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第3回 「ブラタモリ」に登場した羽田の漁師町を歩く①――湊はどこにあったのか?(2/2ページ)

岡本哲志岡本哲志

2018/08/28

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中世からの湊はどこに

もし、多摩川沿いが古くからの湊であれば、水際線に沿って通るメインの道から“くの字”に曲げ、町に入る路地を接続させることはない。やはり、メインの道からは漁師町内部に道が直角に真っ直ぐ延びる。これまで60以上の港町・漁師町を調査研究してわかったことのひとつである。

「ということは、現在漁船が係留されている多摩川沿いは、メインの湊ではなかったのでは?」と言うと、担当ディレクターは困り果てていた。それをよそに、最初に湊が置かれた場所はどこかが気になり始める。


多摩川沿いにつくられた煉瓦の堤防

多摩川沿いのメインの道には、大正7(1918)年に建設が始まり、昭和8(1933)年に完成する煉瓦の堤防が延びている。羽田空港の撮影が終わった後、「ブラタモリ 羽田」の後半は、羽田の漁師町へ。撮影は煉瓦の堤防を確認するところからはじまる。その後、番組は近くの路地に潜り込む。


斜めに入る細い道

困り果てた担当ディレクターと、 “くの字”に曲がった路地に入る。実は、ここが次に繋がる重要な路地であった。七曲がりの道に出ると、直角に路地と道が接続していた。「どうして “くの字”なんですか」と担当ディレクター。「少なくとも、鎌倉時代は多摩川がメインの湊ではなく、多摩川と逆の北側に湊があった可能性が高い」と答えた。

ここで、俄然やる気のスイッチが入る。実は、羽田の話が舞い込む5年前から真鶴で興味深い成果が見えており、その空間的な仕組みと重なるものがあるのではないかと感じ始めていたからだ。

この続きは、第4回は羽田編②、第5回は真鶴編でお話ししていこう。ちなみに、上空から真鶴を見ると、鶴が上空を舞っている姿に似ている。

 

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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