トランプ大統領に学ぶ、不確実な時代を生きるヒント―――「どうなるか見てみよう」

2026/01/13
トランプさんはクリントン氏、ブッシュ氏と同じ齢
アメリカの第2次トランプ政権が、今月20日から2年目に入る。これを率いるドナルド・トランプ大統領は、6月になると80歳を迎える。傘寿だ。後期高齢者6年目にあたる人となる。
ちなみに、随分と以前の大統領にビル・クリントンという人がいる。さらには、クリントン氏のあとを引き継いだジョージ・W・ブッシュという人もいる。
かなり懐かしいイメージの2人だが、実は、トランプ氏と同い年だ。1946年生まれ。なお、この年はアメリカ・ベビーブーマー世代の出生が始まった最初の年ともされている。
つまり、そう思えば、トランプ氏は年齢に違えて若々しい。
その思想や政策に批判、論議はありつつも、昨日は遠くヨーロッパや中東へ飛び、今日はアジアに現れと、世界中を駆け回って重要課題に取り組むこの人の若さと行動力には、まさに感嘆すべきものがある。
どうなるか見てみよう
そんなトランプ氏だが、この人が口癖のように発する言葉で、筆者がとても気に入っているものがある。
日本語ではよくこんな風に訳される。
「どうなるか見てみよう」
これは、氏が実際に英語で話す場合、何種類かに別けられるようで、たとえば、
We'll see what happens.
We will see.
Let's see what happens.
Let's wait and see.
なお、これらは膨大な報道から探すのが大変なので、GoogleのAIの助けを借りた。
そのうえで、AIが言うには、トランプ氏は、
「特に将来の出来事や不確実な状況に対して、自身の予測や決定的な発言を避ける際にこれらの表現を頻繁に使用する傾向があります」
とりわけ“We'll see what happens.”の使われる割合が最も高いのだそうだ。
騒ぐ心をアウフヘーベン―――止揚する
「どうなるか見てみよう」―――。
筆者が思うに、この言葉ほど、不確実性というものに日々怯えるわれわれを救ってくれるものはない。
「どうなるのか」「こうなってほしい」「こうなってほしくない」
「こうなった」「ならなかった」「なってしまった」
そして、事が一巡するとまた、
「どうなるのか」「どうなるのか」「どうなるのか」―――。
われわれは再び怯え始める。
たとえば、少し前の新型コロナウイルス騒動だ。このとき、賢く落ち着いた人は、逐次、
「どうなるか見てみよう」
そのうえで、見えてきた結果に対し、冷静に判断し、必要な対応を適宜図ったはずだ。
しかし、そうでない愚かなわれわれは、
「どうなるのか」「どうなるのか」「どうなるのか」
まだ見ぬ明日の不安に焦燥するまま、要らぬ怒りを周りにぶつけたり、あるいは周囲の怒声に煽られ、自らを消耗させてしまったりもしていた。
「どうなるのか」―――。
それが判らないことに対し、われわれがすべき行動は、本来ひとつしかない。
「どうなるか見てみる」ことだ。
怯えようが、落ち着こうが、取り乱そうが、「どうなるかを一旦見て」いれば、結果はほどなくひとつの答えとして出て来る。
それをステップに、われわれは一歩づつ、一段づつ、歩みを進めればよいだけだ。
そこで、古い言葉をひけば、これは右往左往する心を「アウフヘーベン―――止揚」させて、事に臨むということになる。
だが、むしろこんにちにあってこそ、大事な言葉だろう。
一説には、現代人が1日に接する情報量は、江戸時代人の1年分、平安時代人の一生分に相当するなどといわれている。
心を宙に引き上げて据え置き、アウフヘーベンさせる術でも持たねば、とてもじゃないが繊細でか弱いわれわれは、日々SNSの画面など見られたものではない。
高慢ちきな日本の「ある言葉」
現在、トランプ氏は政治家だ。そのうえで、わが日本の政治家や公務員も、トランプ氏が「どうなるか見てみよう」を発する場合と似たシチュエーションで、ある言葉を使うことがある。
「仮定の質問には答えられない」
実にくだらない物言いというほかない。なぜなら、これは質問者に対し、その存在と意志を汲むことなく、真っ向拒絶するものであるからだ。
しかも、拒絶するだけではない。馬鹿にもしている。
「仮定の質問には答えられない」の根底には、「仮定の質問をする馬鹿」とのニュアンスが多分に混じっている。
よって、この場合、相手が本当に取るに足らない人間で、これを本心からなじりたいのならばそれでもいいだろう。
だが、仮にそうでないならば、これほど高慢ちきな印象を醸し出す返事もほかにない。まさに木で鼻をくくる態度であり、白眼をもって人を視る姿勢というほかないものだ。
一方、これが「どうなるか見てみよう」だと、どうなるか。
こちらは、言葉として絶妙だ。
なぜなら、この言葉を発した瞬間、発信者は、自らがいるその場所にインタビュアーを招き、引き寄せることができる。
インタビュアーもまた、そこに招かれ、立つことができる。
なぜなら、この言葉には、そのことをエモーションさせる隠れた主語が存在しているからだ。
「共に」あるいは「一緒に」だ。
すなわち、発信者はここで、
「どうなるか“あなたも一緒に”見てみよう」
と、言っている。
そこで、さきほどの英文を振り返ろう。
We'll see what happens.
We will see.
このとおり、4例のうち2例の主語は、We―――われわれだ。なお、残る2例の“Let's”にもそれは十分に含まれていると思っていい。
つまり、この言葉によって、発信者と質問者の2人は、いわば同じ車のフロントガラスを内側から眺める同乗者となる。
不確実な未来を共に見据え、考えていくことが可能となるわけだ。
もっとも、こうした過程にあっては、もちろん、回答する側に自らを保護しておきたい底意や思惑が存在することも多いはずだ。
だが、質問者は、ともあれここでは尊重される。馬鹿にされたり、白眼視されたりはしない。建設的かつ、健康的な人間同士のやりとりといえるだろう。
初出社の朝にも
以上。そうしたわけで、筆者はアメリカ大統領であるトランプ氏について、別段ファンというわけでもないが、彼が定番とする上記の言い回しをとても気に入っている。
「どうなるか見てみよう」―――。
たとえば、初出社の朝であってもいい。恋の告白であってもいい。
目の前の不安に対峙した時、そっと口に出して唱えてみるに値する呪文(?)として、筆者はこれを読者におすすめしておきたい。
この言葉の前では、愛する者との別れや死さえも恐るるに足りない。
(文/朝倉継道)
この記事を書いた人
コミュニティみらい研究所 代表
小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。























