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「家」の研究――黒田家

暗愚、押しつけ養子、早世、すり替え…天下の軍師の家も跡継ぎはままならず(1/3ページ)

菊地浩之菊地浩之

2019/10/25

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福岡城跡©︎123RF

跡継ぎをめぐる“お家騒動”で存亡の危機に

2014年NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛孝高(くろだ かんべえ よしたか。実際は「かんびょうえ」だったらしい。ドラマでは岡田准一)は姫路という遠方にありながら、いち早く織田信長の擡頭(たいとう)を予見し、秀吉に仕えて稀代の策士と称された。

その子・黒田長政(ながまさ。ドラマでは松坂桃李)も父同様の策士ぶりを発揮。関ヶ原の合戦において、調略を以て福島正則、小早川秀秋らを家康陣営に引き込み、徳川の天下取りに大きく貢献。中津18万石から、一躍、福岡藩53万9000石に大出世した。

ちなみに、福岡というのは、もともと黒田家の先祖が住んでいた岡山辺りの地名で、長政が城を建てて命名したものだ。同地はもともと博多と呼ばれた貿易都市で、1889年の市制施行の際には市の名称を「福岡」にするか「博多」にするかで揉めに揉め、市議会で採決したところ賛否同数で、議長裁決で「福岡市」になったという。

さて、黒田家は、官兵衛、長政と策士が続いた家系ではあったが、長政の子・黒田忠之(ただゆき)は暗愚(あんぐ。おバカ)だったという。長政は忠之の廃嫡(跡取りから外すこと)を考えたが、筆頭家老・栗山利安(としやす。ドラマでは濱田岳)らの諫言で取りやめたという噂があるほどだった。

しかし、やっぱり忠之は暗愚で、高禄の重臣らに次々と言いがかりをつけて減封したり、取り潰したりする一方、お気に入りの側近を取りたてるなど、やりたい放題だった。遂には、どうにかしようと立ち上がった家老の栗山大膳(だいぜん。利安の子)と確執に及んで、幕府に知られてしまう。大名と重臣が大げんかして、幕府からお灸を据えられる。いわゆる「御家(おいえ)騒動」というヤツだ。

この黒田家の御家騒動は「黒田騒動」と呼ばれ、江戸時代の三大御家騒動の一つといわれている。御家騒動はヘタをすると、お取りつぶしへと繋がりかねない。折も折、お隣の熊本藩では、加藤清正の遺児がやっぱり暗愚でお取りつぶしになったばかりだった。しかし、幕府の裁定により、福岡藩・黒田家最大の危機は、栗山大膳と忠之の側近が遠方に飛ばされることで決着した。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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