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家と方角のはなし

南向きより西向き? 北東が忌み嫌われる理由(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2019/05/22

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そもそも、北という漢字は、見てのとおり、二人の人が背中合わせになっている形で、仲違いしている様子が原型です。そこから、敗北とか敗走という熟語が生まれています。いずれにしても、縁起の良い字ではありません。したがって、古代の中国では、忌み嫌われるもの、たとえば墓地とか遊郭は、都の北側に設けられていました。

方角といえば、よく話題になるのが「鬼門」です。鬼門はうしとら艮(うしとら/東北のすみ維[すみ])を指します。鬼の出入り口というので、この名があります。反対側の西南の角は「裏鬼門」です。

「鬼」というと、頭に二本の角を生やした地獄の番人とか英語でいうデーモンを思い浮かべがちですが、この漢字は、古代中国では幽霊や亡霊を意味しました。もっとも、どちらも歓迎できない存在であることに変わりはありません。

鬼門は、もとはといえば、陰陽家が言い出した形跡があります。一説には、『黄帝宅経(こうていたくきょう)』という文献が典拠とされます。この文献は、超古代の神話的な存在である黄帝の著作と伝えられますが、実際には唐時代に成立したと推測されています。つまり、かなり怪しいしろものです。

やがて日本でも、そのかなり怪しいしろものに、仏教のお坊さんたちまでが影響されてしまいます。その結果、鬼門と裏鬼門に、鬼の出入りを防ぐために、堂塔伽藍が建立される事態となったのです。このいきさつには、いろいろ後ろめたいことがありそうな有力者を脅して金品を出させ、お寺を富ませるには、格好のすべだったという皮肉な見方もあります。しかしながら、近代以前の社会において、このたぐいの霊的存在が心底、恐れられていたのは、争えない事実です。

これは建物だけにとどまらず、都市設計でも用いられています。京都に例をとれば、鬼門には比叡山延暦寺が、そして裏鬼門には石清水八幡宮が、それぞれ立地しています。なお、石清水八幡宮は、正式名称は護国寺で、本来は神社ではなく、仏寺でした。江戸では、神田の護持院が江戸城の鬼門除けに建立された、と護持院の建立を第五代将軍の綱吉に進言した隆光(りゅうこう[1649-1724年]/生類憐れみの令の発案者)が、日記に書いています。

個人住宅でも、鬼門に当たるところに、祈祷札を貼る風習が、いまなお見られる地方があります。どうやら鬼門は、家相や墓相などとともに、日本人の精神世界に根強く残っているようです。

 

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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