二地域居住。毎週持ち帰る”田舎のお土産”なーんだ?
馬場未織
2016/05/20
「行きはよいよい、帰りは重い」の二地域居住
さて問題です。
週末田舎暮らしで東京に帰るとき、毎週末必ず出てきて、必ず持ち帰るものは、いったいなんでしょうか?
……答えは、「畑で獲れた野菜」!
だと思いますか?
そうですねー、毎週末必ず、ではないので、ハズレです。
収穫物のない農閑期には手ぶらで帰りますからね。
答えは、『ゴミ』です。
すみませんね、素敵なものではなくて。
でも、生活をするとどうしても出てきてしまうのですから、しかたありません。
東京では、決められたゴミ回収の日に合わせてゴミ出しをしますが、二地域居住ですとその日にいられるとは限らないので、わが家の場合はほとんど持ち帰っています。ほかの二地域居住をする友人に聞いてもそうですね。
ひとり、ふたりのときはいいのですが、家族5人で2泊するとそれなりの量になります。ぱんぱんのゴミ袋を車に積み込むとき、「暮らすって、ゴミを出すことなんだなあ」と、都度実感します。
東京でも、回収日にゴミを出し忘れてしまったりすると、ああ次回までわが家に置いておくのかあ、とちょっと憂鬱になりますし、粗大ごみが回収されるとスッキリした気分になります。
でも、思えばヘンな話ですね。別のところに運ばれて自分の視野から消えるだけで、結局地球上に残ってしまうものもたくさんあるわけですから。
我ながら、身勝手な感覚だなあと思います。
持ち帰るゴミを減らしたい、という思いから
わたしの暮らしている南房総の中山間地では、草刈りをした後に、その草を干して燃やしてきれいにします。竹や倒木などかさばるものも、刈ったり伐ったりしたら焚き火をして燃やします。「たき火だ たき火だ 落ち葉たき~♪」というアレと同じですね。いまでは都心部では絶対に見られない風景です。
田舎では、集落のあちらこちらで煙が上がっている風景はごく日常のものですが、最近は通行人が「火が出ている」と通報することもあるようです。もちろん、火の扱いには十分な注意が必要です。たまに、地域の管内放送で「○○地域で、”その他火災”が発生しました」とアナウンスを聞くとヒヤッとして、うちも気をつけなければ! と思います。この“その他火災”とは枯草やゴミなどの火災のことで、大抵は草刈り後の枯草の処理中の出来事ですから。
その、野良仕事での焚き火中に、燃えるゴミを燃やしてしまうことがあります。着火のときに燃えやすいものをうまく使うと、木や竹などがスムーズに燃えてくれるのでありがたかったりもしますね。
ダイオキシンが発生しないものだけを燃やしますが、それでもだいぶゴミが軽くなります。また、生ゴミは堆肥にしたりして利用できます。
残るのは、スーパーで買った食料のパックなどのプラスチックや包装ビニール、劣化したマルチなど農業系でのビニールゴミ、金属、ビン・カン・ペットボトルなどリサイクルゴミ、などなどなど。
なるべくゴミの出にくい買い物をしているつもりでも、けっこう出ちゃうんですよね。
そんな経験が続いたからか、二地域居住を始めてからというもの、東京でもビニールやプラスチック製品を買い控えるようになりました。買うときから、「これって消えないゴミになるなあ」という意識が働きますので、感覚的に避けるようになるのです。
安くて丈夫で便利なものについ手を伸ばすことも、もちろんあります。それでも、日常から「消えないゴミになるもの」が少しずつ減っていくと、暮らしの風景がなぜか美しくなるんですよね。美的感覚は人それぞれなので、これは個人的な感覚でしょうが、目や手になじみよいものというのは自然由来のものであることが多い気がします。
埋めたり、燃やしたりして、土に還るゴミ。
持って帰らなければならない、燃やせないゴミ。
ただ、持って帰るゴミを減らしたいと思うだけなんですけれどね。
そんな小さなきっかけで、感覚は変わっていくのだなと思います。
循環できないゴミのたまる世界はどこへいく
そういえば、わが家の敷地からは、たまに陶器のかけらが出てきます。
お茶碗や割れた一升瓶、あとはサザエの殻などもごろごろと。ここは貝塚だったのか? と思ったことがありました。笑。
いったい何でだろうとずっと不思議だったのですが、先日、田舎育ちの方が取材に来たときに「うちもそうです! なぜか“陶器や貝は埋めてもいい”という暗黙の了解があるんですよね」と言われて合点がいきました。
おそらく“陶器は土に還る”という判断があるのでしょう。実際は、何百年単位の時間がかかるのではないかと思いますけどね! ふふふ。わが家は築120年くらいですから、埋められているもののなかには、ちょっとしたお宝があったりするかもしれません。
それにしても、もっと遡ってゴミで埋立地をつくらなかった時代には、すべて循環できるものだけだったのだと思うと感慨深いです。ゴミ処理施設の建設問題もなく、埋立地の問題もなく、手元の暮らしでゴミが処理できていた時代。いまより不便で、いまより貧しく、いまよりサステイナブルな世界。
現代社会では循環できないものがどんどんたまっていきますが、さて、いったい地球はどうなっちゃうでしょう。
東京湾の埋立地は、あと30年ほどでいっぱいになるらしいです。
わたしたちの世代は、逃げ切り? 子どもたちの世代にクライシスが訪れる?
すぐそこに、手詰まりの未来が待っています。
この記事を書いた人
NPO法人南房総リパブリック理事長
1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。