのだが、紆余曲折あって引っ越すことになった。Aさんは元々、大手機械メーカーに勤めていたが、バブル崩壊後の経営悪化と派閥争いに巻き込まれ、肩を持っていたほうの役員が失脚したため、早期退職した。商品開発部の部長職だったので、退職金はそこそこ出されたが、そもそも経営状態が悪かったから、バブル時代と比較すると大幅に目減りした。

悠々自適な生活というわけにはいかず、コネを頼って、同業ではあるものの、だいぶ小さな会社の企画部長として再スタートを切ることとなった。

過去の輝かしい経験を活かして、商品開発をして欲しいと、鳴り物入りで入社したのはいいが、給料は激減した。しかも、新しい会社でAさんは孤立してしまった。当初、配属先の企画部では大歓迎を受けたが、3カ月もすると、部下の態度が変わってきて、風当たりが強くなった。

大手に勤めていた頃は、部下が何十人もいたから、Aさんの主な仕事は、提出される書類に目を通して、あれこれと修正させ、給与の査定をしたりすることだった。雑用は部下がやるので、Aさんは机に座っていればよかった。

しかし、今の会社はそうはいかない。入社する時「企画部長」なる肩書をつけてはもらったが、肩書きは実際にあってないようなもので、部長といえども掃除から荷運びまで、なんでもやらなければならない。しかし、Aさんは勝手がわからず、前職と同じように新しい部下にあれこれと頼んだので、嫌われたのだ。当然、思うように成果は出ず、会社もAさんを疎ましく思うようになった。少しずつ給料は目減りしていき、生活は厳しくなった。マンションの維持費はますます家計を圧迫した。

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この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

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