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「新しい生活様式」が子どもを弱体化させるこれだけの理由

遠山 高史遠山 高史

2020/08/27

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©︎bloomua・123RF

「行きたくなったら行けばいい」という寛容さは是か非か

コロナ禍によって、各都道府県が緊急事態宣言を発令し、趣味や遊びでの外出はもちろん、通勤や通学すら制限された。今までの社会のありようが見直されつつあるが、人間は元々群れで生きる生き物であったはずである。今後の人と人とのかかわり方は、どのように変化するのだろうか。

S氏は、IT企業の管理職である。折り目正しい性格で、秩序を重んじるタイプである。そんなS氏が、妻から、中学生になったばかりの息子が「不登校気味」であると言われた時、一瞬なんのことか理解ができなかった。

S氏にとって、学校も、会社も、「行かなくてはならない場所」であるから、「行かない」という選択肢がそもそもなかったからだ。それでも、完全な不登校ではなく、気が向けば登校するというので、こういうことは母親にまかせるのがよいかと思い、しばらく口は出さないことにした。平日は会社があり、子どもたちの生活を実際に見ていないので、実感がわかないというのもあった。

そんな矢先、コロナウィルスの蔓延によって、都心は一気に自粛ムードになった。S氏の会社はIT企業ということもあって、いち早くリモートワークを取り入れ、ほとんどの社員は、自宅での業務を命じられた。同時期、学校も休暇が引き延ばされ、子どもたちとS氏は同じ空間にいることになった。

S氏は、息子の生活を間近で見て、戦慄した。

学校が休みなのをいいことに、昼まで寝て、起きてきたかと思えば、用意された昼食を食べちらかし、すぐさまゲーム機をいじりだす。自宅学習用の教材に手をつける様子もなく、菓子を食べながら、タブレットの画面に夢中な息子を見て、これはまずいと思った。

息子を呼びつけて、叱りとばし、ゲーム機を取り上げてはみたが、意外にも妻の猛反発にあった。妻からすれば「普段子育てに無関心なくせに、いきなり叱りつけるとは何事だ」というわけだ。

口論の末、S氏は一度退いたが、その後も息子の態度は変わらず、「完全な」不登校になった。長期の休みを挟んだ結果、「家から出ることがさらに嫌になった」という。いじめにでもあっているのかと聞いても、そんなことはないという。理由は、「なんとなく行きたくないから」という漠然としたものだった。妻が、息子の状況を楽観視していることもS氏には信じられなかった。

「行く気になったら行けばいい」という妻の言葉に、S氏は焦りを覚え、このままでは息子が完全な引きこもりになるのではないかと思うようになった。なんとか、息子を外に出そうと、S氏は、最寄りのフリースクールを探し出し、学校に行かないのであれば、せめてここに通うようにと、息子を説き伏せ、妻に送迎を頼んだが、思うようにはいかず、今も息子は不登校のままである。

集団に対する適応性を奪う可能性も


集団生活は面倒で煩わしくもあるが、独りでは味わえない喜びもある/©︎marchnoi1・123RF

S家のようななケースは、無数にある。そのまま引きこもりになってしまうことも少なくない。良い、悪いではなく、我々をとりまく環境がそうさせるのではないかと私は思っている。

戦後の核家族化で、日本人は集団で生活するストレスから解放されたかに見えるが、裏を返せば、集団に適応するための訓練の場が消失したともいえる。さらには、豊かになったがために、親が引きこもる子どもを養えてしまう余裕がある。貧しい中では、自立できない子どもを家に置いておく余地が無い。強制的に外に出されるか、その昔は、淘汰されてしまっていたことだろう。

もちろん、物事は多面的であるから、明るい面を見るとすれば、今の世の中は、選択肢が増えたという見方もできる。ひと昔前、集団に適応できない人間に、逃げ場はなかった。あったとしても極めてわずかだったが、今はフリースクールや、通信制の学校が増えた。情報も個人が簡単に発信できるようになったから、集団に適応できなくとも、道が開けるチャンスは多くある。

しかし、私は、それに手放しで賛同はできない。人と人との関係性が、ますます希釈され、各々が孤立し、現実から切り離されていくように思えてならないからである。そして、それは、結果として、生物としての強さを失わせるのではないかと思っている。

以前にも述べたが、アフターコロナでは、いかんともしがたく、モニタ越しの通信が増加するだろう。だが、それでも、可能な限り集団に飛び込み、多数の他人を相手に、多くの経験を積むことに挑戦してほしい。それは確かに面倒で、煩わしく、不快なことではあるが、時に、独りでは決して味わえない喜びもまた、味わうことができるだろう。

麦が踏まれて強く育つように、実際に身に受けたことが、心身を強化し、人生を豊かにすることは確かなのだから。

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この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

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