第6回 「伊豆・真鶴」のラビリンス空間② ――時代の違いがわかるまちと地形の関係性
岡本哲志
2018/11/27
成熟した港町の風景に出合う
真鶴町歩きルート2
前回の連載で階段の上から見た、原風景をつくりだす路地から、弓なりの道を南に歩くことにする。真鶴は、いろいろな方、あるいは学生たちと何回も歩いた。
愛宕神社からの眺め
ただ、何度歩いても、興味の尽きない町のひとつが真鶴だ。歩きはじめた中心をなす道の先には、何段もある急な階段が見える。それを上がりきると、斜面地上に愛宕神社が建立されており、境内からは旧市街の様子が手に取るように眺められる。体力的にはきつい階段だが、すり鉢状の真鶴の地形的特徴を実感できる。
急勾配の参道から貴船神社を見上げる
愛宕神社脇の “背戸道”をさらに南西に進むと貴船神社に至る。“背戸道”を歩く途中は、前回確認した古写真から、斜面下の土地がかつて海だったとわかる。森を背負う貴船神社の創建は西暦 889 年といわれている。祭では、御霊を載せた神輿が急勾配の参道の石段を下る。神輿より上から写真を撮ろうとすると、かつては問答無用で殴られたと聞く。それほど、祭が厳格に行われていた。
海側から斜面地に建ち並ぶ真鶴の市街を一望する
海中渡御する神輿(写真撮影:石渡雄士)
祭の時、貴船神社近くの突堤から海中渡御を盛大に行い、船に載せられた神輿が対岸に着く。
湾越しに、斜面地に密集する町並みを見る
神輿が海中渡御に出発するその突堤に立つと、海側から斜面地に建ち並ぶ真鶴の市街が一望できる。街中を何度か歩いているうちに、地形の違いで、真鶴が異なる2つの歴史的なエリアで構成されていることに気づく。津島神社を境に、その以東と以西のエリアである。津島神社以西のエリアは、やや窪んだ地形に家が建ち並ぶ。海側からでは手前の建物と重なり町並みの全体像をほとんど確認できない。これが前回訪れた凹地に成立した居住空間である。
右側に視線を移動させていくと、津島神社以東のエリアではひな壇状の土地に家が並ぶ。海側からは、一つひとつの建物と、寺院本堂の屋根がよく見える。現存する寺院、発心寺(1555年)、西念寺(1573年)、自泉院(1582年)はいずれも戦国時代後期に建立された。西日に照らされた斜面地に立地する市街の風景は、凹地に成立した居住空間と大いに異なるが、視覚的には真鶴らしい景観のように見える。
湊と集落を結ぶ道から戦国時代に成立した港町へ
湊に通じる重要な道沿いにある共同井戸と祠
陸に上がった神輿は海水で清められ、市街の中に溶け込む津島神社に向かう。神輿が陸に上がった港の先に斜面を上がる道が幾筋かある。その一番左の道に入り込むと、小松石で組み上げられた護岸に出合う。石組みの護岸に沿って左に折れ、細かく左右に折れ曲がった上り坂を進むと、途中共同井戸と祠がある。共同井戸は漁と生活を支える上で重要であった。
共同井戸
自動車が行き来できる新しい道が整備されるまで、今、上がってきた坂が中世から湊に下りる重要な道であった。この坂道を上がり切ると、前回歩いた路地に行き着く。そこから、湾曲する平坦な道を北に進むと、津島神社が前方に見えてくる。海中渡御した神輿が最初に訪れる真鶴の重要な神社である。さらに進み、下る階段の途中、右に路地が入り込む。その奥にも共同井戸がある。
このあたりから、古道は再び曲がりくねり、自泉院下の町並みに至る。寺院下の港に近い場所にも共同井戸がある。突堤から見えていた自泉院と共同井戸の斜面地は、西日を浴びた津島神社以東のエリアである。このエリアの道は、それぞれの家をつなぐ等高線に沿うよう平坦な道が通され、それらを結ぶ階段状の道が平坦な道と港を結ぶ。石垣や建築工法など、自然環境の猛威をある程度クリアし得た時代に空間が整えられはじめたと考えられる。このエリアは、どの家も光をいっぱいに浴び、心地よい風がそよぐ。眺望と抜ける風は多くの人たちが納得する真鶴らしさだ。これが真鶴の風景のひとつとして意識されている。
日和山とその絶景
旧日和山から見た外海
津島神社以東の断続的に現れるいくつもの階段群を登って行くと、旧日和山に行き着く。そこからは、外海(太平洋)が一望できる。江戸時代、港町には風見、汐見のための日和山が設けられた。船をどのようなタイミングで出航させればよいのか。ガイガーカウンターなどない時代、日和山となる地形を確保できるかは近世以前に港町を立地させる上で死活問題となる。真鶴はその条件を充分に備えていた。記念撮影をしたくなる目の前の風景の広がりに、ここまで上がってきた苦労が報われる。それは、幾度も一緒に急な階段を上がってきた人たちの表情からも感じる。
本来であれば、日和山から常泉寺を巡って、真鶴の「美の条例」で建てられたコミュニティセンター(コミュニティ真鶴)を訪れ、この小さな旅を終えるのが基本かもしれない。これまでの町歩きの多くはそうしてきた。ただ、今回は実際に歩いているわけではなく、真鶴のあまり意識されていない象徴的な風景で終わりたい。
この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。