#01 なぜハワイに住むようになったのか
中野亜紀
2018/09/07
イメージ/123RF
きっかけは娘の喘息
娘が4歳を過ぎた頃から運動をすると息をするのが苦しくなり、6歳になる頃には睡眠時、「ぜーぜー。ひゅーひゅー」するのが当たり前のようになっていました。はっきりとした発作の症状が現れるようになって、急いで救急に駆け込み吸入してもらうと、すぐに発作はおさまりました。しかし、その頻度も多くなり、お医者さんに「発作が起きると気管支の粘膜が腫れて気道が狭まり、炎症が長時間続くと気管支が固くなって気道の狭まりが戻らなくなるので、とにかく発作を起こさないように。起きたら長引かせないことが重要です」と言われてからは、自分が寝ている間に発作が長くなったらどうしようと心配で、眠りの浅い毎日を過ごしていました。ホコリやダニが大敵と聞いては、空気清浄機を各部屋に置き、布団クリーナーを買い、朝晩掃除機をかけても心配で、週に2回メイドサービスを依頼していました。今思うと、少しノイローゼ気味になっていたのだと思います。
学生ビザで親娘一緒にハワイへ
そんな私を心配して、当時ハワイのマウイ島に住んでいた姉から「空気がいいし、のんびり過ごせるからハワイに来たら?」と言われ、ハワイ移住を考えるようになりました。住むことを考え始めると、やはりハワイは米国。90日以上の滞在にはビザが必要になります。ビザを取得できそうな方法は以下の3種類でした。
1 米国で、移民法で定めるに足りる投資をする
2 米国でビザをサポートしてくれる会社に就職をする
3 米国で学生になる
ただ、当時の私には投資をする財力も能力もありませんでした。就職も通常の就労ビザは、4年のOL経験しかない私には得るのが難しく、最長2年までの研修ビザなら取得可能でしたが、この種類のビザは延長できないということでした。
小児喘息は思春期までに70%が治ると聞いていたので、なるべく長く滞在したい私としては、1度取れば5年間有効な学生ビザが良いと思い、学生になることを決意しました。娘が私立の学校に行きビザを取っても、親は帯同ビザが取れませんが、親の私が学生ビザを取れば21歳以下の子供は帯同ビザを得ることができるのです。私は高校を卒業した後、ワシントン州のコミュニティカレッジに2年間留学していたのですが、帰国後、留学相談機関に就職したときに感じた「米国に行きたい」という気持ちが、この学生ビザの仕組みを知り、再び蘇ってきました。
調べるとハワイで一番学費が安いのはハワイ大学。州立大学のため州内学生以外は3倍の授業料になりますが、当時は1年過ぎて成績がある程度良ければ州内学生と同じ年間約3,000ドルの学費でよいことになっていました。ただ、出願の締切りが早く、合否が出るまでに時間がかかることと、私自身10年以上のブランクがあり、英語力にも自信がなかったため、諦めざるを得ませんでした。ですから、まずは申し込みさえすれば入学許可書がすぐもらえる語学学校に入学することにしたのです。
無事に学生ビザを取得し、重量制限いっぱいの32キロ(当時はエコノミーでも32キロまでOKだったのです!)のスーツケースを4個持ってハワイへと発ったのは、娘が日本で小学校1年生の1学期を終えた8月でした。
入国は授業開始の30日前からできるとのこと。日本からホテルコンドを2週間予約して、その間に公立小学校の下見をし、車を買い、ホームドクターを決めて生活の基盤を整えることにしました。
娘は日本の駐在員が多いアラワイ小学校へ入学
ハワイの公立小学校は7月末から8月初旬に始まります。予防接種の種類が日本とは違うようで、追加で7本の注射が必要でした。既に新学期が始まっていたので、1日も早く通わせてあげたかったのと、2日間痛い思いをするよりはいいと思い、1日で7本の注射をしてもらいました。針タイプとピストルタイプの注射を、まるで手を変え品を変えといったようにしてもらいましたが、さすがに娘も4本目くらいからは泣き叫ぶようになり、看護士さん総出でなだめながら、なんとか7本の注射を終えて証明をもらい、学校に行く準備が整いました。
アラワイ運河(画像/123RF)
娘の小学校に選んだのは、ワイキキからアラワイ運河を挟んだ山側にあるアラワイ小学校。ワイキキで働く日本人の駐在員やアジア移民の子が多く、ESL(英語の特別授業)が1日に数時間、通常の授業を抜けて行われます。さらに希望者は月に数十ドルを払うと、校内にあるAプラスという日本の学童保育のようなシステムが利用可能になります。そこでは宿題を見てくれたり、遊んだり、工作をしたりして17時半まで子供を預かってもらえるのです。
そして肝心なのは住まいです。日本から予約したホテルコンドが割高なこともあり、2週間以内には賃貸物件に入居したい。そう考えていたところ小学校の隣にあるコンドミニアムにちょうど空き部屋があったのです。ハワイ大学へもクルマで3分という絶好のロケーション。次回以降説明しますが、じつはハワイでの賃貸物件探しにはかなりの労力を要します。
貿易風が快適でエアコンいらず、そしてアラワイ運河を挟んで見えるワイキキの景色や左手に見えるダイヤモンドヘッドが気に入ったこともあり、この物件でハワイ生活をスタートすることに決めたのです。
この記事を書いた人
東京都出身。2000年8月から一人娘とともにハワイへ移住。2005年ハワイ大学経営学部会計学科卒業後、ハワイの日系不動産会社に勤務しハワイ州不動産免許(後にブローカーライセンス)を取得。2013年、雇用による永住権を取得し、現在は不動産投資・開発・管理・売買・商業物件・バケーションレンタル等扱う現地総合不動産会社“リアルセレクトインターナショナル”で、日本人顧客の居住用不動産売買を担当。https://www.realselectintl.com/